一番最初に、水の中で

惟風

第1話

 妊娠してから外を歩くことが多くなった。

 歩く機会が増えてから、靴音が気になっている自分に気づいた。

 自分の履いているスニーカーの音だけでなく、コツコツというハイヒール、バシャリと水溜まりに踏み込む子供の長靴。

 街中のあちこちで鳴らされる、人々の移動の音に耳を傾けていると、不思議と心が落ち着くのだ。


 いわゆるASMRってやつかな、と検診に向かう道すがらぼんやりと考える。

 靴音の中でも、男性の履くビジネスシューズの音が一番好きだ。ダッダッと低く響くのを聴いていると、何とも言えない快さを感じる。

 でも、靴音なんて毎日いくらでも聞いていたのに、何で今更こんなに意識しだしたのだろう。

 妊娠してから体質が色々変わったし、これもその延長なのだろうか。

 だけど、何かが引っかかる。もう少し自分の中を掘り起こしていけば、何か、大事なことに辿り着けそうな気がする。

 と、不意に腹部に小さな衝撃が走り、物思いの世界から現実に引き戻された。

 お腹の中から蹴られたようだ。

 右手でさすりながら、ふふ、と笑みがこぼれる。

「今日も元気だね。良かった。」

 予定日は2ヶ月ほど先だ。男の子らしい。

 無事に生まれてきてくれたら性別はどっちでも良いね、と夫とは話していた。

 今のところ、順調に成長している。


 予約時間より30分以上待たされてから、診察室に通される。

 横になり、計測されるのを待つ。

 看護師が手際良く私のお腹に装置を取り付けて、胎児の心音を確認する。

 一定のリズムで打たれる力強い鼓動の音が、数秒だけだが診察室に響く。

 そこで、はたと気づく。

 ああ、そうか。

 このテンポの早い、低い、音。

 ずっと感じていた奇妙な心地良さは、似ていたからか。

 世界で一番大切な、小さな命の音。


 そして、きっと、私が生まれる前に聴いていた水中の音でもあるのだろう。

 思い出すことのできないものなのに、懐かしさが胸一杯に広がった。

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一番最初に、水の中で 惟風 @ifuw

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