第5話 小田原編(山角天神社と対潮閣)
清閑亭を後にした私達は、土塁跡を下る。道幅は狭く、曲がっていて、区画整理の臭いを感じさせない情緒がある。
道の傾斜が急になる手前に、違和感のある光景が目に入って来た。神殿(神社の最奥の建物)の背中である。
普通、神社は木で囲まれているイメージなのだが、ここは垣根がざっくりと刈り取られていて、神殿の背中が丸見えだ。しかも、こじんまりした境内なので、道路の脇に無理やり押し込んだようにも見えてしまう。
これは寄り道をしなければならないだろう。私は妻にお願いをして、この神社に立ち寄ることにした。もちろん、非効率なことこの上ないが、回り込んで正面からお邪魔させてもらう。作法とかは知った事ではないが、やっぱり正面から入りたいのだ。
神社は天神さんだった。
散歩マップを見ると「山角天神社」とある。急な石階段は、ところどころが斜めで登りづらく、やさしくない。だけど、それが風格になっている気がする。
この急な階段で、夫婦が「階段健康法」をやっていた。もちろん、そんな単語はどこにも存在しないのだろうが、この二人の間では、何か共通の健康意識があるらしい。伝道師である旦那さんが、奥さんに対して熱心な歩き方指導をしていた。
面白そうではあるが、話しかけると火傷しそうなので、ここはあえてスルーさせていただく。人間関係を下手に広げないのも、生き方である。
さてさてこの天神さんだが、一言でいうと渋滞している。
こじんまりした境内の中に、昔の自治会館みたいな社務所と、遊具、それと銅像とか、石碑が、どしどし突っ込まれている。先ほどの清閑亭が引き算で構築されているとすれば、ここは間違いなく足し算で込み合っている。
ただ、なかなか由緒ある神社らしく、北条氏康が菅原道真の絵を奉納しているらしい。ふらっと立ち寄った場所で、教科書的な人の臭いがしちゃうのは、さすが小田原という感じ。あなどれない。
我々は天神さんを後にして、今度は
ありがとー!!
ちなみにだが、この対潮閣跡に建物は残っていない。庭の一部が残っているのみで、そこに石碑と説明用の看板が置いてある。
しかし、それ「だけ」などと言う気は無い。ファンというのは、妄想と空想でできている。ここに、あの秋山真之が来たことを思えば、十分に楽しい。
小説というのは、その人にとって一番美しい時間を切り取って額に入れるようなものかもしれない。でも、生身の人間というのは、切り取られた部分以外にも生が存在している。その生の部分に触れた時、今まで活字の中の存在であったキャラクターが、浮き上がって現実的な肉を持つように感じるのは私だけではないはずだ。
そういう意味で考えると、実在の人物を描いた小説のキャラクターというのは、会いに行けるアイドルに近い。つまり、司馬先生は秋元Pと同じ作業をしていたのかもしれない……なんてことはないな。少し、テンションが上がり過ぎて、おかしくなっていたらしい。
ただ、そんな感じで喜んでいる私の横で、妻がポツリと言った。
「ああ、モッくんの終焉の地なんだ」
やめなさい。
それは、坂の上の雲でも国営放送テレビドラマ版でしょうが。確かに、あの作品は国営放送の意地と気合が入り混じった素晴らしい作品に仕上がっているけれども、映像というのはパワーがあり過ぎるので、妄想力が途切れちゃうんだよ。せめて、もう5分くらいは、原作のイメージに浸らせて欲しい。
あと、これは言わなくてはならないのだろうが、実のところこの対潮閣跡は民家の一角にある。それを、ここの住民の方がご厚意で一般の人々が見れるようにしてくれているのだ。
ありがとーー!!
おかげさまで、素晴らしい妄想タイムを持つことができた。この世界は仕事で出来ているが、善意がなければ良い仕事はありえないのだ。
さてさて、午前10時から始まった我々の旅は終わりに近付いている。なぜかというと、腹が減ってきたからだ。
散歩コース自体はまだ中盤なのだが、これからあの坂を上らなければならない事を考えると、もうそろそろ妻が限界だろう。
いきはよいよい かえりはこわい
とおりゃんせ とおりゃんせ
後で分かった事だが、さっきお邪魔した天神さんは、とおりゃんせ発祥の地候補の一つになっているらしい。
なるほど、行きはよいよいだが、帰りは怖い。せめて、甘い物でも食べてエネルギーを蓄えてから土塁攻略に挑もうと思う。
コロナ散歩 @ahab
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