何度でも撮り直し

松原レオン

何度でも撮り直し




 どうもおかしな話なのだが、少し聞いてくれないだろうか。

 カラカラカラという音がして本当にほっとしたんだ。なんてったって俺はひっくり返ったままで起き上がれなかったんだから。

 でも出てきた女はぶつぶつ言うだけで手を貸そうとしてくれない。俺は腹が立った。

 困っているやつを前にしてなんて無情で、惨たらしい女だろう、それでも人間か、ってさ。でも、そうするのも人間なんだって言ってしまえばそうなんだが、それで終いだろう。

 だから俺ひとりで頑張ることにしたんだよ。手足バタバタさせて、そりゃ格好は悪かったろうさ。そこで女が言ったんだ頑張ってって。なんだい、他人事だと思って! 頑張っているに決まっているじゃないか、こっちは起き上がれないんだから。

 やっとこさ起き上がって、よかったよかったには、ならなかったんだなこれが。

 足が思うように動かんのだ。ふらふらと二、三歩進んで、軸足はバランスを保てないで体はずんずんおかしな方へ向かって、しょうがないから、勢いよく軸足を逆にするんだがうまく歩けない。それに少し背中も痛い。腰痛というやつだな、なに。心配いらない。年を取れば誰だってやれ腰が痛いだの、関節が痛くて歩けないだの言うもんさ。

 同じ場所ぐるぐるして、女はまた言った。

 あなた馬鹿になったのね。そうやって笑うわけでもなく、淡々と言ったんだ。馬鹿になんてなっていない、ひどい話だ。女は俺を馬鹿だと決めつけて、しばらくじぃっと見てきた。まるで観察するようで、ほんとに居心地が悪くてでも俺は性懲りもなくぐるぐるしていて。本当に俺はどうしようもない阿呆なのではないかと一瞬でも己を疑ったもんだ。

 またカラカラカラという音がして女が出て行った。

 もう誰にも見られないですむぞ、とまた俺は歩を進めた。でもやっぱりできなかったんだな。あっちへふらふら、こっちへくらくら、千鳥足の方がまだ立派だったことだろう。やっているうちに自分でも恥ずかしくなってきてしまって、歩くことを諦めた。あなた馬鹿になったのね、これが相当堪えたらしく、疲れたこともあって俺の足は力が抜けてペタンと座り込んだ。

 その時の空が明るくて、俺はどんどん惨めになった。日差しの中でこんなしょうもないことを、なんのために俺は生きてきたんだろう、なんでこんなに惨めなんだろう。

 ここでごろんと寝転がって、——そう君も思っただろう——そこで気がついたのだ、俺は起き上がれないことが原因でこんなになってしまった、なのにまた転がってしまったとね。

 あとは前に言った通りさ。起き上がれないまま手足をバタバタさせた。

 さらに恐ろしいことにカラカラカラという音がした。女が戻ってきた。

 おや、あなたまた転がっているのね。

 今回こそは少し笑ったはずだ。さっきはふらふら歩いて、また見てみたら知らない間にひっくり返ってるんだから。

 女はさすがに同情したのか、棒を伸ばしてきた。これに掴まれってことらしい。俺は少しばかりむっとしたんだが、まぁ有難いと思ってそいつを掴んだ。

 そこで初めて知ったんだが、というより意識したことがなかっただけなんだが俺の手ってのは不格好なんだな。指は太くて、寸詰まりで、爪なんかヘラのように潰れているんだ。それに乾燥でガサガサと粉をふいている。無性に恥ずかしくなったのだ。なにせ少し離れていてもわかるほどに女の手は綺麗だった。するするとしていて、俺のとは正反対なんだ。

 もう棒を渡してきた時点で気がつくべきだったのかもしれないが、女は何かびっくりした素振りで棒ごと俺を払った。

 俺は尻餅をついてまた倒れた。

 女はカラカラカラと去って行った。

 まぁいいさ。俺は棒を杖のようにして立ち上がることにした。なにもない時と比べてものすごく楽だった。歩くのはやはり少しだけ無理があったんだが、上出来、上出来と思って調子に乗った。直後、バランスを崩して、転落した。

 わあ、わあ、わあと動いたんだが、なにせこの足じゃ登れない。でもここで死んでしまうのはあまりにも切ないと思って、周りのものを手当たり次第につかんだ。

 少し絶望もしたことだろう。人に話していると俺のことなんだが他人事のように思えてくるよ。でもとにかく俺にはなにもかもがだめだったんだ。

 カラカラカラとまた女が顔をのぞかせた。あら、落ちてしまったのね。

 どんなに惨めだったか言葉にできないね!

 俺はまた落ちた溝でぐるぐるしていた。役立たずだろうが、生きたいものは生きたかったのさ。だから俺は背面であろうと構わず抗いつづけた。

 女がその様をまたじぃっと見てきたんだが関係ない。

 言うじゃないか、努力すれば報われると。きっとそのうち報われるはずだって。



 今朝洗濯物を干そうとベランダに出ましたの。そしたら親指ぐらいの虫が死にかけていてね。あたし、よっぽどどうすべきか迷って、結局そのままにしちゃった。さっき見たら力尽きちゃったみたい。でも、ほらあたし虫がただでさえ嫌なのに、このくらいありますのよ。死骸でも嫌よ。風でどこか飛んでいってくれないものかしら。

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