第5話

ドミトリー3階の部屋で横になっている木本一。広さは6畳2間程、金属性のベットが1.23、4つ部屋の四方に設置されて、枕の隣に小さな置き棚がある。入口扉は無くすぐに木目の欄干、鉄扉を潜ると3階建てで中は吹き抜けの回廊建築。中庭を囲って北東側に部屋とシャワー室、トイレが並ぶ。階段が2階へは東側に、3階へは北側に掛かって1階は調理場と食堂兼情報交換の場となっている。旅のノートがある。誰でも読み書き自由で食堂の棚に置かれている。長四角の建物の上部からスプーンでくり抜いたように空から陽が中庭へのんびりと射している。朝食付きで宿泊がMS120。以前のホテルの10分の一の費用である。マットは虫が喰ってか継ぎ接ぎだらけでケットが2枚、床板を踏むと所々ぎいと軋んでは返る。シャワー室は簡易な作りで真上の如雨露口から水が出るのみ、水圧は頗る弱い。トイレも下水管の圧が低いため大変に詰まりやすい。使用後の紙は備え付けのごみ箱へ捨てる。大抵のホテルがそうである。ここの経営者は30代の男性ヤナギと20代女性の2人で共に日本人。宿代は一日毎でも5日なら5日分と現金で支払いノートに記入するだけと中々融通が効いてありがたい。1階の食堂から出て中庭の端に長椅子と灰皿があり喫煙スペースとなっている。煙草を吹かす。建物内部が階段から欄干、2階から3階の通路へと繋がって客室の小窓が見える。段々と古めかしい木目調のどっしりとした作りで、ラテンアメリカの雰囲気が漂っている。三階の階段を桃尻が軽快に登っていく。20代前半で目が二重で丸く黒髪を肩で揃えて利発そうな女経営者ゆいである。シーツを蔓籠に纏めて屋上へと干すようだ。中庭では先ほどちらっと話をした日本人でメキシコへレスラー修行に来ている半裸なタナカが男経営者と向かい合ってスパーリングを始めた。庶民の娯楽と言えばド派手で華麗な空中戦がリング上で繰り広げられるルチャリブレ。勧善懲悪な筋書きで彩り豊かなマスクを付け、善玉レスラーが必ず最後には悪役に勝利する単純明快なものだが、老若男女から支持されて定着している。タナカはここの宿に長期滞在しているようだ。個室は女性専用で宿泊者は大半が日本人。女の一人旅もいる。それと一部現地の若い女性が借家として使っている。スーツ姿の男性もいればドミトリーはバックパッカーとヒッピー達、隣の男は1年間日本で働いて貯金し、1年海外で過ごすそうだ。今回はアメリカから国境を越えてメキシコ、グァテマラへと南下するルート。長髪で奇抜な服装である。アメリカのガンショップから数丁ずつ陸路で南米へと知り合い伝いで銃が密輸されているがまさかな。疑う理由は幾らでもあるが誰彼でも交友するのは危険だ。先ほど通りを歩いていると日本人女性二人から話しかけられ情報交換を求められた。別の近くにある日本人宿に滞在していると言う。ベットに座ってサンドイッチ片手にビールを飲んでいると斜向かいの男が一に話しかける。「昨日からだよね。宜しく」と挨拶は簡単が主流で、名は努めて覚えることもしない。気儘に各々旅をしているようだ。「滞在中の女性と闘牛観戦に行くんだけど君も行かない?」「いや。やめときます」と断る。「そうか」と下の階へと降りていく。覗くと中庭に待機していた女達と玄関の外へ去って行くのを確認する。頭を傾け独り思考している。ここは至って長閑である。

 7月24日(火)昨日はオアハカでゲラゲッツァ祭に行ってきました。伝統舞踊のパレードを見て、世界遺産のサントドミンコ教会を見学。内部は黄金の装飾でとても豪華で感動しました。お洒落なカフェで一休み。民芸品の宝庫で、色鮮やかな伝統衣装とハンドメイドのアクセサリーを購入しました。

 あった。まいの字だ。確実に泊っている。浩太のはないな。文字が踊って元気だ。ノートを黙黙と睨んでいる一。消息はそれだけかと落胆して閉じる。やはりオーナーさんをたよりとするしかないか・・・。

「おう。色男何してんの?」と振り返ると黒のタンクトップが入口の柱に背を凭れている。中年で40後半。お腹がでっぷりと膨張して小太りである。眉毛が太く顎が広い、頭頂部へと窄んで五分刈り。艶は皮脂だろう。

「ノートを見てます」

「旅のノートか。なんか調べてんの?」

「いえ、別に」

ガラガラと男が旅行鞄を引いて入ってくる。

「先生」と中年が言う。

「お。多良谷か。最近は此処に泊ってたか?」

「ええ。そうなんですちょっと事情がありまして。御用が有ったらいつでも言って下さい。安くしときます」と如何にも軽薄そうな態度で、ただのゴロツキだろう。先生は伽羅のスーツで頭から爪先まで塵一つ無く清潔で且つ洒落ている。神経質が伝わってくる。

「早速だけどそこまでいいかい」と中年を走らす。

「君も一緒にね」と妙に反抗しずらい威圧感がある。15分ほどして多良谷が汗だくで戻る。食材とテキーラ、高級酒オルニートス、クラマ・デ・メスカル、缶ビールが並ぶ。ゆいさぁ~んと手を敲いて声が通路に抜ける。

「あら先生今着いたところですか?」常連のようで「これ頼むね」「はーい」と調理場へ下がった。夕方6時、中庭に濃い影が落ちて回廊のランプに燈が灯る。精霊が果物の甘い香りに誘引されて隆盛なる竜舌蘭4メートル級の大型常緑葉に絡みつく。先端には棘があり黄淡色の花を多数付けた、結実は枯れて死ぬ。熱せられた蒸気を冷やして再び液体にして精製または分離する。白色で酸味があって舌触りがヌメる、2000年の歴史酒はどこか郷愁を彷彿とさせる。火山の麓の谷間に延々とアガベの丘陵が広がる景観に独立の父イタルゴ神父の立ち上がる僧侶の迫力な大壁画があるハリスコ州庁舎、平原には牧童貴族が荒涼な大地を疾駆して投げ輪で走る馬を捕えて、暴れ馬を乗りこなす曲芸を見せるカウボーイ達。先住民族とコロニアル建築の融合して石畳と教会にカラフルな街並み。「カリブ海では欧米人がビーチクラブで飲んで歌って踊る」

「あっち側は日本と物価変わらん」と多良谷が言う。机にはタコス、パエリア、セミータス。各々サルサの刺激的な香りが食堂に攪拌する。

「メキシコに来たらモーレソース料理。唐辛子、木の実、チョコレートを使ったソースで奥深く忘れられない味わい。リベロ可動式アラメダ公園を見て、カンティーナで男女が親睦を紡いで、モンテアルバンの球技場に日輪が落ちて、マリアッチ楽団の陽気な演奏で星を眺めて、フォルティンの丘で仙女と町を一望する。ふー」グラスを一杯に煽って頬を弛緩させる。

「こちらにはお仕事ですか?」

「そうだ。植物生態の研究でね。今回はパレンケへ行く予定だ」

「情勢が不安定ですが・・・。」

「どうもそうらしい・・・。しかし時は待ってはくれん。私が行かなくても誰かが行く。研究が人生の憂患の初めで、本当は無学がいいとさえ思う。女性もそうだが一君、ラテン系の女性はどうかな? 私は肉の豊かに突き出たお尻が好きでね。ははは」

「もう先生って、飲むといつもそれなんだから」と女経営者が相手になる。食堂のランプは煌々と灯って中庭の影の行く人が足を止め、覗いてはぎいと床板を踏んで上階へと上がる。多良谷が満腹とばかりに肥えた腹を掌でぽんと鼓す。欄干が廊下へと伸長する。鈴虫が鳴く。

「それはそうと先月の大学生確かに此処にいたよな、あの時の彼らだろう」「・・・・・・・。」

「あの後、警察が事情聴取に来て・・・。」

冷淡に「運が無かった。バスの中で強盗に襲われて」

「やはりそうか・・・彼の御霊に」と盃を上げる。

家族には外務省を通じて一報が入った。メキシコの病院で浩太の変わり果てた亡骸と対面する伯父さんと叔母さんの影が浮かんだ。遺体は飛行機で運ばれて火葬され、葬儀には一も参列した。半年の間に、娘と息子が亡くなる。親父さんの眼が真赤に腫れて奥底の鈍く黒ずんで茫然と立ち尽くす姿が瞼の裏に固くくっ付いて離れない。

「ここに泊ってたんですか?」

「その話はもうやめろ」と多良谷が急に喚き出した。

「すまんすまん。私が始めたからいけない。これで飲んで来なさい」とペソ札を懐から出す。すると顔が明確に揺らいで、会釈をしてさっとペソ札を引った繰り表へ出て行った。入れ替わりにタナカが入ってきてゆいの隣へと座った。

「おつかれさま」とコップに水を注ぐ。

ラム酒を飲み干す。「さっきの話なんですが・・・大学生の・・・」

「ん、知り合いか何かか?」目をぐっと凝らした。

「いえ・・・遺跡に興味が有ってこれから色々とメキシコを巡ろうと計画してまして・・・」

「それこそこの時期にか、他意はない危険だから止めなさい。まあいい。タナカは相変わらず頑張っているようだね。サルー乾杯。君は下戸だったか。メキシコ人は何かと記念日を付けて集うのが慣習なのだよ」

ゆいとタナカは別世界で、お互いの肩同士が擦れあっているようだ。

「多良谷さんはメキシコには長いんですか?」

「そうだな1.2年は居ると思うが・・・。ここのオーナーのヤナギに聞くと言い。なあゆいさん」

「・・・・。」

「彼が一番此処では古株だからな」と大食漢で獅子口の一重切りに口が横に大きく開く。丸太椅子に腰を据え肩を張り少しも姿勢を崩さない。

「しかしその頬の傷は中々立派じゃないか。余所の国へ行ったことが有るかい」

「いえメキシコが初海外で・・・。」

「そうかそれは大変だろう。インドあたりも多いな。日本人は。ティオティアカンの土は踏んだかい」

「明日行ってみようかと・・・・」

「メキシコシティはまだ安全だから人出も集中しているだろう、所用があるから私はこれで失礼する。また会おう」と手を上げてぎいと旅行鞄を引いてペンションを出て行った。

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先裂けて敵陣(メヒコ) 山岡蒙太郎 @yoshitsuki

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