女地蔵

赤上アオコ

女地蔵

 これは私が小学生の頃の話である。

 その時の私は多くの女子小学生がよくやるように、教室の隅でドーナツ状に固まりながら友人と噂話に興じていた。いつもは誰が誰を好きとか、誰かの靴下が消えただの話をしていたのだが、その日は少々違った。2時間目後の朝っぱらから、皆して怪談話を披露し合っていたのである。昨晩に心霊番組が放映された影響なのは言うまでもない。

 幽霊タクシーなど有名どころばかり話に上がる中、輪の一員であるM子が祖母から聞いたという怪談を教えてくれた。

「あのね、M子だけに教えてくれたの!」

 末っ子のM子はよほど嬉しかったようで、勝ち誇ったように話し出した。

「裏の道ずっと行った先に、雑木林があるでしょう?」

 私の地元は住宅街を絵に描いたような街並みだが、少し外れると廃屋が多い箇所がある。

「そこにお地蔵さんが立ってるの知ってる?6人くらい」

 ああ、と合点がいく子もいれば、かぶりを振る子もいた。

 私は一応見たことはあった。うっそうとした木陰の中に佇んでいる彼らは、それなりの存在感がある。

「しっかり形が残っているのは6人だけなんだけど、隣に大きい石の塊があるんだって」

 M子は「これくらい!」といいながら頭上に手を伸ばした。

「で、元々石像だったんだけど、月日が経つにつれ削れていって、何が掘られてるかも分かんなくなっちゃったんだって」

 でもね、と続ける。

「お婆ちゃんがお婆ちゃんに聞いた話によると、あれは"女地蔵"っていうのが彫られてたんだって」

 女地蔵?と私たちは首を傾げた。

「他のお地蔵さんとの違い?よく分かんないけど。ただね、今でもたまに石の塊にしか見えなかった像に、しっかり顔が見える時があるの。その時に" ××××"って呼ぶと、家まで付いてくるんだってさ」

 M子が声を潜めながら、にやりと笑った。

「着いてきた時はすぐわかるの。ペタ、ペタって音がずっとついてくるから」

 彼女の声音に誘われ、薄暗い道に響く裸足のような足音を想像する。

 ・・・少し身震いしてしまった。

「着いてきたらどうなるわけ?」

 K美がM子へ聞いた。

「知らない。お婆ちゃんも教えてくれなかったし」

 M子の答えに納得いかなかったようで、K美「なんだ、つまんないの」と口をへの字に曲げていた。

 そうなるとあとは自然だ。じゃあ下校時に見に行こうという話になった。

 いつもとは違う道を通り、住宅街のはじへ進む。どんどん人気は無くなり、今にも崩れそうな廃屋や、雑草が生い茂った空き地が多くなってくる。当時から高齢化が進んでいたこの地区の家々は、恐らく二度と戻らない家主を待つも虚しく、静かに朽ちようとしていた。

 M子の兄がこの辺りでよく虫取りをしていたそうで、すいすい道案内をしてくれるが、用がなければ行きもしない場所であった。

 しばらく走ったり歌ったりと呑気に進んでいた私たちであったが、より草木が多くなったあたりで体感温度が下がるのを感じた。

 向かって左側の道脇の、朽ち果てた空き家と鬱蒼とした林の中に、地蔵たちは静かに立っていた。

 その地蔵の隊列の一番奥、つまり7人目に当たる位置に細長い塊があった。

「あれだ」

 わらわらとそれに近づく。確かに他のお地蔵さんたちに比べると輪郭は分からず、石の表面はゴツゴツとしていて、表面を所々苔が覆っている。

「顔、見える?」

 お互いの顔を見合わせる。

 誰も彼も不思議そうな、ガッカリしたような表情をしていた。

「なんだ普通の石かー」

「まあそんな簡単に見えないよね」

 試しにと「" ××××"」と呼びかけてみたりしたが、何も反応はなかった。

 M子は自分がお披露目した怪談がこんなオチになったことですっかり不貞腐れてしまい、私たちも女地蔵への興味を無くし、その場を後にしたのだった。



 数年後、私が小学校高学年に上がった頃。

 塾に通い始めた私は、何度が学校からの近道として地蔵の道を通るようになっていた。

 とはいえ、あの辛気臭い雰囲気に少し不気味さを感じていたり、嫌でも怪談が頭を過ってしまうので本当にたまにだけれど。それでも、石は変わらず石のままだった。


 ある日、クラスルームで担任教師が神妙な顔で私たちに告げた。

「この所、不審者情報が相次いでいます」

 曰く、30代くらいの男が女子小学生相手に声掛けを行なっていたそうなのだが、段々エスカレートし、腕を引っ張ったり家の前までついて来ようとするようになったという。

 男は黒いジャンパーにスウェット、ベージュのスニーカーを履き、赤い帽子をかぶっていたとの話だった。

 以来、学校では「赤帽子の男」の話題で持ちきりだった。登校はもとより集団下校が基本となり、先生やボランティア、お巡りさんが通学路に張り付くようになった。勿論、人気のない場所をうろつくことは厳禁となったので、地蔵の道を通ることは皆無となってしまった。

 私は友人たちと塾へ向かいながら、不審者のくせに赤い帽子なんて目立つ格好するなあと、他人事のようにぼんやり考えていた。

 ただ、そんな厳重体制が功を成したのか、赤帽子はすっかり現れなくなってしまった。3日もすれば遠足の団体行動のような高揚感は消え、1ヶ月も過ぎれば下校時の点呼は無くなり、3ヶ月後には惰性のようにバラバラ帰宅していった。 


 ある日の事だ。いつものように級友たちと塾へ向かっている途中で、私は塾の宿題を教室に置いてきてしまった事を思い出した。

 塾講師の鬼の形相が頭に浮かんだ瞬間、私は友人たちに断りを入れ学校へ飛んで帰った。

 幸い、宿題はすぐに見つかった。机の中に入れたままにしていたからだ。

 ふと時計を見た時、顔から血の気が引いた事を覚えている。思ったよりも時間がない。慌てて学校を出、通りに繋がる十字路を右に曲がろうとしたとき、頭の中でもう1人の私が囁いた。

 いや、あっちから行くと遠回りだ。地蔵の道を行こう。

 ふと十字路の左を見やる。人は誰もいない。

 何大丈夫、赤帽子はあれから一切現れない。

 それより先生に怒られる方が何倍も怖いじゃないか。

 一瞬だけ右の道を見たものの、結局足を左の道へ進めたのだった。


 道は相変わらず人気がなくしんとしていた。が、塀の上から伸び放題に伸びた枝もいつも間にか色めき、イチョウの葉がヒラヒラと舞い降りてくる。

 もうこんな季節になったのかと、年甲斐もなく感慨深く思っていると、背後からトットッと足音が聞こえた。

 このあたりは空き家や古い蔵ばかりで、時間帯によっては滅多に通行人とは遭遇しない。私のように近道した人だろうか。何の気なしに、背後を振り返る。

 赤い帽子が目に入った。

 首が変な音を立てたのかと思った。それくらい勢いよく顔を前へ向けた。

 やばいやばいやばいやばい。

 心臓の音が耳奥にまで響いてくる。

 いや、たまたま同じ色の帽子だっただけかも。似たような帽子を持っている人なんて、地球上に、いやこの街に何人いるか。

 気持ち足取りが速くなっていく。気のせいが、背後の足音もスピードを上げた気がした。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け

 手がどんどん湿っていくのを感じる。涼しくなってきたはずなのに、額から汗が流れてきた。

 大声を出そうか?いや、このあたりは人が住んでるかも怪しいくらい寂れている。それに、喉に何かが詰まったかのように声が出ない。

 大丈夫、大丈夫。そうだ、いっその事走ってしまおう。そもそも塾に遅れそうなのだから。普通の人は目の前の小学生が突然走り出したとしても、気にも留めないだろう。大丈夫。

 瞬間、私はパッと駆け出した。ランドセルに付けたキーホルダーが揺れてガチャガチャと音を立てていてうるさい。これでも走るのはそこそこ得意な方だ。そこを右に曲がれば、地蔵が立ち並ぶ道だ。

 曲がる一瞬、私はつい後ろを見た。思ったよりも近い位置に、赤帽子の表情が見えた。

 その目、口の歪みを見た瞬間、私は本能的に悟った。


 ああ、奴だ。赤帽子の男だ。


 それからはもう、ガムシャラに走った。

 危機感が五感を研ぎ澄ませてしまったのだろうか、私の耳にはランドセルが背中で揺れる音と自分の息遣いと共に、


 タタタタ


 という走り迫る背後の音を拾ってしまった。

 頭が真っ白になりながら、早く塾へ続く通りへ出ようとそれだけが頭を支配していた。

 その時、視界の隅に林がうつった。いつもの通り石像たちが静かに並んでいる。傾いた日の光が静かに彼らを照らし、鬱蒼とした印象は不思議と感じなかった。

 それだけではない。6人目の先に、それはいた。日に照らされた苔むした石は、確かに横顔を持っていた。


 私は何を考えるでもなく、反射的にそれに向かって叫んだ。


「"××××"」


 顔が、こちらへ向いた。


 私は目線を返す暇もなく、石像たちの前を走り去った。

 早く、早く。ここから右の小道を行って、また左の路地を曲がって、それから、それから、それから…


 ふと、耳が音を拾った。


 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ


 タタタタタタタ



 ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ





 気がつくと商店街の通りにいた。背後の裏路地を振り返る。飲食店の隙間に存在するそこには、ゴミ袋や赤いタンクが転がり、夕日が細く差し込んでいた。

 頭はもやがかかったようであまり働かない。ふわふわとした足取りで進学塾へたどり着き、自動ドアを通った。受付のお姉さんがあらっという表情でこちらを見やる。

「珍しく遅かったわね、今日は201教室でー」


 それからは大変だった。堰き止めていた何かが決壊したかのように大泣きする私、警察に連絡しようと走り回る事務員と塾講師、顔を真っ青にした母親が塾に飛び込んで来たりした。

 その日の夜から街は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなり、集団下校はそれから半年は続いたし、私が卒業した後もボランティアの方が通学路にずっといるようだった。

 そんな大騒動を引き起こした元凶、赤帽子の男は結局あれから見つからなかった。私にも話を聞きに来た刑事さんが教えてくれたところによると、実は捜査線上に浮上した男がいたのだが、家まで行くともぬけの空。その後も行方知れずとなってしまったという。

 だが不思議なことに、六畳半ワンルームの部屋には苔が大量に落ちていたというのだ。靴の裏についたとかいうレベルではないそうで、何か心当たりがあるかと聞かれたが、ないと答える他無かった。

 あれから地蔵の道へは行っていない。

 何度か行こうとしたのだが、あの日の出来事を鮮明に思い出してしまって、どうしても足がすくんでしまう。

 私が叫んだ後に聞こえた、ペタペタという音は何だったのか。私の背後で何が起こっていたのか。確かめに行く術もなかった。

 ただ、ふと思い立ってネットで「女地蔵」と検索した事がある。

 殆ど関係ないページがヒットする中、ある地域のあるお寺の伝承が見つかった。


「〜〜〜、その地蔵は度々男衆の力自慢によって移動させられ定位置が変わったことから、あの地蔵は男について行く女地蔵だ、と言われるようになった。〜〜〜〜」


 私は6人の隣にただ在る石を思い出した。

 男について行く、女地蔵。

 最初に女地蔵を見に行った時は女子しかおらず、道を通った際も私1人だけの場面が多かったと思う。

 あの時、赤帽子という男性がいた。

 そして女地蔵の「顔」を見た。

 これは果たして偶然なのろうか。


 進学し街を出て数年経った今、地元の女地蔵の由来は愚か、現在の様子さえ確認することはできない。

 でも、あの静かに佇む石像から苔は剥がれ落ちているのか。それだけが今でも気になっている。

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