第3話 ドキドキ学園案内
さて、なんとか無事に猫の世界へ転生し、ひと悶着あったがこうして『ネコネコ学園★ミチーノ』の教師となった俺。
そしていま、超絶美人で少し……いやかなり? おっちょこちょいなノエル先生に案内され、学園を見て回っているところだ。
俺の到着がすでに夕方近くだったこと、学園がかなり広大ということもあり、まもなくノエル先生の案内が終わろうというとき、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「いぶき先生、ずっと歩きっぱなしですけど、大丈夫ですか? お疲れでしたらいちど職員室に戻って休憩を……」
「あっ、いえ、俺は大丈夫です」
「そうですか、それじゃああと少しですし……。このままいきましょう」
「は、はいっ!」
可愛すぎる彼女の表情に、思わず声が裏返ってしまう。
薄暮のなか、
まったく心穏やかじゃない。
それはそうと、学園の案内は順調に続いていくわけだが、ひと部屋を見て回るたびに、なかなか大きな施設だと驚かされる。
作りとしては、敷地内に三つの建物がコの字に並んでいるわけで。
『ネコネコ学園★ミチ―ノ』という看板を掲げた、1番館と呼ばれるもっとも大きな建物。これが正門から見て最奥部にあり、子猫たちが通う学園部分だ。
そして向かって右側が、2番館と呼ばれる体育館的な建物。向かって左に、身寄りのない子たちや、この学園に住み込みで勤務する先生たちの寮がある。これが3番館とのことだ。
これらの建物は、2番館が2階、他の2棟は3階建てで、1番館と3番館は1階と2階、1番館と2番館は1階が、それぞれ短い渡り廊下で繋がっていた。
敷地の外周は、高さ5メートルほどの石壁で完全に囲まれ、敷地内に用意された砂地のトラック部分以外は、思わず寝転びたくなるような芝生が覆っている。
1番館、つまり学園部分にはとうぜん教室があり、人間の感覚で小学生から中学3年生ぐらいまでの年齢ごとにクラスわけがされ、基本クラス替えなどはしないとか。
他にも、多目的ホール、音楽室、集会所、職員室、保健室、給食室、食堂などが各階に備わっていた。
2番館に関して特に言うことはなく、1階部分は体育館で、2階は小さな集会所。
そして今、俺とノエル先生がいる場所が3番館、つまり寮である。
イメージとしては、そこそこいい感じのマンションという感じだろうか。街の景観は中世ヨーロッパなのに、技術的には現代の人間界とさして変わらない。
長い廊下が奥まで続き、各階に部屋が5部屋ある。人間界の下手なマンションよりも断然お高いだろう。
「す、すごいですね。え、ここに住み込みでいいんですか?」
思わず確認してしまう俺に、ノエル先生はにこりと優しい笑みでうなずいた。
「はい、むしろすごく助かります。これで私たちの睡眠時間が……」
「ん? 睡眠、時間?」
「ハッ⁉ い、いえ、何でもないです」
自らの失言に気づくように、かわいらしく口もとを抑えるノエル先生。
え、もしかしてこれ、夜通しの子守させられるパターンか。と、思ってしまったが、俺は首を横に振るって邪念を消す。
子守させられるとか、そもそもそんな心配することがティーチャーとしてあるまじきことじゃないか。
猫界行きというこの状況は俺のせいではないが、この道を選択したのは俺だ。
ラーメルさんや、俺を受け入れてくれた学園長先生たちには恩もあるし、気持ちは切り替えて行くべきだろう。
「いぶき先生? どうかしましたか?」
「あ、いえ、大丈夫です。内側にいる、愚かな自分を制していただけなので」
ノエル先生は不思議そうに小首をかしげていたが、彼女は切り替えが早い。
童貞ワンパンスマイルで先制すると、
「これでひと通り、学園内は回りましたけど、なにか質問とかありますか?」
「あ、は、そ、そう……ですね。い、今は特に大丈夫です」(いやいや、俺キモいからまじやめろ!)
「分かりました。また分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」
「は、はいっ!」
姿勢をビシッと正し、みごとにひっくり返った声を出してしまった俺に、ノエル先生はまたふふっと微笑む。
もはやわざとじゃないかと思ってしまうが、俺には分かる。彼女は無自覚なタイプだ。
「それじゃあいちど1番館に戻りましょうか。お夕食、まだですよね?」
「は、はい」
俺は言われるまま彼女に付いて行きながら、内心穏やかじゃない。
というか、ずっと心の片隅にあったことだ。
――こっちの世界の、食事について。
この学園に住んでいる先生や生徒は、他の子どもたちが通学する前後に1番館の食堂で、住んでいる部屋ごとに食事を済ませるそうな。
今日に関しては、もう俺とノエル先生以外、夕食を済ませているとのことで、少し申し訳ない気もする。
そして食堂で出されたものを見て、俺は逆に絶句した。
「――こ、これはあ!」
がらんどうで静かな食堂に反響する俺の驚嘆。
驚いてびくりとしたノエル先生が、
「あ、あのいぶき先生、どうされました? もしかして、今日のメニューは何か理由があって食べられないものでしたか?」
「いえ、驚かせてしまってすいません。安心してください。俺が驚いたのは、とてもおいしそうだったから、なので」
本心を告げ、俺は改めて机に置いたトレーに並ぶ、転生後初めてとなる食事に視線を落とす。
中央に陣取る木のスープ皿。これは、ビーフシチューというやつに違いない。その横にある平皿には丸いパンが2つほど乗っていて、バターが添えられている。
何からなにまで人間界のものと全く同じ、ということはないだろうが、その見た目や容赦なく食欲を刺激してくる匂いは、少なくとも無害だと証明してくれる。
なにせこの世界、人猫たちの見た目以外は猫だと聞かされていたもので。
猫のカリカリが出てくるとはさすがに思っていなかったが、最悪のシチュエーションとして、生魚一匹まるままとか、生肉、モズのはやにえレベルの鳥なんかを想像していた俺としては、嬉しい誤算も甚だしいところだ。
むしろ、失礼の極致というかなんと言うか。
「な、なんか、ごめんなさい。い、いただきます!」
俺は目の前の食事にもはや食欲を抑制できず、席に座って木のスプーンを取り、まずはひと口、ビーフシチューと思われる木のスープ皿から、赤茶色の液体を掬い口に運ぶ。
口に拡がったのは、まさに想像していたあの味だった。
なにかが少し違う気もするが、全身に染み渡る安心感。
数日の間なにも口にしていなかったかのような、えも言えぬ感動を覚えたことに驚きつつ、木のさじを動かす手はもはや止められない。
「くす、いぶき先生、よっぽどお腹空いていたんですね」
ふと頭上から声がかかり、俺ははっと現実に戻った。しまったと思いつつも斜め左うえに首を動かすと、ものすごく嬉しそうな美人の顔が。
「す、すいません、俺……」
「ふふふ、気にしなくていいんですよ。ほら、ココちゃんも嬉しそうにしてるわ」
ノエル先生が視線を動かした先には、調理室と繋がるカウンターがあり、そこにひとりの女の子がいた。この美味な食事を作ってくれた張本人で間違いない。
女の子と言ってしまったが、雰囲気的に人間換算すれば20代前半ってところか。
ふさふさの長い茶髪を高い位置でとめているので、まさに真のポニーテールだ。身長150センチぐらいで、カウンター越しに見てもかわいい。
俺がうまそうに食べたことが嬉しかったらしく、満面に喜色を湛え、後頭部を掻いている。
俺が挨拶すると、彼女はカウンターを出てすっ飛んできた。
「あなたがいぶき先生ね。私はこの学園の調理担当ココ。ありがとう、わたしの作ったご飯、あんなに美味しそうに食べてくれて、すっごく嬉しいな」
「あ、いえ。これ、本当に美味しいですよ」
改めてそう言うと、親に褒められた幼い少女のような満面の笑みを浮かべるココさん。
その表情と同時に、ふっさふさの茶色いしっぽをふりふりするものだから、本当にかわいい。
変に爆上がりする心臓の鼓動を鎮めるため、俺は慌てて食事を再開する。
3人しかおらず、程よく静まった空間に、何やらぐうう~……という異音が響いたのは、次の瞬間だった。
それが誰かの腹の虫の悲鳴だと察するのは、わずか4ピースのパズルを完成させるより簡単で、その場の空気が硬直する。
さじの動きをとめ、ゆっくりと顔を動かすと、真っ赤に染まった顔面を両手で抑え、プルプルと微動するノエル先生が。
さすがに彼女にかける言葉が出ない俺に代わり、ココさんが、
「の、ノエル先生、大丈夫? 生きてる?」
と、いまだ両手で覆われたノエル先生の顔をのぞき込む。
「もうやだあ! ふぐう、むりいい、誰か殺して……」
その場にしゃがみこみ、首をふるふると横に振るノエル先生。
これまで元気にピコピコ動いていたネコ耳が垂れ下がっているのが、また可愛すぎる。
5分経ってノエル先生も何とか復活し、俺の正面に座ってもくもくとビーフシチューを食べる彼女だが、その顔はまだ火を噴いたように紅く、碧い瞳を宿すたれ目の目じりに、涙が残っていた。
20分後。食堂を後にした俺とノエル先生は、いちど職員室に寄って置いていた荷物を取り、3番館にいた。
「ここですよ」
と案内されたのは、2階左端の角部屋『205号室』。
耳をそばだてると、中から男の子と女の子の声が聞こえてくる。
「へえ、男女とか関係ないんですね」
「? はい、基本お互いの相性を優先するんですけど、その……」
なぜか口ごもる彼女に首をかしげると。
「ここにいる5人の子たち、実はものすっごく色が濃いというかなんと言うか。私以外の先生に懐かない……んです。だから、天使さんからそういう子の相手がお上手だって聞いてるので、どうかよろしくお願いします」
「……はい?」
俺は思わず引きつった笑顔で固まった。
あの美人天使、子ども相手に関してはルーキーの中のルーキーみたいな俺なのに、何を言ってくれちゃってるんだ。か、かわいいからって油断した!
「あ、あの……。いぶき先生?」
「あ、ああ、はい! 全力を尽くします!」
心配そうなノエル先生につられて思わずそう張り切ってしまったが、心配なのは俺のほうだ。
一人っ子の俺に、キャラの濃い過ぎる子どもたちの世話などできるのだろうか。
「それじゃあ、まずは私が紹介しますね」
「はい、お願いします」
そうして俺は、これから住むことになる部屋に入った。
玄関扉を入ると、これまた人間界のマンションそのままと言うべきか。
玄関には、子どもサイズの靴が五足。奥に続く廊下があり、一番てまえにトイレ、その少し奥に洗面所、脱衣所、浴室。そして、リビングへの扉の少してまえに、部屋がひとつ。
そこまで紹介して、ノエル先生はリビングと廊下を隔てるガラス張りの扉のドアノブに手をかけると。
「いぶき先生、気を付けてくださいね。飛び掛かってくるかもしれないので」
「は、はい」
ごくりと生つばを飲み、力強くうなずくと、ノエル先生が先にリビングへと入っていく。
「あー、おかえりなさい、ノエル先生!」「おかえりなさい」「おかえりなさーい」「ちょっと遅かったな」「先生、早くお風呂はいろ~」
と、5人の子どもたちがいっせいに彼女へと駈け寄っていき……。
って、この子たちは!
俺は数人の子どもたちに見覚えがありすぎて、思わず絶句した。そして、子どもたちも俺に気づき、目があったとたん青眼白髪の男の子が飛び掛かってくる。
「お、おめーっ! 夕方の変態ヤローじゃねーか! な、なんでオレたちの部屋にいるんだ、さっさと出てけーーッ! ほわたたたたたた!」
俺の腰に両脚だけでしがみつき、必死な連続猫パンチ(人間態バージョン)を顔面にお見舞いしてきたのは、学園到着後にエンカウントした猫ミミ美少年だった。
記憶が正しければ、確かレオくんだったはず。
彼の行動で、あのとき居合わせた二人の少女も俺に気づき、怪訝な顔でお互いの手をぎゅっと握り、あとじさる。
「ちょ、ちょっとレオ、やめなさい」
と、ここでようやく、突然のことに唖然としていたノエル先生がはっと我に返り、俺にしがみついたレオくんを引き離してくれた。
白いツンツン頭の美少年は、解せないという表情でノエル先生を見やると。
「せ、先生! なんでだよー。は、まさかこの変態ヤローに脅されてんのか⁉」
「んもう、レオったら何を勘違いしてるの。いぶき先生はそんな人じゃないわ。天使さんの力でこの学園に来てくれた、ものすごい先生なんだからね」
「え――、本当かよ」
うわ~、すっごい疑いの眼差しだ。いやそれよりも、ノエル先生、それ以上ハードル上げないで~ッ!
なんていう、俺の心の叫びが彼女に聞こえることもなく、その後も何かと俺を上げまくる。しかしまあその代償として、ひとまず俺への警戒は完全になくなった。
もちろん、心を許してくれた、というには程遠いわけだが。
「ま、まあ、いいぜ。とりあえずおめーのこと信じてやるよ。天使さんの署名も本物みたいだからな。でも、ちょっとでも変なことしたらオレのパンチを食らってもらうからな!」
「レオ、いい加減にしなさい」
ノエル先生に再び注意され、くちびるをとんがらせるレオくん。
……どうやら、偶然を装った彼らとの出会いは、決められた運命だったようだ。
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