第36話 大工長とナサニエル
馬小屋から帰った。
昼食を食べ、また池で遊ぶ。
全員で行動するわけではないが、みんなはなんとなく同じ場所にいた。
スケートをする者もいれば、焚き火を囲んで、ホットウイスキーを飲んでいる者もいる。
おそらくいま働いているのは、執事ぐらいだ。そう思ったが、池の端っこに穴をあけて釣り糸を垂れている。
なにか釣れるのだろうか。庭師長の息子が、すべって行って穴をのぞき込んだが、すぐに飽きて引き返した。
よし、なんでも勇気だ! わたしもスケート靴を履くことにした。それを見かけたエルウィンが、すぐに手を差し伸べてくれる。
エルウィンの手をにぎり、第一歩をふみだすと、盛大にこけた。庭師長も来て、今度は左右で手を引かれる。
「おばさん、こけても大丈夫だから」
うしろで声がした。息子のジェームスが、わたしの背後から腰を持って支えてくれた。なんて贅沢。紳士三人に守られ、湖の中央まで進む。
ゆっくりと、三人の紳士は手を離した。
立てた! 思わず両手をあげる。池の真ん中に立つことなんて、人生で珍しい。まわりを見てみた。林のむこうには、お城が見えた。手前にあるベニア板の小屋が見苦しいが、即席なのでしょうがない。
「ゆっくり、右足をだして」
ジェームスが、そう言って見本を見せてくれた。わたしも右足をだす。
「次は左足」
左足をだした。すると右足が、すべってさがる。結果、なにも進んでいない。何度も試したが、まったく進めないということがわかった。
紳士三人の手によって岸辺にもどされる。ダンスがちょっと踊れたからといって、調子に乗るんじゃない。そう自分を反省した。
「最初にしちゃあ、うまいものです。いい挑戦でしたね」
庭師長は、そう言って笑顔を見せた。ほんとに、ここの人たちは。
モリーはパーティーで「最高のツリー」と言った。最高なのは、ツリーじゃない。ここの人だ。みんなのためにコーヒーを淹れよう。そう思い、お城の食堂にもどることにした。
お城の人たちには、お世話になりっぱなし。わたしにできることは、パンを焼くかコーヒーを淹れるか、それぐらい。特にエルウィンには、なにかしてあげたいが、なにも思い浮かばない。
お城に入る前に、庭の噴水に人が見えた。その噴水は、同僚の勘ちがい男、チェンが車で突っ込んだ噴水だ。石で作られた腰の高さほどの小さな噴水だった。今は砕けてガレキが散っている。
近づいてみると、壊れた噴水を見ているのは、若い大工。たしか名は、ナサニエルと言った。くしゃくしゃのクセ毛で、眼鏡をかけている。体はきゃしゃで、大工と言うより数学者が似合いそう。
噴水と、そのまわりは、雪がどけられていた。若き大工は
「なおせそう?」
わたしは、這いつくばった背中に声をかけた。
「いえ、修理はしません」
若い大工は、こちらを見ずに答えた。
「このまま、固めます」
「固める?」
意味がわからず聞き返したが、それには答えず、熱心にしらべている。ガレキと地面のあいだを見ているようだ。
「どうだ、大工長、できそうか?」
うしろから声が聞こえて、ふりむいた。この人も大工だ。工具箱を抱えて歩く姿を何度か見たことがある。帽子をかぶった下の顔はシワが深い。年齢は、前執事のバートランドと同じぐらい高齢だろう。
さきほど、若いナサニエルを大工長と呼んだ。この若さで?
「パット、その呼び名はやめてください」
若い大工は起きあがって、眼鏡をなおした。パットと呼ばれた老大工は、わたしの方をむいて笑った。
「こいつは八歳ぐらいから、ここで働いてるやつでね、いまでは一番、腕がいい」
若い大工は嫌そうな顔をして、去っていった。
「おや、ヘソ曲げたようだ。わしのあとを継いで、大工長をやれって言ってんですがね。これだ」
やっぱり、こちらの老人が大工長だったようだ。
「そんなに腕がいいの?」
「そりゃあもう。おたくの部屋の長椅子があるでしょ、あいつが作ったもんでさ」
猫足のついたクラシックな長椅子だ。アンティークかと思ったら、あの子が作ったものだったのか。それより、さきほどの若い大工との会話を思いだした。
「この噴水、修理しないの?」
大工長は、うなずいた。
「旦那様は、そのままにしておいてくれと」
「そんな」
きれいな庭が台なしだ。エルウィンは庭には興味ないのだろうか?
「池の小屋も、そのまま、ほっといてくれと言われました」
あの小屋まで。
ベニア板の小屋だった。景色とまったく合ってない。わたしの顔を見て、大工長が、にやっと笑った。
「よほど、気に入ったんでしょうな」
「はっ?」
言っている意味が、まったくわからなかった。
「おや? 嬢ちゃん、ナサニエルの若造みたいな
わたしは思わず口を押さえた。びっくりだし、なんだかとっても恥ずかしい。しかし大工長から見ると、わたしは「嬢ちゃん」なのか。
「こうなるなら、オーク材でも使って、もっと立派な小屋にしときゃよかった!」
大工長の苦々しい口調に、つい笑った。
残すというのはわかった。でも疑問がある。
「さっき、固めるって」
「そりゃ、ほっといても形は残らねえ。一〇〇年ですからね」
ああ、そうか! そのままにしたら、崩れていく一方だ。
「どうやって固めるんです?」
わたしは壊れた噴水を見た。ガレキが、あちこちに飛んでいる。
「下の石畳とガレキを、ボルトでつないでね。あとは見えない隙間に、漆喰を入れてやるんでさ」
なるほど! すごい職人技だ。
「問題は小屋のほうで。ベニア板なんぞ、雨風にさらせば、すぐ腐っちまう」
「どうするんです?」
「修理し続けるしか、ねえでしょうな」
「も、もうしわけないです」
手間を増やした。それも未来永劫。その長さを考えると、ぞっとする。
「なあに、たいしたことはねえ。旦那様が起きた時、自分の家は変わってねえほうがいいでしょう」
はっとして、お城をふり返った。そうだ、お城の中にはベニア板どころか、新しい木材は一つもなかった。ただ守っているのではない。維持し続けているのか。
「それってすごい! すごい技術ですね」
大工長は、照れくさそうに帽子を脱いで、あたまをかいた。
「へへっ。そう言われると、職人冥利につきまさあ」
やってみたいことが、ひとつ浮かんだ。でも、それは、お城の人間の協力がいるし、かなり、お節介なことかもしれない。
執事に相談しよう。そう思った。
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