第17話 チェンを待つ

 食堂に人が集められた。


 昨日よりずっと少なく七、八人ていど。見た顔はいない。お城に勤めるのは、やっぱり交替制のようだ。執事が状況を説明する。


「ということで、予期せぬ来客がありますが、くれぐれも、エルウィン様の身辺をさわがすことのないよう」


 集まった人々は、わたしの方をじろりと見た。みんなの目が冷たい。気持ちはわかる。城主が帰ってきたと思ったら、よく知らない女と子供がついてきたのである。おまけに、その女を追っかけて人がくる? もう、これほど最悪な第一印象はないだろう。


 わたしは食堂を出て、玄関にむかった。今日一日、玄関の前でチェンを待つ。


 娘のモリーは、メイドが見てくれている。この騒動は聞いていると思うが、やっぱり無表情だった。


 階段の上に立ち、庭の入り口を見つめる。


 玄関のここが一番目立つはずだ。わたしを見れば安心するだろう。泥棒のように侵入でもされたら、お城の人に顔むけできない。


 さいわいにも、エルウィンはこない。お城にいるときは、ほとんど自室にいるそうだ。それはそれで健康に悪そうだが、いまは会いたくない。


 しかし、じっと待っているのは寒い! わたしは階段を行ったり来たりして、体を動かした。ふと、あの靴はどうやって脱げたのだろう、と疑問に思った。スニーカーのひもをゆるめ、階段をかけおりる。うまく脱げなかった。もう一度。今度は階段の真ん中で、うまく脱げた。


 白亜の城、階段に、わたしの汚いスニーカー。


「お昼ですが」


 階段の上にメイドがいた。あわてて、スニーカーを履く。


 部屋にもどると、掃除が済んだあとだった。ベッドの布団や、シーツもきれいだ。窓ぎわにテーブルが用意されている。その上には簡単な昼食がならんでいた。


 昨日の夜は使用人の食堂で、メイド長のミランダと一緒に食べた。今日は、ここでってわけね。すこし、さみしいけど仕方ない。


「午前中は楽しかった?」

「うん!」


 さきほどのメイドは、カーラと言うらしい。モリーが、カーラと遊んだことを色々と話してくれた。わたしには冷たくても、モリーには優しくて安心した。


 もうチェンって、早くこないかしら。そう思いながら庭を見ていると、庭の外側にある雑木林の草むらが、大きく動いたような気がした。目をこらして見つめる。やっぱり動いた。それも犬や猫じゃない。草むらは大きく揺れている。


 わたしは部屋をでた。玄関に急ぐ。途中、すれちがったカーラに「モリーをお願い!」と言う。


 玄関をでると、草むらに走った。草むらのおくは雑木林だ。そのまま走って草むらを抜ける。


「チェン!」


 大声で呼んでみた。あたりを見まわす。人の姿はない。がさっと、枯れ葉をふむ音がした。大きな木のうしろ。まわり込む。どんっと、お腹に棒がぶつかった!


 思わず痛さに顔をゆがめて、うしろに倒れる。見ると鹿だ。ツノが大きい。ぶつかった鹿は興奮していた。わたしの目の前で、威嚇いかくするようにツノを左右にふる。はじめて野生の鹿を見た。わたしは腰が抜けたのか、からだが動かない。


 別の方から、がさっ、がさっと足音が聞こえてくる。鹿が首をあげた。足音に気づいたようで、飛ぶように逃げていく。


 良かった。助かった。ほっと一息つくと、うしろからジャンパーをかけられて、びっくりした。イエローのジャンパー? ふりかえると、エルウィンだった。


「アカシカだ。臆病な生き物だが、反撃する力はある」

「エルウィン! どうしてここに?」

「僕の食堂から、走っているジャニスが見えた。そんなに鹿が珍しいのかい?」


 どう答えるか迷って「ええ」と、あいまいに返事をした。


「どうも、皆のようすがおかしい。言いたくなければ、それもいいのだが」


 雑木林から庭にもどると、歩きながら言われた。わたしは歩くのをやめ、エルウィンを見る。


「あのね、わたしの同僚がね」


 そう言った瞬間、門から車が勢いよく入ってきた。運転席の顔が見えた。チェンだ! チェンと目があった。車はわたしたちの方へ、突っ込んでくる!


 エルウィンが、わたしの手を取り走る。短い階段をおりて、噴水のうしろへまわった。


 車は勢いそのまま階段をおりてきた! がったんがったんと、タイヤは大きく跳ねる。チェンが、右へ左へハンドルを切っているのが見えた。コントロールできてない。


 そのまま噴水にぶつかった! かけ寄ろうとしたが、わたしの手をエルウィンが引いた。チェンが降りてくる。手にはナイフを持っていた。よく見たらそれ、お店のケーキナイフじゃないの!


 エルウィンが、わたしの前に立った。


「ジャニスを返せ!」

「その刃物を置きたまえ」

「チェン、誤解よ!」


 鹿で一度、腰を抜かしたからか、わたしは意外に冷静だ。この状況にあきれてくる。


 なにこの、恋の修羅場みたいな場面は!

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