第498話 カリスト大司教の巡礼記 その1

「この大河を海まで移動するのは始めてです」



「そうですねぇ、私も数回だけですよ。大抵はナジェールを経由する事が多いですからね、五国大陸に行く時くらいしか海まで行きませんし」



 教会本部を出発したカリスト大司教一行は、アイル達と旅した大河を更に下っていた。

 一行の中で最年少である聖騎士のエクトルは初めて通る河路に目を輝かせながら景色を眺めている。



巡礼の旅は一般の巡礼者と同じような服装なので、彼らの顔を知らない限り気付く者はいない。

 気付いた者がいても、巡礼姿に気付くと知らないフリをしてくれるので必要以上に騒がれる事も無かった。



 そんな状況で毎晩寄港しながら約十日、彼方に瑠璃色にきらめく海が見えてきたので多くの乗客が甲板に出ている。

 その中には離れた場所からカリスト大司教一行の様子を伺う教会本部の情報部隊の二人もいた。



「確かアルフレド先輩は一度五国大陸まで行った事があるんですよね? その時はどうでしたか?」



 エクトルと同じく初めて通る河路に興奮気味のオラシオが振り返ってアルフレドを見た。



「どうって……、あの時は新人で先輩達の言う通りにするだけだったからなぁ。幸い海で魔物も出なかったし、本当にただついて行ったという感じだったな。だがその時にカリスト大司教と話す機会があったからこそ今の私がいると言っても過言ではない」



「ふふふ、懐かしいですね。あの時はすでに賢者ソフィア様も高齢でしたし、しかも年々気難しくなっていらっしゃってアイル様のように気軽にお話できませんでしたからねぇ。新たな賢者様がいらっしゃったらというアルフレドの呟きを聞いて思わず話しかけたのが最初でしたか」



 懐かしそう目を細めるカリスト大司教に、アルフレドは大きく頷いた。



「はい! 覚えておられましたか! あの頃は私のような新人は賢者ソフィア様はもちろん、カリスト大司教と話せる立場ではありませんでしたからね。あの時声をかけていただいてとても驚きました」



 エクトルとオラシオは初めて聞くカリスト大司教と先輩騎士のアルフレドとの出会いの話に興味深そうに耳を傾けている。

 同時に同じように話に耳を傾けている人物がいた。情報部隊の二人である。

 会話を聞こうと少しずつカリスト大司教達に近付き、聞き耳を立てた。



「私と同じような事を考えている人がいて嬉しく思ったのです。……そこの二人もここで一緒に話を聞いていいんですよ?」



 カリスト大司教はその時の事を思い出して微笑んだ。そして微笑みを浮かべたまま甲板の上の人の群れに視線を向ける。



「「ッ!?」」



 下手に気配を消すと逆に聖騎士の三人に気取られる危険があるので、あえて気配を消さずにいたとはいえ、まさかカリスト大司教に気付かれるとは思っていなかった情報部隊の二人。

 アイコンタクトでどうするか相談するが、二人共明らかに動揺している。

 一方聖騎士の三人は全く気付いていなかったせいで、慌てて周囲を警戒し始めた。



「カリスト大司教、いったい何が……!?」



「大丈夫ですよ、害はありませんから。アルフレドならば聞いた事くらいあるでしょう? 教会本部の情報部隊の存在を」



 アルフレドがカリスト大司教を背に庇うように立ち、それに呼応するようにカリスト大司教の後方を埋める位置にエクトルとオラシオが移動する。

 そんな三人をなだめるように、カリスト大司教は微笑みを崩さずに言った。



「え!? あの教皇様直属と言われている情報部隊ですか!? だとしたら私達が気付かなかったのも納得ですが……」



 驚いてカリスト大司教を振り返ったアルフレドの言葉に、情報部隊の存在自体が初耳のエクトルとオラシオは目をまたたかせた。

 そして甲板を行き交う人達の中から、どこから見ても一般の乗船客にしか見えない二人が歩み出て来た。



「いったいいつからお気付きに?」



 歳の頃は三十には届かない程度の男が気まずそうにカリスト大司教に質問した。

 もう一人はエクトルやオラシオと同じくらいだろうか、確実に二十代前半に見える。情報部隊長には決して気付かれないようにと厳命を受けていたのに、姿を見せてしまった上司に戸惑っているようだ。



「ふふ、それはもちろん乗船した直後からですよ。聖騎士の三人も気付かないくらい他の乗客に馴染んでますが、情報部隊の方々は独特の雰囲気を持っていますからね。まぁ、あくまで私が他の情報部隊の方々を知っているからこそであって、他の者が気付くとは思いませんから安心してください」



 微笑んだままそう言ったカリスト大司教に聖騎士の三人は尊敬の眼差しを、情報部隊の二人は畏怖の眼差しを向けた。



「ですが……、なぜ今まで知らないフリをなさっていたのですか?」



 年嵩としかさの男が再び問うと、部下の男だけでなく聖騎士の三人も尤もだと言わんばかりに頷いた。



「今までは大きな声を出さないと聞こえない距離にいたではありませんか。さすがに目立ってしまうのはよろしくないでしょう? どうせ教皇様の命令で私がアイル様の元へ一直線に向かわないか監視するためでしょうから。監視をつけられるなんて、少々浮かれ過ぎていたようですね。私もまだまだ修行が足りませんねぇ」



「あの、どうか我々の事は内密に……」



「わかっていますよ。そうですねぇ……私の脱げてしまった靴を拾ってもらったのをきっかけに怪しまれず会話できる関係になったと報告しては? せっかくですからお二人の名前も聞かせてください。私達の部屋へ移動しましょうか」



 その日、二十八歳のウーゴと、二十二歳のイサークがカリスト大司教の一行に加わる事が決定する。

 なお、食事のたびにアイルの料理の話を聞かされた二人は、船が五国大陸に到着する頃にはアイルの広めた料理を早く食べたいとしきりに言うようになっていた。



 そんな二人を見て満足そうに目を細めたカリスト大司教の姿に、聖騎士の三人は更なる尊敬の念を胸に抱いたとか。

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