第2話 実はとてもツイてるのかもしれない
スタートの街の入り口で。
街に入るための手続きがあったんだけど。
まぁ、ちょっと問題があった。
私がこの世界での身の証を立てるものを持ってなかったからだ。
で、門番?の人となんか揉めてるみたいだったんだけど。
ムジードさんが僧侶だってのが、良かったのかな?
いけたみたいだ。
……イヤホント、スミマセン。
最初にお見掛けしたときはモヒカンの悪党だと思ったのに。
人は見かけによらないもんですね。
反省します。
そして無事にスタートの街に入れてもらえた私。
最初に警戒していたのは、頭上からウンチやオシッコが降ってこないか?
だったんだけど。
……街は清潔そのものだった。
いやね、舗装なんかされてないんだよ?
でもね、誰も2階からウンチやオシッコを投げてこないの。
……聞いた話だけどさぁ。
中世ヨーロッパだと、おまるみたいなもんにトイレするのが普通で。
溜まってくると2階から投げ捨てていた、って話を聞いてたんで、かなり警戒してた。
だってムジードさん、どうみても恰好洋装なんだもの。
で、中世でしょ?
警戒するよそりゃ。
「あの……」
荷馬車で揺られながら、聞いてみた。
これからのことでもあるし。
「なんでござろう?」
「街にトイレってあるんですよね?」
「無いわけ無いでござる。……行きたいのでござるか?」
気をつかってくれたのか。
声量抑え目でそう聞いてきてくれた。
そこのところ、ちょっと嬉しかったけど。
今知りたいのはそこじゃないので。
続けた。
「いえ、違います……で、それっておまるですか?」
「おまるとは?」
「ええと……ウンチやオシッコをする入れ物……です」
小学生でもあるまいし。
言い辛いことも無いはずなのに。
なんか、ちょっとどもってしまった。
「違うでござるな。拙僧らのような人間は、もっぱら公衆トイレで用を足すのが普通でござる」
裕福な層は、自宅にトイレを備えている場合もござるがな、とムジードさん。
……うーん。そうか。
なんとなく、予想がついてきたぞ。
多分、所謂ボットン便所なんだね?
ということは、江戸っぽいのを想像すればいいのかな?
……紙はあるんだろうか?
確か江戸時代にはちり紙という存在は確立されていた、って何かの本で読んだ覚えがある。
あって欲しいなぁ~
縄や木の棒、陶器の欠片で大事なところを拭くのはやだよ。
見た目、中世ヨーロッパっぽい装いだけど、生活様式は江戸でありますように!!
私は神様に祈った。
まぁ、祈ったところで今更何が変わるわけでも無いんだけどさ。
……あぁ、あとお風呂!
それはどうなんだろう?
「……身体の汚れを落とすときはどのように?」
「そりゃあ、銭湯に行くでござるよ」
稼いでる者は、自宅に風呂を備えている場合もござるがな、と続く。
……あ、入浴の文化はあるのか。
最悪、水で身体を拭くだけだってのを覚悟せねばならないか、って思ってたんだけど。
ありがたやありがたや。
「教えてくださってありがとうございます。助かりました」
「お安い御用でござる」
しれっと。
あぁ、良い人だなぁ。運が良かったよ。私。
ムジードさんに出会えなければ、今頃どうなっていたことか。
今頃、犬にヤリ捨てられて、犬の赤ちゃん身籠ってたに違いないよね……!
いや、ひょっとしたらそのまま犬の巣に連れてかれて、犬のお嫁さんにされていたかも……!?犬嫁?
最悪の結末だよ。ホント、運が良かった……!
自分の幸運を噛みしめながら、町並みを眺めた。
荷馬車の上で。
で、眺めていたら、気づいたことがあった。
店の立て看板だ。
「しんせんくだもの。リンゴ1こ100えん」
「しんかんにゅうか。5000えん」
……通貨「えん」かよ!!
いや、それもだけど。
文字まで日本語なのか。
ひらがなとカタカナで書かれていた。
あとアラビア数字。
で、漢字が無いっぽい。
……まぁ、ムジードさんの名前がムジードさんな時点で、それは予想できることなんだろうけどさ。
漢字があるなら、人の名前に漢字を使わないわけ無いもんね。
ムジードさんの名前、漢字がある感じしないし。
漢字には意味があるわけだし。
文字に意味を乗せられる漢字を、人名に使わないわけ、無いよね?
……無いと思うんだけど。
違うかなぁ……?
まぁ、いいか。
そこらへんがどうであろうと、私の今後の生活には何の変りも無いんだし。
……しかし。
漢字の無い日本語って読みづらいなぁ……改めて思った。
しばらく揺られて。
途中、荷物をどっかの大店の番頭さん?みたいな人に渡して。代わりに何か包みを貰って。
……多分、代金なんだろうな……
その後なんか馬車の駐車場?みたいなところで馬車を降り、歩いた。
……あの馬車、レンタルなのかムジードさんの持ち物なのか。
どっちなんだろうか?
ちょっと気にはなったけど、あんまり聞いてばかりも悪いしね。
そのままついていった。
街の生活エリアかな?
なんだか、貧乏長屋とか、そういう感じがするエリアだ。
家族で住んでる人、多いらしく
「お帰り、ムジードさん」
「ムジードさん、仕事終わったのかい?」
「ムジードさん、その女の子は?」
……その人たちに色々話しかけられてる。
うん、やっぱり悪い人じゃ無いよね。
近所の評判悪くないみたいだし。
「おお、とりあえずは」
「おお、ちょっとわけありでな。行き場がないようなので、落ち着くまでウチで預かることになったのだ」
にこやかに周辺住民に答えている。
で、案内されたのが。
「ここでござる」
……長屋だった。
時代劇と違うのは、障子の引き戸じゃなくて、木のドアだってことくらいかな。
……ひょっとして鍵無いの?
そう思ったけど。
「しばし待たれよ」
ごそごそ、と鍵。
……あ、鍵はあるんだ。
……うーん。
街に入ってからずっと思ってたけど。
自分にとって当たり前のことが、全ての場所で共有できることだと思うのが間違ってるというか。
いやね、別にここの人たちを馬鹿にしてるわけじゃないんだけどさ。
頭の中で想像してたことと、実際に体験するのはやっぱ違うよなぁ、というか。
でも多分、これからここでずっと暮らしていく以上、慣れていかなきゃなんないことなんだろうと思う。
それに。
例えばさっき「そうじゃありませんように」って思ってたトイレの紙。
もし縄や木の棒や陶器の欠片でも、辛く感じるのは最初だけで、慣れてきたらそれが普通になってしまうのかも。
……うん。よし。
これからは、あまり異文化的なものを見ても、ショック受けないようにしよう。
どうせ慣れなきゃいけないもんなわけだしね。
ショック受けるだけ損だよ!!
私は心の中で気合を入れた。
そんなことを決意している間に。
ムジードさんはその長屋の自宅に入って。窓を開けて回っていた。
……空気の入れ替えかな?
で。
私にとって都合が良いことに、ここの文化では、屋内では靴を脱ぐのが常識だった。
……ピンポイントでストレスフリーな文化だ。
ありがたやありがたや。
トイレやお風呂の文化についてもだけど。
屋内の靴の文化も懸案事項だったもんね。
記憶ほぼ全消去で異世界に投げ出されたのはツイてなかったけどさ。
その後の流れについてはホント幸運だよ!
思わず私は手を合わせてしまった。
家に上げてもらって。
しばし家主のムジードさんが姿を消したんだ。奥の部屋に引っ込んでた。
そして、戻ってきたら。
まるっきし、遊び人の金さん的な、青っぽい着流し姿で再登場。
普段着江戸なんかい!!
戦う装備は洋装なのに!!
思わずまた突っ込んでしまった。
そういや、さっきムジードさんに話しかけてたおばさん連中。
髪型こそ結ってなかったけど、服装は時代劇のおばちゃんだったよなぁ……
ホント、どうなってんだろ。
ここの文化と歴史……勉強できるならやってみたいなぁ……。
「どうかされたか?」
私の心中のツッコミが伝わってしまったのか、ムジードさんがきょとんとした感じで聞き返してきた。
「いや、ムジードさんの服装が意外だったもので」
……別に失礼じゃないよね?
どうして意外に思ったのか、と聞かれたら、会話にもなるかもしれないし。
しばらくご厄介になるんだし、なるべくいい関係を……
と、思ったら
「おっと、そろそろ銭湯の時間か」
ムジードさんが立ち上がった。
そういえば、銭湯なんだっけ。
ここでのお風呂。
「夕刻過ぎると閉まるでござるからな。行きましょうぞ」
ムジードさんに出会ったのが多分昼ちょっと前。
スタートの街に着いたのが、そこから2~3時間くらい後かな?
言われてみると、日がだいぶ傾いている気がする。
……お風呂セットみたいなもの、無いけど、まあ、最悪お湯を被って手で身体を擦るだけでも……
と。
よくよく考えたら、江戸時代って、お風呂基本混浴なんだっけ?
そこに気づいてしまって、ちょっと青くなる。
どうしよう……そんな覚悟、決めてないんだけど……?
でも、お風呂がそれしかないなら、慣れるしか、無いよね……?
正直、躊躇したけど、先延ばしにしても私が臭くなるだけだし。
ええい!ここは決断の時よ!
エイヤと立ち上がり、私はムジードさんについていった。
すると。
「あ、男女別……」
銭湯はちゃんと「おとこゆ」「おんなゆ」って書かれてて。
入り口別々だった。
ちゃんと暖簾まであったりする銭湯。
洋装なのか、和装なのか、どっちなんだい!?
「クミ殿。銭湯の代金を渡しておくでござる」
で、一文銭みたいなものを一枚、渡された。
でも、多分、文で数えないんだろうなぁ……
表面を見てみると「100えん」って刻まれてる。
……100えんせん……
そういったところなんだろうか?
なんか、ひらがなで刻まれてると、こども銀行券みたいだよね。
……と、そんなことをしていたら。
気が付いたらすでにムジードさんは暖簾の奥に消えていて。
出るときどうするべきなのか、打ち合わせてないじゃん!と思ったけどもう遅い。
しょうがないので私も女湯の方に入った。
ええい、ままよ!
そして。
長屋に戻ってきて。
今、部屋も別々にしてもらって、掛け布団を借りて寝る準備を整えさせてもらってるんだけど……
(ベッドでなく、布団を敷く文化という。ありがたやありがたや……)
銭湯で、良いことがあった。
お風呂セットも持っておらず、どうすればいいのか困り果ててた私を。
知らないおばさんが「どうしたの?」と声をかけてくれて。
自分ので嫌で無ければ、と、手拭いを貸してくれた。
そりゃま、身体を洗うものだから、嫌は嫌だろうけど、それを言ったらおばさんだって嫌なはずだよね。
知らない女の子に自分の手拭い貸すなんて。
なのに、貸してくれた。
無いよりはましだよね、なんて言葉と一緒に。
で、なんか感激してしまった。
まぁ、こうして寝るところも提供してもらえてる状況も感激ものなんだけどね。
ついでに言うと、服も貸してもらえている。
着流し、別に男ものでも着ることはできるし、そんなに変でもないですし……。
……うん。
私、絶対、すごくツイてる。
前にも言ったかもだけど、とっかかりは最悪だったよ?
記憶ナシで、異世界だもん。
でも、後はずっとツキまくり。
親切な人に助けてもらえて、その後も助けてもらいまくり。
なんだか、申し訳ないよ。
この恩は絶対に返さなきゃ。
今となっては、記憶が無いことすらツイてる気がするね。
だって、元の記憶あったら「日本に帰りたい」「大切な人と再会したい」とか思っちゃうかもだし。
記憶が無いことが、私に腹を括らせる一要因になってる。
もう、ここで生きていくしか無いんだ、って。
よし。
明日は頑張ろう。
まず、仕事を探すんだ。
お金を稼いで、自分の生活の場を構えられるようになること。
まずは、そこからだよね?
……確か江戸時代は、諸外国と比較して、まだ女でも売春以外の仕事を探せる時代だった、って話。
誰かが言ってたの、聞いたような気がするんだけど……
この世界の、この街はどうなのかな?
そこまで都合よく行ってくれないかもしれないよね。
……だけど。
まずはやってみてからだよ。
駄目だったら駄目だったで、そのときに考えればいいじゃんか。
よし。
じゃ、寝ようかな。
……私は、行灯の火を吹き消して、床に、というか、掛け布団で簀巻きになった。
こうすることで、掛け布団で敷布団を兼ねることが出来る。
生活の知恵だよ。
では、おやすみなさ~い。
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