第18話 恋の修羅場

 物音を聞きつけて、人が集まってきた。


「最近、よく見ますな。こういう光景を」


 そう言ったのは、執事。一気に恥ずかしくなった。


「ジャニス、大丈夫。いっしょに帰ろう」


 ケーキナイフの刃先が揺れている。近づこうとしたが、またエルウィンが止めた。エルウィンは、チェンの顔をじっと見ていたが、なにかに気づいた。


「そうか、あの店の。きみは、ジャニスの同僚だな」

「そうだ」

「たいしたものだ。ここまでくるとは」

「ジャニスをはなせ!」

「きみはジャニスの恋人か?」


 なにを言いだすんだろう? この城主は。


「待ってエルウィン、言ったら、おばさんと子供よ」

「年齢は関係ない。きみが好きだから、追いかけてきたのだろう」

「ちがうの。チェンはね、わたしが」


 エルウィンは説明を聞かず、説得をはじめた。


「僕とジャニスは恋仲ではない。ただの知り合いだ。誤解しなくていい」

「ちがう!」


 チェンが大声でさけんだ。


「ジャニスは、おれに優しい、たったひとりの同僚だ!」

「では、好きではないのか?」

「好きって、料理をすべて教えてくれたのはジャニスだ。返しきれない恩がある」


 ああ、もう聞いてられない! まわりを見た。庭師のひとりが、手に斧を持っている。その斧をぶんどった。持ちにくくて腹が立ってくる。なんで斧なのよ、いっつも!


 片手では重くて持てず、両手で持ってさかさにした。斧の刃を首筋に当てる。自分の首に。


「チェン! ケーキナイフ捨てないと、首をかっ切るわよ!」


 チェンは動揺して、わたしにナイフをむけた。なんで、わたしにむけるのよ。


「わたしはここに遊びに来てるの! わかった?」


 チェンが右へ左へ首をふってわたしとエルウィンを何度も見ている。混乱に輪をかけてしまったようだ。エルウィンまで、動揺した顔をした。


「ジャニス危ない。よしてくれ。よし、チェンと言ったな。とりあえずきみは、刃物を置こう」


 チェンが、エルウィンに刃物をむける。


「彼を傷つけたら、許さないわよ! わたしのあとに、あなたもかっ切るから!」

「ジャニス様、順序が」

「うるさい!」

「チェーン!」


 うしろから、モリーの声が聞こえた。チェンとは顔なじみだ。おそらく手をふって走ってきているだろう。


「ほんとに休暇なのか」


 チェンがケーキナイフをおろした。みんが「やれやれ」と、ため息をつく。わたしも、やれやれだ。こんな気分だったのね、昨日の人は。明日、みんなが来たら謝っておこう。


「ここを、なんだと思ったの?」

「マフィアの家だと思った。人身売買にでも捕まったのかと」

「あのね、こんなおばさん誰に売るのよ」

「ジャニスは、きれいだから。年のわりに」


 びみょうに褒められた。そして、ティーンネイジャーから見ると、やっぱりおばさんだ。


「一度、お部屋に、おもどりください」


 執事に言われた。みんなにあやまりたかったが、チェンは、まだ動揺している。とりあえず、チェンを連れて部屋にもどった。


 昼に置いたテーブルにすわらせ、水を飲ます。むせ返ったので背中をさすった。思えば十代の子供だ。どれほどの緊張を超えて来たのだろう。気の毒なことをした。


 窓から、レッカー車が入ってくるのが見えた。チェンのレンタカーを引き取りに来たようだ。こわれた車の費用は、なんとかなるらしい。借りる時に、わからないまま最高の保険をつけていたのが良かった。きっと窓口の人間は、噴水にぶつけるとは思わなかっただろう。


「ごめんよ、おれはてっきり」


 わたしは無言で笑って答えた。「この馬鹿!」と、怒鳴ることもできるけど、悪気はないし。それに誰かがケガをしたわけでもない。あとは、わたしとチェンで弁償するだけだ。もちろん、分割払いができればだが。


 ノックの音がして、執事のグリフレットが入ってきた。手には封筒を持っている。


「列車と、飛行機の手配ができました」


 そうだ、メイド長に借りた服を返さないと。わたしはそう思って、自分の服を探したが、どこにもない。執事はチェンの横に立った。


「どうぞ。駅まではのちほど、お送りいたします」


 あら、わたしは? そう思って執事を見た。執事は、ちらりとこっちを見ただけ。チェンは立ちあがって、封筒を受け取った。


「お庭は弁償します。いますぐは無理ですけど」


 執事は、それには答えず淡々と説明をはじめた。


「エルウィン様からの伝言です。庭も飛行機代も、気にしないでいいと」

「えっ?」

「そのかわり、ジャニス様が帰ったら、今後も悪者から守るようにと」


 チェンが、わたしを見たので、わたしもうなずく。わたしを守らなくていいけど、ここは好意に甘えたほうがいい。だいたい、あの噴水が自分たちに弁償できる金額なのかも、わからない。


 執事はそれだけ伝えると、帰っていった。「あの」と声をかけたが無視された。まったくもう、あいかわらず読めない人だ。

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