第19話 ふたりのメイド

 夕方になり、チェンを玄関まで見送った。


「一緒に帰ろうか?」


 わたしは言ってみたが、チェンは首をふる。


「ごめん、せっかくの休みを台なしに」


 そう言いかけたチェンを抱きしめてさえぎった。わたしを心配してここまで来たのだ。あやまることは、なにもない。


 今日は運転手のボブがいないようで、執事が代わりに送るらしい。執事の運転するふつうのセダンが城の前にきた。


 チェンが乗りこみ、車は静かに走りだす。車に手をふり見送った。


 それから部屋に帰ろうとしたところ、ふとメイドのカーラに声をかけられた。


「ご夕食を、一緒にいかがですか?」


 もちろん断る理由はない。モリーと一緒にメイドのあとを追う。使用人の食堂に着くと、もうひとりメイドがいた。


「妹のフローラです」


 姉妹か。よく見ると似ている。しかし背の高いカーラにくらべ、妹は背が低い。ふっくらとしていて優しい印象を受ける。黒髪は同じだがカーラは長く、フローラは肩より短い。顔はいっしょでも、ほかは正反対の姉妹ね。


 フローラは、こちらに笑顔を見せ、食事を持って出ていこうとした。エルウィンの食事だろう。


「モリーも行くー!」

「だめよ!」


 モリーを捕まえたが、腕の中で暴れる。妹のフローラが笑った。


「いいですよ。あの方は怒らないと思います」


 いいと言われたら、わたしのほうが困るのだけど。モリーの前にしゃがみ、肩をつかんだ。


「いい、モリー、フローラの邪魔をしないでよ」

「うん!」


 モリーは元気に答え、フローラのあとを追う。もう、心配でしかない。


 姉のカーラが、わたしたちの食事をテーブルにならべてくれた。ならべ終えて待っていても、フローラとモリーがもどってこない。


 モリーが邪魔して、フローラが食事を落としているかも。そんな心配をしていると、フローラが帰ってきた。なぜかひとり。しかも、くすくす笑っている。


「エルウィン様と、一緒に食べたいようです」

「彼と?」


 あわてて立ちあがろうとしたら、カーラが止めた。


「面白いですね」

「娘と食事をするなんて、迷惑かけるに決まってる!」

「それはわかります。でも、ね?」


 カーラがそう言って、妹に目くばせする。妹のフローラが笑ってうなずいた。


「はい。はじめて、じゃないでしょうか」

「エルウィンが、小さい子と食事するのが?」


 わたしの言葉に、ふたりは見合った。


「まさか、人と食事するのが?」


 カーラがうなずく。わたしの家で彼は普通に食べていた。お城ではいつも一人なのか。おどろいていると、フローラは、モリーの食事を銀盆に乗せた。


「とりあえず持っていってみます」


 もう一度、出ていった。


「ジャニス様、食べましょうか」

「様は、よして。お願い」


 たしかに待っていてもしょうがない。食べることにした。食べはじめたところ、フローラがまた、くすくす笑って帰ってくる。


「迷惑かけてない?」

「ひとりでは無理みたいです」


 フローラは、自分の分を銀盆に乗せだした。嬉しそうなフローラに姉が聞く。


「まさか、あんたまで呼ばれた?」

「姉さん、代わらないわよ」

「うわっ、役得!」


 そんな姉妹のやり取りを、ぽかんと見ていた。まかせていいようだ。


 ひろい使用人食堂には、わたしとカーラ、ふたりだけ。わたしたちの食べる音と、たまに暖炉の薪がわれる音がした。


「今日はもう、みんな帰ったの?」

「ええ。うろうろしてましたが」


 うろうろ? わたしは首をひねった。


「男性陣は、それこそジャニスに、ビールの一杯でも、おごりたいのでしょう」

「わたしに? なにかしたかしら」


 みんなに迷惑はかけたけど、おごられることはしていない。カーラは、にんまりと笑った。


「執事が怒られる場面なんて、はじめて見ましたもの」


 そこなのね。思いだし恥ずかしくなった。「うるさい!」と、怒鳴ってしまった。


「夢中だったのよ」

「あれは見ものでした」


 もう肩をすくめるしかない。


「それになんだか、嬉しくなりました」

「嬉しい?」

「あたしたち以外にも、ここの城主を大切に思ってくれる人がいる。というのが新鮮で」


 そうか。この城は隠された世界だ。友達に話すわけにもいかない。


「だから、みんな、あなたと話したそうにしてました」

「ありがとう」


 わたしはカーラにほほえんだ。わたしも嬉しい。


「すいません。最初は、なにしに来たんだろう? と思ってました」

「それはね、わたしも思ってる」

「え? では、グリフレットがだまして連れて来た、というのは、ほんとうですか」

「だましてはないけど、なにも知らずに来たのはたしかね。ジェット機を見て腰を抜かしたわ」


 カーラは笑ったが、わたしの首筋に目をやって、眉をひそめた。


「首筋が赤くなってます」


 カーラが席を立ち、小さな薬の瓶を持ってくる。


「オトギリソウが入った軟膏です。あとで塗ってください。傷跡になったら大変です」


 手に取ってみた。市販の薬ではないようで、ラベルもなにも貼ってない。


「ほんとに首に当てたのですね。無茶をします」

「かっ! となってたから」


 スープを口に運ぼうとしたカーラは、ふと手を止めた。


「傷つきませんでしたか?」

「ええ、大丈夫よ。そんなに強く当てたわけじゃないから」


 わたしは首筋をさすった。


「そうではなく、エルウィン様の言葉にです」


 カーラの言いたいことは、わかった。エルウィンが言った「ただの知り合い」という言葉だ。


「そうね」


 わたしもスプーンの手を止めて考えた。


「ふつうの人だったら、心を惹かれたかも。でも秘密を知ったら無理ね」

「秘密を知るまでは、どう思っていたんです?」


 ちょっと返答に困った。はぐらかす言葉を探して、最初のエルウィンを思いだした。わたしは声をひそめて言った。


「すごい格好だったのよ」


 カーラが興味津々といった顔で、前のめりになる。


「聞かせてもらっても、いいですか?」

「いいわよ!」

「あっ! 待ってください」


 カーラは立ちあがり、調理場からワインを一本持ってくる。


「ワイン飲まれます?」


 ワインを飲むなんてひさしぶり。


「その顔だと、飲める口ですね」

「最近は、そんな時間もなくて」

「やっぱり大変ですか?」

「そうね。カーラは? 聞いていい?」

「あたしも妹も、まだです。彼氏はいたり、いなかったり。ここで働いているので、考えすぎちゃいます」


 それは、わかる気がする。カーラは、ワインをグラスに注いでくれた。白ワインだ。


「すごいわね、これ、マスカットのような匂い!」


 いい匂いだった。思わずグラスに近づいて嗅いでみる。


「ミュスカデ、というブドウからできたワインです」


 ひとくち飲んでみた。甘いマスカットのような香りとは逆に、味は甘くない。すっきりと切れ味がするどいワインだ。


「美味しい!」

「ありがとうございます。母の実家のなんです」

「いいわね、美味しいワインがいつでも飲める!」

「よければ一本、お土産にも」


 わたしは困って、思わずほうづえをついた。


「余計でしたか?」


 あわてて手をふる。


「ちがうの。これはバレエシューズと同じだと思って」

「バレエシューズ?」

「大事に取っておいて、だめにするパターンだと自分に注意してたの」


 カーラが笑う。


「それではぜひ、何本かまとめて」

「いま、娘の食い意地がだれに似たのか、やっとわかったわ。ずうずうしいけど断れない!」


 わたしの苦々しい顔を見て、またカーラが笑った。カーラは美人なので、無表情だと冷たく見える。でも、根は明るいのかもしれない。


 さあ話そう! そう思った時に、モリーが帰ってきた。うしろにはフローラもいる。しまった、モリーの食べる速度を忘れていた。この子は早い。ちらっと、ワインのボトルを見た。ほとんど減っていない。でも、しょうがない。よくあること。わたしは席を立った。


「モリー、お部屋にもどろうか」

「えー、フローラは?」

「フローラは、まだお仕事よ」

「やだー!」


 わたしが困っていると、新しい銀盆を持ったカーラが言った。


「この子の気持ちは、あたしも同じです。ご迷惑でなければ、いかかでしょうか?」


 カーラが、どこに行こうとしているかは、すぐにわかった。


「もちろんよ!」


 昼間のテーブルが役に立ちそう。カーラが、妹のフローラに声をかける。


「あんたどうする? あたしはジャニスに、最初の出会いを聞くけど」

「ちょっと! モリーに呼ばれたのは、あたしよ」


 フローラは調理場から同じ白ワインを、もう一本取りだし、わたしに笑った。


「お邪魔させていただきます」


 そして昼間のテーブルは、女性四人でぴったり埋まった。寝室で取る食事は、思いのほか楽しかった。娘のモリーは勝手に遊んでくれる。ひとりに飽きだしたら、姉妹のどちらかが遊び相手をつとめてくれた。


 モリーは途中で寝たが、三人の話は終わらない。子供を起こさない声でも、話は盛りあがる。それに小さな声でも、まわりの音がないので、よく聞こえた。


 森に囲まれた城の夜は、とても静かだ。遠くで、野鳩やフクロウの鳴き声がたまに聞こえた。その昔も、こうして女性たちは、夜にひそひそと話したのだろうか?


「王様は、なにを考えておるのでしょう」

「執事には、ほとほと困りますわ」


 そういった話をしていたのかもしれない。お城の昔に思いをはせながら、今の城にいる人間とおしゃべりしている。そんな奇妙な感覚を楽しみながら、夜は静かにふけていった。

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