マレビト祭

石燕 鴎

第1話

 I県T村でわたしは生まれ育った。T村は山のふもとにあり、緑豊かで温暖な気候を持つ過ごしやすい村であった。村では何故か男が生まれることが少なく、わたしは約三十年ぶりに生まれた男であった。次の年、男の子がもう一人生まれた。その子供は村名主の家の子供で大層贅沢ななりをしていたことを子供なりに思っていた。わたしとその村名主の倅、Yとは仲が良く、女だらけの村で兄弟のように育った。


 ある日わたしはその村名主の倅と一緒に山へと入った。それぞれの親たちに、山の上にある神社に花を供えるように言われたのだ。わたしたちは初めて入る山に興奮し、喜び勇んで山に入っていった。鬱蒼とした草叢を踏み分け、清い流れの川を越え、参道の急な石段を超えてゆく。大きな石の鳥居をくぐる前に、わたしたちは一礼をするはずであった。しかし、Yは元気がありあまってか、石段を飛び越え、石造の大鳥居を礼もせずにくぐった。わたしは彼の背中を見送り、一礼をして鳥居をくぐった。鳥居をくぐった瞬間、冷たい空気が自分の身体を包んだのを感じた。Yは何も感じていなかったのか元気よく祭殿へと駆けていく。わたしは傷ついた猫のように慎重に周囲を警戒しつつ進んでいく。手水場のあまりに女の人が独りぽつんと立っているのが見えた。わたしが立ち止まると、その女の人はこっちを見た。女の人は豪華な着物を着ていた。そのなりからすると農民ではないと思わせるような出立だ。わたしは手に持った花を思わずその女の人に渡した。女の人は小さく微笑むと、Yの方を指差した。Yは祭殿に花を手向け、一心不乱に歌を唄っていた。わたしは少し怖くなってYの方へと近づいた。Yは知らない言葉で一定の規則で呟くように歌を誦じていた。わたしはYの行為を邪魔することができずにいた。女の人は着物の裾を引きずりながらこちらへ向かってくるとわたしに唇を三日月の形にして微笑んだ。そしてわたしの手をとった。

「我とあひたまへ」

 女はその一言を残すと、Yの肩を叩いた。

「いね」

 Yはその一言を聞くと膝から崩れ落ちた。女の人はそれを見ると祭殿の向こう側へと霧のように消え去っていった。わたしはYのことを何度も呼んだ。しかし、Yは震え、何かに怯えたように自身のことを抱きしめ返事を返さない。わたしは困り果てて大人を呼びに行こうと石段を降り始めた。それが失敗だったとわたしはいまでも後悔している。わたしがふもとの村にたどり着いたとき、すっかり暗くなっていた。わたしは下駄を脱ぎ捨て田んぼで作業していた大人の元へと駆けてゆく。すぐそこにいま大人にYのこと、女の人のことを話すと、Yの母親とわたしの母親が抱き合い泣き崩れた。大人たちはそれを見ると山の方へと篝火を持ち、向かっていったが結局、Yは見つからなかった。


 それからというもの、毎晩わたしの母が頭をなでながら涙をひと粒ふた粒こぼしていたのを記憶している。あの頃は貧乏故に涙を流していたのだと思ったのだが今思えばそれは違う。あれはわたしが十四になるときの未来を思った涙だったのだろう。


 十四になるまでに、わたしの食事は少しずつ豪華になってゆき、勉学のため師匠がつけられた。また、着たこともない装束を満月の晩に独り和歌を一首詠むという決まりができた。わたしはYや母、それからあの女の人のことを想い、歌を詠んだ。ある晩和歌を詠んでいると突然Yが歌っていた唄を思い出した。それを口ずさんでみると「私を夫に。村を導いてください」という旨の歌であった。何故、Yがそれを歌ったのか分かったのは十四歳のときの祭の晩であった。


 この村の村祭は山の上にある神社に皆が篝火を持ち参拝するというもので、若い男が他村から手伝いにやってくるのでマレビト祭とも呼ばれていた。わたしは村祭に参加するため、準備をしていると母親が神妙な面持ちでやってきた。わたしのことを強く母親が抱きしめると、ある一枚の絵を見せてきた。それはあの女の人にそっくりであった。


「あなたはこれから山神さまのお婿さんになるの」

「山神さまとはなんですか」

「あなたのお嫁さんになる方よ。いい?あなたは祭殿についたら、和歌を一首詠むの。山神さまを想った歌よ」

「それで、祝言は終わりですか」

 母親は黙って首をふった。

「あなたはあの祭殿で一晩を過ごすの。いい。どんなことが起きても逃げてはいけないわ。逃げれば、ムラが滅びてしまう」

「わかりました。最後に一つ。Yはあのとき、いったいどうなったのですか」

「Yくんはね、山神さまに嫌われてしまったの。それであんなことに……」


 わたしは黙って着替えることにした。村に伝わる伝統の装束を着て、太刀を佩くと篝火を持った女衆や婿入り道具を持った他村の男衆に囲まれ、山に登って行った。大きな石鳥居はあの頃のままで一礼してくぐれば、そこにはあの日の美しい姫君がいたのである。わたしはその姫君にかしずくと、白く細い手を取った。女は優美な微笑みを崩さぬまま、わたしを祭殿へと誘う。わたしは和歌を詠むのも忘れ、祭殿へと入っていった。


 祭殿は、朱色で染まった空間であった。気がつけば姫君の姿はなく、わたしは独りぼっちになった。わたしはあの女に捧げる和歌を詠もうと色々と考えていた。

 そのときであった。きな臭い厭な臭いが一気に広がってきた。わたしが祭殿の中から外を伺うと、ある一人のYに良く似た男が篝火を奪い祭壇に火を放ったところであった。だんだんと煙が充満していく中、わたしは逃げることもできずに途方にくれていた。大きな足音が聞こえる。わたしがふと音の方向を見るとあの日のYがいた。Yは小さな手でわたしの手をひくと、走り出した。祭殿の裏口からYに手をひかれ、脱出をすると祭殿は火が周り、祭殿が崩れ落ちるところであった。わたしはそれを美しいと思って立ち止まりかけたが、Yはわたしを立ち止まらせなかった。

 わたしは厳しい山道を超え、気がつけばYの姿は見えず、見知らぬ村にいた。山は真っ赤に燃えていて、真っ暗な夜空に茜色と、黒いもうもうとした煙がさしていた。

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マレビト祭 石燕 鴎 @sekien_kamome

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