第4話 小田原編(清閑亭)

 前話で、散歩マップの素晴らしさを説いたのは私である。しかし、実際に利用しようとしたら、ある重大な欠陥に気が付いた。それは、駐車場問題(再び)である。


 散歩マップは車で訪れる人の事を想定していない所為か、スタートが駅になっている事が多い。しかし、当然のことながら、駅の近くは駐車場の値段が高いのである。

 それでも、小田原駅周辺の相場は1時間350円くらい。都内や人気観光地のそばに比べれば安い方なのだが、貧乏根性が染みついてしまっている私は、無料だからという理由で小田原競輪の臨時駐車場を選んでしまった。ここからだと、正規の散歩ルートに戻るまで、かなりの距離とを要する。

 こういう要領の悪いところが、真面目に働いていても出世しない理由なんだろう。ただ、悲観はしていない。直そうとしても治らない悪癖は、脳ではなく魂に刻まれているので、どうやっても治らないのだ。くよくよするよりも来世に期待するしかない。


 さてさて、まずは我々のいる小田原城周辺の地形を説明したいと思う。もちろん、イメージ7割、ウィキペディア2割、思い込み1割で話をしているので、間違いがあることが前提だ。鵜呑みにしないで欲しい。

 何はさておき、小田原城の位置から始めよう。この天下の名城は、相模湾から1キロほど内陸に入った場所に位置している(正確にいえば、本丸の位置。敷地でいえば相模湾に接しているだろう)。箱根駅伝の小田原中継所がすぐ西側の足元にあることを鑑みれば、この城がいかに箱根の峠の玄関口に位置しているのかが分かるだろう。某ブラブラタモリ番組でやっていたのだが、城というのは台地の先っぽに作る事が多いらしい。小田原城もその例にのっとっているのだ。

 城の東側には、歌川広重の浮世絵にも描かれている酒匂川。そして、その三角州が大磯丘陵まで目一杯に広がっている。商業の町としての雰囲気は、川の西側と河口に集中している気がする。

 そして、我々は小田原城の西側に位置する山裾のヒダの一つにちょこんと乗っている状態である。これから街へ繰り出すには結構な高低差なのだが、妻が「太っちゃったからちょうどいい」という強気発言をしているので、とりあえず進もうと思う。最悪、ダメなら私だけ車を取りに戻ればいいのだ。


 最初の目的地は清閑亭である。ここからだと、競輪場を横目に見つつ、坂を下って行けばよいのだが、何故か我々はグルリと方向を変え、神奈川県立小田原高校へと向かった。母校を見たいと思ったからではない。夫婦二人とも、こんな偏差値の高い学校に縁もゆかりもない。コースを変えたのは、単純にこっちの道の方がおもしろそうだったからだ。コロナ期だから、人混みをさけるために計画性が必要だと言ったのはだれであったか……。


 小田原高校を右手に見つつ坂を下っていくと、色気のない看板が見えた。内容を読むと、どうやらここ(小田原高校の西のヘリ)には小田原城の総構えの一番が残っているらしい。結局のところ土の壁なのだが、この素朴さが現実的な迫力を生んでいる。この土壁を境にして、包丁よりデカい刃物を持ったオッサンたちがにらみ合っていたかと思うと、現代人で良かったと心から思う。戦国時代は大河ドラマで体感するぐらいで丁度いい。


 下り坂は階段になり、駅へと向かっている。まるでジェットコースターのような印象で、帰りにこれを登らなければならないのかと憂鬱になる。

 階段を降り切る前に、右手に発掘調査をしている現場があった。なんの法律なのかは知らないが、建物を作る際に遺跡などが出て来ると、調査をしなければ工事を進められないと聞いたことがある。建築会社にとってみれば、知らないフリして埋め戻したい(実際にはやっているんだろう)気持ちもあるのだろうが、第二東名の工事中に素晴らしい土偶が秦野市で出土したことを考えると、土偶ファンとしてはぜひ守って欲しルールである。


 さてさて目的地の清閑亭。

 戦国の知将、黒田官兵衛を祖先に持つ黒田家の別邸。そうそうたるメンバーが別荘を持つ大磯ではなく、あえて小田原に別邸を構えたのは、戦国大名をルーツに持つ家柄だからなのだろうか。場所は小田原城のすぐ南西側の高台である。

 小田原城の外周道路から南へ折れると、緩やかな美しい曲線を持つ坂道になる。この坂道が二つに割れて、こんもりとした林へと吸い込まれていくのだが、これが清閑亭へのアプローチだ。門柱を超えてさらに進むと、楠木を巻き込むような形で半円状の車回しがある。

 古い邸宅を見に行くと感じることだが、よい家というのは門から玄関までの間にストーリーを持たせるものらしい。この清閑亭もその例に違わず、坂を上るにつれて現れる和風邸宅が、もったいぶって登場するオペラ歌手のようで演出がニクい。

「すごい、こんなカッコいい建物なんだね」

 妻が横で感嘆の溜息をつく。

 妻はカッコいい邸宅が大好きだ。いや、正確に言うと、カッコいい邸宅で遊ぶのが大好きだ。もっというと、カッコいい邸宅でポーズを取らせて人の写真を撮るのが大好きだ。コスプレ写真に近いのかもしれないが、彼女いわく、非日常的な雰囲気に自分(あと私)を溶かして遊びたいらしい。歴史的建造物を、右脳だけで思いっきり楽しむのは彼女ぐらいではないだろうか。どんな場所でも自分なりに楽しもうとする姿勢は本当に尊敬する。

「小田原城には何度も来ているのに、知らんかった」

「歩いてみるもんだね」

「さすがお散歩マップ」

「さすが官兵衛」

「官兵衛は関係ないだろうけどね」

「子孫だから、関係あるんじゃない?」

「じゃあ、黒田家家訓のおかげってことで」

「『一・かっこいい建物を作ること』みたいな?」

「この場合だと質素倹約?」

「ぜんぜん豪邸だけど?」

「たしかに、そうなんだけどね……」

 妻の言うとおり、清閑亭は豪邸である。ただ、豪邸なのに、なぜか質素という言葉が出てしまう。どことなくこじんまり(ミニチュア感といってもいい)しているからだろうか。建物の規格が現代とは違うのだろうか。

 散歩マップの解説を見ると、ここは小田原城三の丸土塁の上にあたり、建物を分類すると「書院風数寄屋造り」になるらしい。「書院造り」とは書斎をメインにした建物のことだから、「寝殿造りみたいに色ボケしていない」という意味でいいだろう。そんでもって「数寄屋造り」は、風流人が、文化人を気取って作った建物という意味に違いない。つまり、この建物は「一見、質実に見えるけど、実を言うと文化人が道楽で建てた家」ということになる。いちいち、ググらないと分からない「書院風数寄屋造り」と書かれるより、こっちの方がよっぽど分かりやすい。ぜひ、散歩マップの担当者は一考して頂きたい。というよりも、見た目は「わび・さび」全開で作っているクセに、ぜんぜんコンセプトは質素じゃない。前言撤回だ。

 ちなみに、私は「わび・さび」の文化を、ナチュラリストの一派閥と捉えている。そこから派生する社会思想(宗教観)も含めて好きな概念であるが、変に持ち上げて有難がっている人もいると、なんだか冷めてしまう。リアリズムよりニヒリズムが優れているなんてことはないのだ。


 ただ、建物自体はすごく良い。

 まず、色見がよい。うっすらと緑錆でコーティングされた一階の屋根と、どっしりとした二階の瓦屋根。漆喰の白には、漆の黒も捨てがたいが、やっぱり年季の入った木目が一番だ。外観に無駄な装飾が一つもなく、どこかモダニズムに通じる美学が匂ってくるのは気のせいだろうか。

「じゃあ、入りますか」

「そうしましょう」

 わくわくしながら、我々は玄関をくぐった。


 外観もよければ内側も良い。

 入口でもらえるパンフレットには、掛込天井とかの建築様式の説明が載っているが、そういうインテリジェンスは後回しにして、この空間を楽しむことを優先させてしまうぐらい良い。必要美の中に紛れ込んでいる遊び心が、とてつもない丁度良さなのだ。こんなもの、個人のセンスでは到底生み出せないだろう。長い年月の熟成がなければ完成しないものがあると思う。

「なんか、いつもこういうところに来ると思うけど、薄暗い感じだよね」

 スマートフォンのシャッターを切りながら、妻が楽しそう言った。

 現在時刻11時。外は太陽がサンサンと照っている。しかし、建物の中は思ったよりも暗い。照明が全て点いているのに暗いのだ。私達が普段いかに明るい世界にいるのかがこんなところでも分かる。

 ただ、この暗さがところどころにある目玉的な建築設備を際立たせる効果を生んでいる。スポットライトは暗がりだからこそスポットライトたりえるのだ。エロビデオのようになんでもかんでもパッカーンしてしまえば、歪んだガラスから差し込む光にも気が付かないだろう。日活ロマンポルノぐらいのぼかし加減が丁度いいのだ。

 もちろん、私は「それがかえって味になっている」と答えただけで、日活ロマンポルノの話はしなかった。この空間には不適切だと思ったからだし、妻にドン引かれるのも嫌だったからだ。我ながら英断である。


 順路は、建物をぐるりと周っている濡れ縁にそって南側へ向かう。ちょうどよい狭さの濡れ縁が、南側の庭園に辿り着いた所で現れるのは、目の覚めるような解放空間。青々とした芝を絵の額にして、真っ青な海と空が見渡せる。

 これはもうアガサクリスティーである。綿密に計算されたトリックが、本当に美しい。つーか、楽しい。

「うわ~」

「おお~」

 感嘆詞しか出て来ない。

 だが、それこそが設計者の狙いかもしれない。俳句のような引き算の美しさに、ゴテゴテとした修飾語はふさわしくないと思う。ただ「すげ~」と言っていればいいのだ。小難しい理屈は日本人向きじゃない。


 我々の他に客もいないので、お行儀が悪いかもしれないが、縁側に座らせてもらう。高台を登ってくる潮風が、芝生でまろやかにろ過されて心地良い。

「将来はこういうところでお茶を飲みながら暮らしたいね」

 妻がエア湯呑を持ちながら言う。それが、あまりにも可愛かったので、私は少し捻くれてしまった。

「庭の維持が大変そうだ」

「すぐにそういう事を言う」

 彼女は、まるで出来の悪い息子を見るように私を睨んだ。

 心外である。

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