部活少女と風紀少女

大洲やっとこ

第1話 ポッチーゲーム



「双方の言い分はわかりましたわ」

 ぽむ、と手を打つ。


「ミトさんは、陸上の練習なんだから仕方ないと」

「スポーツやってれば仕方ないだろ」

 当たり前だと言うようにスレンダーな体を反らして頷く。


「全力でやってなきゃわかんないんだよ。周りの目なんて気にしてらんないさ」

「そういう問題じゃないでしょう」

「まあまあ、フーカさん」

 反論する少し小柄な眼鏡少女に、やんわりと。


「フーカさんは風紀の乱れが心配だと。ミトさんは可愛いですし、男子の目もありますものね」

「ただでさえ薄着なのに、お腹を出してパタパタとするのはやめてほしいだけです」

「あっついんだよ」

「だからそういう――」

「まあまあ、お二人とも」


 言い争いになりそうなミトとフーカの間で、にっこりと微笑むのは生徒会長。

「わたくしにはどちらの言い分も理解出来ますけれど、分かり合えないのでしょうか?」

 訊ねながらも、返答はわかっている顔で。



「真剣にやったことない奴にはわかんないんだよ」

「私が真面目に言っていないとでも?」

「ああ、口ばっかりで頭の固いやつ」

「あなたこそ、男子がどんな目で見ているか想像もできない頭なんじゃないですか。それとも見せたがって――」


 ぱん、と。

 手を叩く。

 間に立つ会長が、言い合う少女たちの言葉を止めた。


「あなた達には、お互いを尊重する気持ちが必要ですね」

 敬意が足りないから聞く気にならない。

 ミトからすれば外野の言葉。こうして話し合いの時間を設けたことが妥協のつもりだけれど。


「相手を真っ直ぐに見ることも」

 色眼鏡を通しては見える姿も歪む。

 真剣じゃない。そう口にしたものの、フーカの視線に一定の熱は感じていた。

 都合が悪くて適当に聞き流そうとしてきたのも事実。



「会長として、問題解決の為に勝負を認めましょう」

「勝負?」

「……なんですか?」


 会長を名乗った少女が立ち上がり、二人の間に箱を一つ置く。

 手の下に隠れて全部は見えないが、菓子の箱だった。


「逃げますか?」

「あたしが? 冗談じゃない」

「逃げるなら今のうちですよ」

「あんたこそ」

「いいでしょう」


 会長が微笑み、箱から手を退けた。

「ポッチーゲームです」

「は?」

「ポッチー? ……って、まさか会長」


 フーカの顔色が変わる。

「降りるというのなら止めませんけど、フーカさん?」

「わ、私が……」


 やや尻込みするフーカに、ミトは笑みを浮かべた。

「はっ、負けるのが怖いならやめとけば」

 白黒を着けるのは嫌いではない。

「そ、そうじゃありません。けど……い、いいでしょう」


 風紀を守る立場のフーカは、風紀を乱すようなゲームの内容を察していた。

 陸上一筋のミトは、勝負という言葉が自分の土俵だとして相手を煽るが、中身を理解していなかった。



「では決まりです。勝敗に不満は言わないこと」

 会長が頷き、箱を開け包みを破り、一本のポッチーを取り出す。

「尻込みして折った方の負けですから」

「あたしがビビッて……うん?」


 がらりとドアが開き、生徒会室には新たな人物が現れる。

 ノックもなしなのだから、この部屋に出入りするのが自然な人。

 東欧の血が混じるという色素の薄い印象の少女。生徒会書記の張布ちょうふゴルヴィア女史だ。

 風紀委員のフーカは当然、あまり生徒会と関りのないミトでも知っている。


「ちょうど良かったわ、ルヴィアちゃん」

「私の名はゴルヴィアです、会長。む――」

 開いた口に、手にしたポッチーを差し出す。


 不審そうな目で、しかし特に疑問は挟まずに彼女はそれを口にした。

 お腹が空いていたのかもしれない。


「つまり」

 ゴルヴィアが咥えたポッチーの反対を、会長が咥える。

「な……」

「……」


 ぱきりと。

 折れた。ゴルヴィアが噛み砕いた。


「……何の真似ですか? いつもの発情ですか」

「ルヴィアちゃんの負けね」

 ポッチーを飲み込み半眼で会長を睨むゴルヴィアに、会長は肩を竦めて、


「あとで私のお願い聞いてもらおうかしら」

「正当な勝負とは思えません。無効です」

「チョコついてる方あげたでしょう?」

「……なるほど、先行後攻のバランスは取れているかもしれません」


 それでいいのか、とフーカもミトも疑問に感じるところだが、問題はそこではない。

 二人の視線が、会長が開封した箱で重なる。



「じゃあ本番ね」

 次は自分たちの番なのかと。

 フーカの視線が揺れ、ミトの喉が鳴る。


「だけど、その……」

「出来ないのなら、双方が謝って――」

「い、いいですよ。私は受けて立ちます」

 別の道を探そうとしたミトに対して、強がるようにフーカが言い放つ。


「私は間違っていませんから」

「それはあたしのセリフだって……ああ、いいさ」

 ミトがポッチーを抜いた。


「やれるって言うならやってみな」

 む、と咥える。

 やるなら先手を取る性分だ。ついチョコのついている方を口にしてしまったのは仕方がない。


「……ちょっと、あなたね」

 不満そうに、口をすぼめるミトに対してフーカがねめつけた。

「下を向いてくれないと届かないじゃない」


 背丈が違う。頭半分ほど。

 ポッチーの先端はフーカのおでこに刺さりそうだった。


「う、ん……」

 下を向けると、フーカは一つ息を吐いた。

 覚悟を決めるように。


 やや赤らんだ頬。

 遠慮がちに開けられる唇は、鏡で見慣れたミトの唇よりも薄い桜色。

 狙いが逸れないように両肩に置かれた手に対して、どうすればいいのかわからないミトの手が宙を漂う。



「は、む」

 ミトが目を閉じたのは、心臓の拍動に耐えられなかったからだ。

 陸上の練習などとは違う緊張感。熱い。


 ぐいと、肩を掴む手が力を増した。

 小柄な風紀委員の力だけれど、ミトを逃がさない強さがある。


 二人を繋ぐ一本の細いポッチー。

 見ているのも怖いが、目を閉じているのも怖い。

 ミトが目を開けると、思った以上に近くにフーカの顔があった。



「……」

 いつの間に眼鏡を外していたのだろうか。気が付いていなかった。


 まつげ長いな、とか。

 真っ直ぐでサラサラな髪は、幼い従姉妹のそれを思い出させる。

 日焼けしたミトとは違う白い肌が、ほんのり紅潮しているのを見るとどきりとする。


 真剣な瞳でミトを見つめて。

 意外と負けん気が強いらしい。知らなかった。

 練習後のミトによく突っかかってきたのだから、気が弱いわけはないか。


 僅かな振動。

 フーカの唇が進む。

 近付く。


 このままでは唇が触れてしまうかもしれないのに。

 頭を引きたい。けれどそれでは負けだ。

 小柄なフーカが進むのに、ミトが下がるのでは。


 意を決した。

 ファーストキスがなんだ。ただ唇が触れるだけで何が変わるわけでもなし。

 ギリギリになればフーカの方が怖気づくに決まっている。


 踏み込んだ。

 ほんの少し、指先ほどだけれど。

 フーカの唇に近付く。

 もう少しで鼻が触れてしまいそう。


 フーカの瞳が揺れた。

 戸惑い、怖れ。

 勝負の場でそれは敗北に繋がる。


 勝ったな、と。

 小うるさい風紀委員がよく頑張った。

 しかし勝負度胸でミトが負けるわけがない。



 揺れたフーカの瞳が――閉じられた。

 ミトを映して、全てを受け入れるように。


 そして近付く。

 閉じられた瞳とは違って、柔らかく開いた唇が。



「――っ」

 ぱきんっ。



 下腹に言い様のない震えが走り、体が強張った。

 身を竦めて、行き場のなかった両手を胸の前で握り締めて。


「……ミトさんの負けですね」

「い、今のは……」

「言い訳は無様です」

 会長に宣言され、口籠ったところをゴルヴィア女史にすっぱりと断たれた。


「……わかったよ」

 見ていた二人にも明らかだったのだろう。

 自覚もある。


 フーカは、まだ少し上向きの姿勢のままで、ミトが噛み切ったポッチーを咥えていた。

 気が抜けたのかやや肩を落として、残っていたポッチーを口に収める。


「んぐ……私の勝ち、です」

「ああもう、わかったよ」

 何度も言われなくてもわかっている。


「わかった、ちゃんと気にする。男子の目があるところで服パタパタしない」

 勝った負けたと言っても所詮はこの程度の話だ。

 確かに、周囲には異性の体に強い関心を抱く年代の者も多い。


「男子だけじゃありません。人目のあるところではいつもです」

「はいはい、仰せのままに」

「約束守っているか見に行きますからね」

 信用されていない。

 これまでもしょっちゅう監視されていたのだから、何が変わるわけでもないが。


「はあ……好きにしなよ」

 椅子に腰を下ろした。

 どっと疲れた気がする。ダッシュ練習を何セットか繰り返したような気分。


 フーカも同じく疲労を感じたのか、ミトの向かいに腰を掛ける。

 額を拭い、置いてあった眼鏡をかけ直して、それから指先を自分の唇にそっと当てた。

 妙に色っぽい仕種に感じて、目を逸らすのが遅れた。



「……」

「言うのが遅れましたが会長、鮎並あいなめ先生がお呼びです」

「レイナ様が? そう」

 鮎並玲那先生は、凛々しい顔立ちから女王様気質を感じる教師で、レイナ様の愛称で親しまれている。


「問題も解決したみたいですし、行きましょう」

 座り込んだ二人を置いて、会長と書記は生徒会室を出ていく。

「鍵は構いません。しばらく戻れないと思いますから、お菓子のゴミだけ捨てておいてくださいね」

 空にするのが前提のようなことを言って去っていった。



 残された二人。

 運動場から聞こえてくる掛け声や、上から響いてくる管楽器の音色。


 大したことではないけれど、負けたという事実に項垂れるミト。

 フーカはぴしりと背筋を伸ばしたまま。


「……悪かったよ」

 黙っているのもバツが悪い。

「真剣じゃないなんて言って、さ」

「いえ」


 フーカもまたバツが悪そう。

 お行儀よく畏まっているのはいつもかもしれないが、いつもより硬い。

 彼女なりに精一杯だった。ミトに話を通そうと。

 我に返ってみて今さら恥ずかしくなったのかもしれない。


「あたしだって、さ」

 見苦しい言い訳だとわかっているけれど付け足す。

「一応、ちょっとは恥じらいとかあるからさ。人のいない方を向いてやってるつもりだったんだよ」

「わかっています」


 フーカは頷き、掛け直した眼鏡の位置が悪かったのかもう一度上げ直す。

「見ていましたから」

 だから注意することが多かったのだろうけれど。



 よく見ているものだな、と。

「おへそとか見えてましたし」

「けっこういい腹筋だと思うんだよね、我ながら」

「ええ、すごく……」


 褒められた、ということでいいのか。

 ムキムキというわけではないけれど、引き締まったいい体だと思う。

 こんな言い方をしたらまた怒られるかもしれない。


「……」

 眼鏡を上げ直したフーカの手が、卓上を彷徨う。

 残っていたポッチーの袋に触れて。



「あの……」

 大した量ではない。すぐに空になるだろう。

 食べてしまいましょうというように、一本取り出して。


「……もう一勝負、しませんか?」

 躊躇いがちに。

 戸惑いがちに。


「……うん」

 笑い飛ばせば冗談で済んだだろうけれど。

 でも、フーカの瞳はとても真剣で、熱を帯びていて。


 次は、折れないかもしれないな。

 折れなかったらどっちが勝ちなんだろう。どっちも勝ちということでいいか。

 真っ直ぐに伸びるポッチーに、ミトは素直に口を開いた。



  ※   ※   ※ 



「また一つ、花を結んでしまいましたね」

「……」

 楽し気な会長を書記は冷めた瞳に映す。


「あらあら、手伝って下さったのに連れないこと」

「加担するつもりはありませんでした」

 頬に添えられた手。指が伝う感触に背中がぞわりとする。


「咲かせて裂いて、それを奪う。楽しいのですよ」

「……咲くとは限りません」

 ふふっと笑う女に、言葉だけは抗った。


「貴女がそうだと、レイナさんをまたどうしましょうか」

「レイナ様に酷いことはっ……しないで、ください」

「酷いことだなんて、ふふっ」


 笑い声だけで背中が寒くなった。

 下腹が震え、足を絞めて堪える。

 怖い。自分のことではなくて、大事な誰かのことを思えば。


「大丈夫、ですよ。ルヴィアちゃん」

 優しく撫でる手。

「摘んだ花は綺麗に飾ってあげますから。いい子にしていれば、並べて」

「……」


 生徒会室に置いてきた二つの蕾は、そこに花を咲かせるだろうか。

 そうでないのなら別にいい。

 もし花をつけるのなら、どうか。


 踏み躙られることのないよう。

 引き裂かれることのないよう。


 そんな願いとは別に、逆に。

 別の花に興味が移るのなら、自分を捕らえるこの冷たい指が解かれるかもしれない。


 悟られてはいけない。

 弱く儚い花である自分たちは、誰もいない場所でひっそりと寄り添う日を密かに願うだけ。

 支配者の庭から逃げ出そうなど、胸の奥の願いを知られてはいけない。


「レイナ様と共にお仕えします。会長」

「一緒なら何でも、でしたわね」


 日の当たる場所に自由に咲けないとしても、好いた花の香りを不幸とは思いたくない。

 気まぐれな支配者の庭で花咲く乙女に幸いあれ、と。



  ※   ※   ※ 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部活少女と風紀少女 大洲やっとこ @ostksh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ