エピローグ

 僕が、心がけていることがある。


 久しぶりに子供と会う時は、必ず笑顔でいることだ。


 僕はリムジンから降りて、大きなログハウスの入口にむかった。ここは森の中にある総合施設で、キャンプ場やロッジが点在していた。


 今日は、モリーが一泊二日のサマーキャンプから帰ってくる。入口付近では、すでに、ご婦人方が子供を待っていた。何人かは顔見知りなので、目礼をかわす。


「パパー!」という声とともに、モリーが走ってくる。しゃがんで両手を広げると、ぶつかるように抱きついてきた。小学校にあがり、身体はずいぶんと大きくなった。ふんばっておかないと、こっちが倒れそうだ。


 リムジンに乗ると、モリーが言った。


「おなかすいたー」


 僕の小さなお姫様は憶えているだろうか? はじめて会った時も、まったく同じことを言っていた。


「なにが食べたい?」

「チーズバーガー!」

「またかい? 他にもっと」

「チーズバーガー!」


 やれやれ、と思いながらも、キャンプを終えたご褒美でもある。モリーの希望に沿うことにした。


 オールド・ヴィレッジのカフェに入る。


 チーズバーガーと、グリルチキンサンドをたのんだ。昼前なのに、すでに席は埋まっている。空席待ちの行列もできはじめていた。


 しばらく待つと、料理が来た。むかい席のモリーが、両手でチーズバーガーを隠している。ゆっくりとした動作で、玉ねぎを抜こうとしていた。それでバレないつもりだろうか? メニューを見て気づかないフリをした。


「モリー、玉ねぎ食べなさい!」

「だってママー」


 ふり返ると、エプロンをつけたジャニスがいた。ジャニスに玉ねぎをなおされ、モリーは、しぶしぶとチーズバーガーを食べた。


 食べ終わった僕とモリーは、駐車場のリムジンでジャニスを待つ。僕とモリーが対面で手遊びしていると、ジャニスが帰ってきた。僕のとなりにすわるなり「しまった!」と言う。


「今日の日替わりデザートは、ナツメグ入りのアップルパイだったのよ。持ち帰り用に用意しといて忘れたわ」


 シューと音を立てて、運転席の仕切りがさがった。ボブが顔をだす。


「おれのですよね? 走って取ってきます」

「裏口入ってすぐに、紙袋で置いてるから。ついでに、ビバリーにも早くあがってと伝えて」


 ボブは、うなずいて出ていった。


「なにも今日まで働かなくても」

「ダメよ、今日は。休日で混むんだから」

「きみが働く必要もないだろう? 誰かにまかせれば」

「それも嫌。せっかくスタンリーたちが作った、卵や牛乳を使うのよ」


 それを頼んだのはきみだ、という言葉を飲み込んだ。


 自分は世間知らずだ。我が家のバターやチーズというのは、売ってみると、思いのほか評判が良かった。「何百年前と変わらない製法」というやつは、現代では貴重らしい。


 乳製品だけでなく、野菜や果実も、手広く作りはじめた。おかげで、ほったらかしだった農地が、かなり再興しはじめている。前執事のバートランドが、経験豊かな農夫だったことも大きい。


「あんな材料を使うのよ。わたしとビバリー、あとはチェン以外に仕込みをまかせられないわ」


 材料だけではないだろう。あのカフェの料理は、別格と言っていい。メイドのビバリーは、いまではすっかりジャニスの片腕だ。チェンという子は、元いた職場から引き抜いた。ここの生活が合うのだろう。いまでは牛の面倒も時々見ている。


 ジャニス、ビバリー、チェン。この三人が、言うところの「メインキャスト」だ。ほかのスタッフには悪いが、この三人が作ると作らないとでは、大きくちがう。


「それにね、質のいいレストランがもっと増えないと、この村もすたれるわよ。土地オーナーとしては、そのへん考えないと」


 それもたしかに。ジャニスのカフェが、うわさで何と言われているか、知っている。


「オールド・ヴィレッジで、ゆいいつの食べるべき店」


 ジャニスの店を褒められて嬉しいが、この状況はどうにかしないと。


 ボブが帰ってきて、車を発信させた。アップルパイの袋から、パイの甘く香ばしい匂いが車内に充満する。


「走らせながら食べていいですか?」


 そう言いながら、持ち帰りのコーヒーを飲む。しっかりそれも、もらってきたようだ。


「ボブ、今日は」


 ボブは僕の言葉を聞く前に、仕切りをあげた。


「パパ、あの話してー」

「モリー、よして」


 ジャニスが顔をしかめた。


「パパが起きた時の話」

「もう、何度も聞いたでしょ!」


 僕は思わず笑った。


「よし話そう。パパはひどく、おでこが痛いのに気づいた。目をあけると、部屋の中はビュービュー風が吹いている。服の上に、小さく砕けたガラスの破片も、いっぱい落ちていた。近くに隕石でも落ちたのかと思ったよ」


 モリーは「うんうん」と目を輝かせた。


「ゆっくりと身体を起こして、右をむくと、なんと血まみれのママが、うつ伏せで倒れていた」

「ママ、死んじゃったー」

「死んでないわよ!」


 横から、ジャニスが口をはさんだ。


「まさか、ステンドグラスの真下で眠ってるとは思わなかったのよ。わたしの後頭部とパパのおでこがぶつかって、気を失ったってわけ」

「ママ、キスは?」

「そうね、気を失う前にキスをしたわ。はい、おしまい」


 運転席の仕切りが、またさがった。ボブがモリーに聞く。


「モリー、あの夜に一番の間抜けな人は、誰か知ってるか?」

「パパ?」

「おしい! 正解は、執事のグリフレット」

「おい、ボブ」

「ボブ、やめてあげなさいよ」


 僕とジャニスの注意は流して、ボブは嫌味な笑みを浮かべた。


「執事様は、ひとりさびしく、池の隅で釣りをしていたのさ。感傷にふけりながら」

「本人は気にしてるんだから、言っちゃダメよ」


 ジャニスがモリーに注意した。


「ねえ、それより今日ほんとにするの?」


 そっと僕に腕をからめながら、ジャニスが聞いてきた。


「するさ! 逃げてたきみが悪い。退院したらするって言ってたのに、それから一年も延ばして」

「だって、いまさら恥ずかしいでしょ」

「それはきみの都合。城のみんなは自分の目で、その瞬間を見たいんだから」

「指輪のつけっこするの?」


 モリーが聞いてきた。


「いや、指輪の交換はしない」


 僕は、横に置いていた紙袋から、箱を取りだした。


「ぎりぎり完成したので、不安だったよ」


 箱をあけ、ガラスの靴を持ちあげた。


「ウエディング・パーティーは、これを履くところから、はじまる」


 ジャニスが顔を押さえる。ボブはハンドルを叩いて言った。


「ドロシーのばあちゃん、きっと嬉しすぎて腰抜かすぞー!」




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