第378話 最初の宿の朝

[side エドガルド]


「アイル、私がどんな気持ちでウルスカに来たかわかってるかい? ありえないと分かっていても、娼婦になるくらいならどこかへ閉じ込めてしまおうと決意したくらいさ」



 そっと抱き締めると、アイルは濡れた黒曜石の様な美しい瞳を潤ませて私を見上げた。



「エド…、閉じ込められるならエドの腕の中が良いな」



 恥ずかしそうにそう言うと、アイルはほんのりと薄紅色に染まった頬を私の胸元に寄せた。

 夢見心地というのはこの様な気分の事を言うのだろう、私は込み上げる熱で体温が上昇するのを感じた。



「アイル、口付けても良いかい?」



「ばか…っ、そんなの態々わざわざ聞かないでよ…」



 アイルの顎に指を添えて上を向かせると、上目遣いで可愛らしく睨まれてしまった。

 身を屈めるとアイルは私を受け入れる様に目を閉じた、その薄く開けられた唇に吸い寄せられる様に唇を重ねーーー。



「ハッ!?」



 視界には昨夜寝る前に見た宿屋の天井があった、そして先程の幸せな時間が夢だった事を知る。

 ドアの前の床にはこの部屋の鍵が落ちていた、アイルが鍵を閉めて出て行った証拠だ。



「く…っ、夢か…! もう少しで口付けを交わせたというのに、何故私はあのタイミングで目を覚ましてしまったのだ! …しかし、アイルは夢の中ですら愛らしい」



 こんな幸せな夢を見たのは昨夜手を握って貰いながら眠りについたお陰だろうか…、うん?

 私はいつの間に眠ったのだろう、アイルの子守唄と優しくリズムを取って触れる手が心地良くて眠気に襲われてはいたが最後に覚えているのは歌では無かった様な…。



「ふむ、確かめるか」



 丁度朝食の時間になる、私は汲み置きされた水で顔を洗って着替えるとアイル達の部屋へと向かった。






[3人部屋室 side]



「あっ、そうだ! 食堂に行く前にビビアナ達の朝食準備してくるね! 先に食堂行ってて良いよ、エドにはトイレに行ったとでも言っておいてね。『転移メタスタシス』」



 3人の残念なモノを見る視線から逃れる様に、アイルは一方的に告げてウルスカの家に転移した。



「あはは、逃げたねぇ」



 さっきまでアイルが立っていた場所を見ながらエリアスが笑うと、他の3人も頷いた。

 そしてホセが今思い付いた風をリカルドに話しかける。



「そういや昨夜は大丈夫だったのか?」



「大丈夫、とは? 魔法か? それとも…」



 珍しくリカルドが揶揄う様にニヤリと笑った、その笑みを見てホセの顔が憮然としたものに変わる。



「わかってんだろ、エドガルドだよ」



「もちろん大丈夫だ、ちゃんと寝かしつけて来たさ。アイルの子守唄で俺も寝そうになったけどな、アイルの歌声は優しいから聞いてると眠くなる」



「え!? アイルってば子守唄まで歌ったの!? 本当に母親気分になってない!?」



 エリアスが驚きの声を上げた。



「ククッ、それは無いだろう。なにせ約束の15分が過ぎたと同時に睡眠魔法で眠らせていたからな」 



 リカルドが肩を揺らして笑い、エンリケが納得した様に頷いく。



「ああ、だから昨夜変な反応してたんだね。あくまで習う時に許可が無いと教えて貰えないだけで、使っちゃいけないって訳じゃないから大丈夫だよ」



「それなら良かった」



 エンリケの言葉にリカルドはホッと胸を撫で下ろす。



「魔法に関してオレ達の知らねぇ法律とか結構ありそうだな、はぁ…」



「そうだね、数十年前から段々必要無くなっていったから、教会や国がまた一から公布しないといけないかもね。俺は何となく覚えてるけど、一から覚えるとなると面倒だと思うけど頑張って」



 ホセが面倒くさそうにため息を吐くと、エンリケは他人事の様に答えた。

 しかしそんなエンリケにエリアスはニッコリと微笑みかける。



「僕の予想では以前の法律からかなり変わると思うんだよね、なにせ女神の化身が居るからアイルの胸ひとつで法律変更…なんて事もありそうじゃない?」



「その可能性はあるな。アイルの性格上理不尽な事は言わないだろうが、教会上層部に忖度そんたくしそうな人達が居るから油断は出来ないと思う」



「「「……………」」」



 リカルドがあって欲しくは無いが、あり得そうな事を言ったせいで室内はシンと静かになった。

 そしてタイミング良くノックの音が聞こえた。



『おはようアイル、起きてるかい?』



「どうぞ、鍵は開いている」



 ドアの外に居るエドガルドにリカルドが入室許可を出した。



「あまりにも良い夢を見たせいで少し遅くなってしまったよ。……おや、アイルは?」



 室内を見回し、あからさまにガッカリするエドガルド。



「アイルはトイレに行っている、先に食堂に行って待っていてほしいと言っていたから行こうか」



「いや、私はここでアイルを待つよ」



 リカルドに促されたが、それを断りあわよくば2人きりで食堂までアイルをエスコートする気だ。

 部屋に居た4人はこのままエドガルドが居たらアイルが戻った時に転移魔法の事がバレてしまう事に内心焦りを覚えた。



「トイレから直接食堂に来るはずだから、ここで待ちぼうけになるんじゃない? さ、行こうよ」



 エリアスが先導する様に先に部屋を出たが、エドガルドは4人の焦りを感じ取ったせいで動こうとしなかった。



「この部屋に私に見られて困る様なモノでもあるのかい? ハッ…まさか…アイルの下着!?」



「何を言ってるの!?」



 宿の3人部屋に戻ったアイルは、転移直後にエドガルドの『アイルの下着』発言に思わず反応してしまった。

 先程まで確実に居なかったアイルがいきなり現れたところを目撃してしまったエドガルドは、目を見開いたまま固まっていた。

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