第3話 小田原編(計画)

 コロナ前では絶対にやらなかったこと。それは、各市町村が提案している散歩マップの活用である。


 散歩マップとは、各市町村など(もしくは観光協会)が、おススメ観光ポイントを辿れる散歩コースを地図に示したものだ。場所にもよるのだろうが、多くがカラー印刷されており、なかなかに金がかかっている。高いクオリティにも関わらず、無料のものしか見た事がないのが不思議なくらいだ。ちなみに、掲載されている観光スポットは、知的好奇心を刺激させることに全エネルギーが集中されており、近年主流となりつつある「お出かけ=グルメ」という嘆かわしい方程式とは、一線を画している。


 もう、お気づきだろう。私は、散歩マップが好きである。どれぐらい好きかというと、貰ってきた散歩マップを綴っているファイルがパンパンになってしまって、妻から整理するように言われ続けている(3年くらい前から)ぐらいに好きなのだ。どこかで目にするたびに、持ち帰ってしまう。

 しかし、その一方で、散歩マップのとおりに歩いてみたことはなかったように思う。我々夫婦は、無計画こそ旅行の醍醐味だと思っている節があるので、誰かが決めたコースというのは窮屈に感じてしまっていたのかもしれない。

 ただ、コロナウイルスの蔓延で状況が変わった。混雑を避けるためには綿密な計画が必要になり、何も考えずに街中をフラフラすることが難しくなったのだ。

 それだけではない。無知な我々は、よくグーグル先生の意見を聞いて目的地を設定していたのだが、グーグル先生は民主主義を採用しているので、人混みを避けようとしているムーブとは相性が良くない。私達夫婦には新たな情報ツールが必要不可欠だったのだ。 


 あらためて散歩マップを見てみよう。各市町によって、色々な特徴があるが、特筆すべきはそのマニアックな内容だ。いや、知識人(もしくは文化人)にとってはマニアックではないのかもしれないが、どういうリスクアセスメントをしても混雑が予測できないので、これはマニアックと評しても文句はないのではないか。

 だって、どっからどうみてもただの用水路が目的地の一つになっているんだぞ?こんなん、ぜったい「る〇ぶ」では取り扱わないだろう。神社仏閣にしてもそうで、社務所も無いような小さな神社が、さも重要なチェックポイントみたいに掲載されていたりする。これをマニアックと呼ばずして、何をマニアックと呼べばいいのか。ついつい、作成者サイドが「需要」という単語を理解しているのか不安になってしまう。


 だが、それは無知蒙昧な輩の見当違いなおせっかいもいいところなのだ。

 「人に歴史あり」という言葉を否定する気はないが、土地にはもっと歴史がある。ただの用水路と思いきや、日本最古の上水道だし、見落とすような小さな神社は、吾妻鏡にも名前が出て来る古社だったりする。

 そういった、商業主義に埋もれてしまいがちな知識を、丁寧に紡いでいる人達がいるらしい。そして、こういう公的機関が発行する散歩マップなるものに、その一端を示してくれているのだ。しかも、無料である。利用しない手はないだろう。


 よし、決まった。

 私はタイミングをはかって、妻に声を掛ける。なぜ、わざわざタイミングを見計らわなければならないかというと、彼女は今、オッサン同士がイチャコラと料理を食べるドラマを観ているからだ。彼女の唯一の趣味である腐敗系娯楽ドラマを邪魔する時は、タイミングがとても重要になる。

「明日は、小田原に行こうかなと思うんだけど、いかがか」

「また、小田原城?」

 またって、おい。たしかに、小田原城は何回も行ったけれども……。

「いや、今回は違います。小田原城周辺であることは間違いないけれども、小田原城ではありません。このお散歩マップを利用して、ぶらぶらと散歩したいと思います」

「お散歩マップって、あなたがよく貰ってきて(片付けない)いるアレ?」

「アレです。とうとう出番が回ってきました」

「ようやくだね。長かった」

「スコッチは3年以上熟成させないとスコッチとは呼べないらしいよ」

「うん?」

「いえ――なんでもありません。とにかく明日は歩くので、スニーカー必須でお願いします」

「かしこまりました。でも、散歩っていっても、何か観るとこがあるの?」

「黒田家の別邸があります」

「黒田家というと……」

「官兵衛パイセンの子孫ですな」

 黒田官兵衛については、妻も大河ドラマで見ているので、思ったよりも食いつきがよかった。


 これならという手応えを感じつつ、前半は終了する。


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