第41話 玉座

「さてジャニス、この愚か者に、次はなにを見せつける?」


 エルウィンは落ち込んでいるようだ。


「次で最後よ」


 庭師たちも加わり、わたしを先頭にして城の玄関から入る。そのまま右にも左にも曲がらず、まっすぐ三つの部屋を抜ける。目当ての扉についた。大きな扉だ。


 ふり返り、みんなの顔を見る。みんなは何の扉か知っているから、困惑した顔だ。


「城主の許可がないと、入れない部屋は三つだけ。そうよね?」


 エルウィンがうなずく。少し嫌そうだ。


「城主の書斎と寝室、もう一つは?」


 わたしはあえて、エルウィンに聞いた。


「王の間だ」

「入ってもいい?」

「ああ」


 うしろの一団がざわつく。やっぱり、入ったことがない人が多いのね。ポケットから鍵をだした。大きな扉の鍵穴に差してまわす。がちゃり! と鍵があき、慎重に扉を押した。


 王の間に入る。大きな部屋だった。真っ白な大理石の柱が立ちならび、そのさきに同じく白い階段。


 階段の最上段には、黒光りする豪華な木の椅子、玉座があった。天井には、王の権威をあらわすかのように、戦の模様が描かれている。


「おお!」と、感動しながら歩く一団とは別に、エルウィンは不満そうだ。


「ここ、好きじゃないの?」

「それほど良い思い出はない。処罰を言いわたすには、効果的な部屋だ。だがもう、今では不要だ」


 ぎゅっと口を引き締めたエルウィンを見ると、ほんとに嫌なんだろう。言いたくない命令も、ここで言ったのかもしれない。


「それでは、わたくしから、ご案内いたします」


 柱の陰から、小柄な婦人がひとりあらわれた。


「リタ?」

「いつの間に?」


 うしろの一団がざわざわしている。わたしは、ふり返って解説することにした。


「王の間。この鍵を持っているのは、実はふたり」


 ポケットから、さきほどの鍵をだした。


「ひとりはエルウィン、もうひとりは」


 リタの元に歩き、鍵をわたした。


「歴代の掃除婦長、いまはリタね。」

「掃除婦長が?」


 誰かが、おどろきの声をあげた。


「王の間が、ほこりまみれでも困るでしょ。この部屋を守るのは掃除婦の役目なの」

「たしかに、きれいだ」


 みんなが口々にそう言って、ぴかぴかの床をなでる。わたしは、もう一度、リタとむき合った。


「お掃除を、お願いします」


 掃除婦長は、うなずいて手を二回たたいた。大理石の部屋に音が響きわたる。


 柱の陰から五人の掃除婦が現れた。バケツを持った何人かは、雑巾を濡らして床をく。ほかの者は柱をから拭きしていった。


 掃除婦長のリタは、階段をあがり玉座に近づく。小さな刷毛はけを取りだして、ほこりを丁寧に落としていった。刷毛が小さいと思ったのだが、王の椅子には複雑な彫刻がある。傷つけないようにするには、小さい刷毛がいいのだろう。


 メイド、大工、庭師たちは、そのようすを、ぽかんと眺めている。


「待って待って、洗剤、使わないの?」


 メイドのカーラが歩み出た。


「使えません」


 掃除婦長は手を止めず答えた。刷毛をしまうと、今度は小さな布巾ふきんで、椅子を拭きはじめる。


「それは無駄だよ。アンティーク用の洗剤はある」


 若き大工、ナサニエルが言った。


「わたくしたち掃除婦ですよ。試してないと思いますか?」


 掃除婦長は、ちらっと若き大工を見て、また玉座を磨きだした。


「一年、いや一〇年ならいいのです。では一〇〇年なら? いまある洗剤やワックスが、どんな影響があるか、わかりません」


 掃除婦長は立ちあがって、ばん! と布巾をはたいた。


「掃除婦たちの結論は、水拭き。あとは蜜蝋みつろうを少し塗るぐらいです」


 リタは「どうぞ」とエルウィンに玉座を勧め、階段を降りた。エルウィンは動かず、玉座を見つめている。


「たまげたな」

「ええ。掃除婦の連中が、お茶の時間に姿を見せないわけです。これはいそがしい」


 声から察するに、大工長と庭師長だ。


「エルウィン?」


 わたしは、エルウィンの顔をうかがった。エルウィンは、無表情で玉座を見つめている。


「愚かどころか、裸の王だな」


 エルウィンはそう言うと、階段をあがって行った。王の椅子に手をついて、みんなを見る。


「これは、燃やそう」


 王の間にいた全員が目をむいた。


「な、なにを、おっしゃられますか」


 エルウィンは、玉座を軽く手のひらでたたいた。


「何百年前の椅子か忘れたが、これに座れる人間ではないようだ」


 自分をあざけるような笑みを浮かべる。


「皆の苦労をつゆとも知らず、高いびきだ。亡き父も墓石の下であきれておろう」

「みんな、好きでやっていることです!」


 メイドのカーラが大きな声で言った。エルウィンが、首をふる。


「愚か者の宿命に、皆が連れ添う必要もない」

「それはちがいます! この城だからこそ、我ら職人が生きていけるのです」


 庭師長が、切実な顔で訴えた。


「馬鹿ね、エルウィン」


 わたしは、みんなの前に歩み出た。


「わたしが言いたかったのは、そうじゃないの」


 エルウィンが片方の眉を釣りあげた。彼の怒った顔を、はじめて見る。


「ここはね、大きな大きな秘密があるんだけど、その下に、小さな小さな秘密がいっぱいあるんだなって、感動したの」


 横に移動して、エルウィンとみんなの両方を見た。


「もうね、奇跡みたいな、お城。そこに少しでも住むことができて」


 わたしは両手を広げた。


「みんなのお陰。ほんとうにありがとう。わたしが言いたかったのは、それだけ」

「またいつでも」


 若きメイドのビバリーが、そう言いかけて、口をつぐんだ。自分が言えることではないとエルウィンを見る。その視線を受けてエルウィンは、わたしに言った。


「僕が眠っている時でも、いつでも来たらいい」


 返答に困った。ここの人たちには会いたい。でも、ここにくればエルウィンが眠っていることを感じてしまうだろう。それは、つらくはないのか?


 みんなが、わたしを見ていた。視線をさけて天井を見る。戦の絵だった。あまりにちがう世界。わたしの世界とは、ちがう。そう思えばいい。


 視線をおろして、城主と見あった。


「エルウィンは、最初に言ったでしょ。僕の家だって。ここは、エルウィンの家であり、みんなの家だと思うの。お城を守るなら、その家族だけのほうがいい」


 もう一度、みんなを見た。


「だから、もうこないと思う」


 エルウィンが口を引き締めた。メイドのビバリーが、泣いているのが見える。


「でもね!」


 わたしは声を大きくした。もう一度、階段の前に出て、エルウィンにむく。


「みんながエルウィンに言いたいのは、そうじゃないわよ」


 エルウィンが、首をかしげた。


「今日、いっぱい見たでしょ?」


 エルウィンがうなずく。


「ここの人、あれをずっと、続けそうでしょ?」


 エルウィンが、大きく、うなずく。


「安心して、ゆっくり眠ってねってこと!」


 エルウィンは、うなずく動きを止めた。そして、納得したように、何度も何度も、うなずいた。


 みんなが黙っている。余計なことだったのかも。でも、知れば知るほど、エルウィンに伝えたかった。


「はい、わたしのツアーは、これで終わり!」


 わたしは王の間を出ようと歩きだした。手をたたく音がして、ふり返ると大工長が拍手をしている。みんなも拍手をしだした。拍手は、わたしとエルウィンに送られている。


「いいツアーでしたよ」


 庭師長がそばに来て、そう褒められた。だんだん恥ずかしくなってきた。


「嬢ちゃん、おめえさんには感謝だ。なあ?」


 大工長が、となりのナサニエルに聞く。ナサニエルは玉座を指した。


「あの椅子は、何百年じゃなくて、昨年に、おれが作りました」

「ええ!」


 みんなの視線が、ナサニエルに集まった。


「だって、その、リタに頼まれて」


 みんなが一斉に、掃除婦長を見る


「それはその、ちてどうにもなりませんでした」


 みんなが「信じられない!」といった目で玉座を見た。大昔に作られた椅子にしか見えない。エルウィンも、置いていた手を離して、まじまじと見ている。


「だめなんだよ、密閉された空間に家具を置いちゃ」


 ナサニエルは、わかってないなあ、とばかりに、ぼやいた。


「いたっ!」


 大工長がナサニエルの、あたまをたたいた。


「おめえは、ほんっとに鈍い、鈍すぎる!」


 これには、わたしもエルウィンもみんなも、思わず笑ってしまった。

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