第3話 繊細な男

 寒い。秋かと思ったらもうこんなにも寒い。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋とかしようと思っていたのに読書の秋をしたい利用者さんの本の貸し借りしたり、それのための展示や企画をしていたらあっという間に冬になろうとしている。


 そして今私は図書館前の落ち葉を掃除している。図書館の入っている施設には図書館以外にもカルチャー教室や喫茶店が入っているし、施設全体を掃除する清掃会社の人もいるけどすぐ落ち葉でいっぱいになるから交代で清掃をするのだ。

 今日はわたし。1人でこれだけ拾うのか、と思う人もいるだろうがわたしはそれでいい。

 1人でただひたすら履いていればいい。その時間こそ妄想できる時間の一つ。


 一つ落ち葉を拾う。これは本のしおりになるかな、なんて思うんだけどそのまま本に挟んだまま返されて悲惨な思いを何度かしたことがあるからやめていただきたい。できるならラミネートしてちゃんとしおりにして欲しい、それが司書である我々のお願いである。


 結構本には落ち葉もだがいろんなものをしおりにしてそのままにして返されることが多い。返却時にたいてい気付きとるのだが、普通のしおりもあればレシートだったりメモ用紙だったり、お菓子の袋だったり、名刺だったり、カードだったり……。


 一回若い男の子のアイドルらしき子が写ったカードが挟まっていたがそれをカウンターの返却時に出てきたときにわたしと同じくらいの年齢と思われる子連れの主婦が真っ赤な顔して、そのカードを渡すとサッと取られた。別に悪くはないと思うが。結婚しても旦那以外に好きな人ができても。

 でもわたしは自分より若い男の子を好きになるということに抵抗がある。気づけば好きな俳優さんも、歌手もタレントもお笑い芸人もわたしよりも若くなっている。それを知るとなぜか気分が萎える。


 自分より年下の男に何うつつ抜かしているんだという気持ちになるのだ。

 だから自然と年上の俳優が好きになるしほっとするのである。

 それをいうと友達は梛はおじ専とかいうけど。最近のおじさまたちは昔に比べて若く感じる。だからおじさんと思ったことはない。


 話はしおりに戻る。

 みんな本に夢中で何かの途中でどうしても読むのを中断せねばならず適当に選んで挟むのか。

 そもそもしおりなんて買うものではないという人も多いだろう。

 わざわざしおりは買うのか? わたしも買ったこともないし読書好きということは周りから周知されているのにしおりはもらったことがない。もらうのは書店に置いてある無料のしおりだけである。

 本によっては紐のしおりがあるのだが本と繋がってて無くすこともない。


 そういえば今度は買ったと思われる金色のしおりが挟まっている本があった。目の前で見つけ、その人を見ると垂れ目の男性。30代後半。わたしよりも年上である。多分。

 こんな洒落たしおりを持っているだなんて。形はよく見ると京都のお寺を象っている。


 お土産か? 自分では買っていない、多分そうだ。借りていた本は「繊細なあなたに送る本」であった。

 見た目そんな感じもしなかったのだが人それぞれ抱えているのね。最近その繊細さん(勝手につけてしまった)は心の不調をどう治すかという啓発本をよく借りるようになった。

 どうか以前のように歴史小説を借りていたあなたに戻って欲しいものです。


「東雲さん、そろそろ終わりそうね」

 返却ポストの中身を回収しに来た館長がやってきた。

「はい、あと少しで終わります」

 いやもっと妄想していたい。その繊細さんのことをもっと。


 

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