第297話 救護院

 朝食の席で橋の向こうの人集ひとだかりの理由を知る事になった。



「孤児院で働く者は聖職者だけでなく民間の下働きの者もおりますので、どうやらベネディクトの世話もしていた通いの者が漏らしたようです」



 朝食を『希望エスペランサ』のメンバーだけで食べている時、給仕をしてくれていた助祭が申し訳なさそうに言ったが口元がちょっと緩んでいる。

 恐らく教会本部に賢者であり聖女である私が居るという事実をおおやけにしたかったのだろう。

 こうなる事を予測していたリカルドが昨日あれから一緒に対策を練ってくれたので問題無い。



「仕方ありません、これ以上騒ぎが大きくならない内に出発しますね」



 ニッコリ微笑んで言うと、助祭は顔色を変えた。

 最初に長居は出来ないって言ってあったのに、騒ぎになったら居なくなるって考えなかったんだろうか。



「お待ち下さい! 食後にえっと…、そう! カリスト大司教様とお話し頂きたいのですが…!」



 今頭の中で何人か思い浮かべてたみたいだけど、最良の選択をされてしまった。

 教皇よりカリスト大司教の方が私の中では優先順位は上なのだ。



「わかりました、カリスト大司教には挨拶もしたいですし」



 そう言って食事を再開すると、助祭の1人がアワアワと食堂から出て行った。

 朝食後、暫くしてから朝のお勤めが終わったカリスト大司教と皆でサロンの様な場所でお茶を飲む事になった。



「お呼びだてして申し訳ありません、もうお帰りになるとか?」



「はい、私が居ると騒ぎになる様なので…。橋の向こうの人集りとか」



「はは…、人の欲は際限ありませんからねぇ。しかし中にはアイル様に治して頂きたい者が居るのもまた事実なのです。一家のあるじで魔物や野盗に襲われて働けなくなってしまった者の妻は見ている方が辛くなる様な境遇ですからね、幼児おさなごを抱えていたら尚更です。どうでしょう、アイル様が治して良いと思う者達だけで結構ですので、1日か2日だけでも治癒して頂けませんか? 無理にとは申しません、ビビアナ殿の結婚式も控えているのは承知しておりますので」



 そう言ってカリスト大司教は微笑んだ、判断は私にゆだねる…と。

 ああんもう、この策士!!

 そんなの聞いて知らんぷり出来ない性格だってわかってて言ってるクセに!

 こんな正攻法で来られたらきちんと対応するしかないじゃない。

 チラリとビビアナを見るとコクリと頷いた、治癒の為に遅れても良いよっていう優しい微笑みを浮かべて。



「では2日だけ帰るのを遅らせましょう、ビビアナの結婚式だけじゃなく色々予定がありますのでそれ以上は引き留めないで頂きたい」



 リカルドがキッパリと言ってくれたのでちょっとホッとした。

 カリスト大司教は満足そうに頷く。



「では、明後日の船を手配しておきましょう。……これで他の者がアイル様に取り入る隙はなくなったな」



 船のチケットを準備してくれる約束をしてカリスト大司教はお茶に口を付け、なにやらポソポソと呟いて口の端を持ち上げた。



「どういう事だ?」



 ホセには聞こえたらしく、カリスト大司教に聞き返した。



「ははは、そういえば獣人のホセ殿の耳はよく聞こえるのでしたね。実は教皇様よりアイル様に治癒をお願い出来ないかという話が出まして、他の大司教達が昨夜から出入りの商人を呼び出したりと忙しそうにしていたのでアイル様が煩わしい思いをする前に素直にお願いした次第です」



「あはは、一緒に過ごしたからこそどうすればアイルが頷くかわかってるカリスト大司教の勝利だね」



 エリアスの言葉にその通りと言わんばかりにカリスト大司教はニッコリと微笑んだ。



「アイル様の優しさにつけ込む様な事をして申し訳ありません、ですが切実な者達が居るのもまた事実ですから」



「じゃあ早速怪我人を治しに行こうかな。皆は聖騎士の訓練にでも混ぜてもらう?」



「聖騎士の訓練所と宿舎はどうしても怪我人が多くなるので救護院と隣り合ってるのです、一緒に行って私がご案内しましょう」



 廊下を歩いているとリボンがかけられた包みを持った司教や大司教達とすれ違った、その人達にカリスト大司教は笑顔で告げる。



「アイル様が今日と明日治癒をおこなってくださるとの事ですので救護院へと行ってきます。教皇様には部下が報せに行きましたから安心して下さい、アイル様をご案内するので失礼します」



 その言葉を聞いて何人かが持っていた包みを落としていた、きっと私に渡そうとしていた賄賂なんだろうなぁ。

 その分孤児院や炊き出しの為に寄付すればいいのに。

 救護院の近くに来ると聖騎士の姿がチラホラと見える様になった、その内の1人にカリスト大司教が声を掛ける。



「君、この方達をアルフレドのところへ案内してもらえるかな? 訓練を共になさるから」



「はい! ご案内します、どうぞこちらへ!」



 成人したてに見える無駄に元気の良い聖騎士に案内されて皆は行ってしまった、エンリケ以外。



「エンリケは良いの?」



「うん、治癒魔法は使えないけど治癒師の真似事は出来るからアイルを手伝おうかと思って。それに患者が全員善人とは限らないしね」



 つまり私の護衛役も兼ねてくれるという事か。



「ありがとう、エンリケ」



「エンリケ殿がアイル様についていて下さるなら安心ですね。中には言ってもわからぬ者もおりますので…。こちらの扉から入りましょう、ここは貧しい者が運び込まれる部屋です、貴族からの寄付で収入や財産が無い者など条件に当て嵌まる者はここで治療が受けられる様になっております」



 ドアを開けた瞬間むせかえる様な血の匂いと、痛みに呻く声が届く。



「カリスト大司教、案内ありがとうございました、ここからは任せて下さい。エンリケ、優先的に治した方が良い人を選別してくれる?」



「わかった、任せて!」



 カリスト大司教は治癒師に私達が来た事を伝え、治癒師達はエンリケと共に優先的に治癒すべき患者を教えてくれる。

 執務があるとかでカリスト大司教は立ち去り、10人程治した辺りで違う部屋から怒鳴り声が聞こえて来た。



『聖女が来ているのなら何故先に私を治しに来ないのだ!?』



 聞こえて来た声に私とエンリケは顔を見合わせた、とても面倒そうな患者がいる様だ。

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