第6話

 頭痛に耐えながらおよそ五ヶ月ぶりに帰った実家はやけに懐かしく、またごちゃごちゃと散らかって暑苦しく見えた。ひさしぶりに顔を合わせた母は、僕の顔を見るなり小さな悲鳴のような声を上げた。

「あんた大丈夫? ひどい顔色だけど」

「そう? 最近偏頭痛みたいなのがあるんだよな」

「そうなの? 顔色が真っ青じゃない」

 一人暮らしのせいかしら、などと言いながら、母は体温計を持ってきて僕に押し付けた。

「いいよ、熱なんかないって」

「一応測っておきなさいよ。本当に病気みたいな顔色なんだから」

 熱もないのに測ってどうするんだ、と苦笑しつつ、母を納得させるために脇に体温計を挟んだ。少ししてピピピと鳴った体温計の小さな画面を見て、僕は少し驚いた。そこには「35.3℃」と表示されていたからだ。

 僕の平熱は決して低い方ではなく、体調のいいときは大抵36.5度から36.8度あたりが普通だった。35度台を見たのは初めてだ。何度か測り直したが、結果はさほど変わらなかった。

「あんた、本当に大丈夫? 低過ぎるのもよくないのよ。それこそ、頭が痛くなったりするんですって」

 しきりに心配する母を、僕は適当に言いくるめて話を切り上げてしまった。異様に低い体温計の数値を見ると、咄嗟に蜥蜴ちゃんの冷たい身体を思い出してしまい、気まずくなったからだ。彼女のことを両親に告げるのは勇気が要ることだった。女の子と付き合い始めたことはいいとして(相当冷やかされるだろうが)、生活のほとんどを世話されていることはかなり叱られるだろうと思った。それに、恋愛事情を親に知られるのは、気恥ずかしいものでもある。

 実家の自室でひさしぶりに一人になってみると、改めて夏は暑いものだな、と思った。天然の氷室のような蜥蜴ちゃんの家にいると、そんなことは忘れてしまうのだ。実家の僕の部屋にはエアコンがなく、古い扇風機を回して風に当たっていると、体の芯に以前の温かさが戻ってきたような気がした。生ぬるい部屋で横になっていると、頭痛の元みたいなものがじわじわと溶けていくようだった。

 その日の夕食は揚げたてのトンカツと夏野菜の炒め物、それに茄子の味噌汁と炊きたてのご飯だった。こんなに熱いものを食べるのはひさしぶりだった。


 実家の扇風機しかない部屋で寝転び、常夜灯を見上げながら、僕は蜥蜴ちゃんのことを考えた。

 彼女は今日、あの家で何をして過ごしたのだろう。そもそも僕と知り合う前、彼女は毎日何をしていたのだろうか。僕のような通りすがりの人間を捕まえ、入り浸らせて喜んでいるような女の子だから、もしかして僕の他にも同じように過ごした男がいるのかもしれない。

 そう思うといたたまれない気持ちになって、僕は何度も寝返りをうった。こうしている間にも、彼女はあの家に誰かを引っ張りこんでいるのではないだろうか。あの長椅子の上で、誰かに冷たい体を寄せながら笑っているのではないか。彼女のもの慣れた様子は、何人もの男を通りすぎることで培われたものではないのか。

 頭の中に、般若面の絵を背景にして座る蜥蜴ちゃんの、整った白い顔が浮かんだ。

「ばかばかしい」

 わざと口に出してから、僕はベッドにひっくり返った。

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