#5 チェス
「カルヴァ、ついに決めたか。オレは嬉しいぞ!」
真夜中。
燭台の灯りだけが静かに照らす書斎。
カルヴァと呼ばれた青年は、チェス盤を挟んだ向こう側にいる男を見た。
満面の笑みを浮かべながらナイトの駒を進める男は、紫の瞳でカルヴァを見つめる。
その視線を真っ直ぐに受け止める、赤と、青の瞳。
先代とは違う、その瞳がカルヴァは嫌いだった。
誰に言われた訳でもないのに、どうにもその瞳が、出来損ないの証であるような気がして。
先代は、母は、その身に宿す純度の高い炎を気に入られて、目の前の男、炎神に別の世界から連れてこられたのだという。
そして守護すべき領地と、その土地に発生する害意を清める役目を与えられた。
害意は竜神の夢の中で具現化され、その夢の中で消滅させることによって清められる。
竜神の夢の中で固有の姿を持てるのは、竜神自身と、竜神が認めた、ただ一人の人間のみ。
先代が選んだのは、魔術塔の総帥お墨付きの魔術師だった。
水の魔術を得意としたその男は、澄んだ青色の瞳をしていた。
カルヴァは、二人の属性を持って産まれた。
炎と、水。
先代はカルヴァを可愛がったが、自身の技を教える事はなかった。
先代と魔術師のしていた事を、学びながら育った。
先代の炎と自分の炎があまりにも違う事を、カルヴァはすぐに理解した。
魔術師と自分の扱う水も、別物だった。
カルヴァ一人で行う事ではないのだからと、そう言われても、何の慰めにもならなかった。
竜神の世話をする領主は、先代の頃から何度も代替わりした。
人間と竜神の命の長さは全く違う。
選ばれた人間は竜神の加護により、竜神と共に死ぬ事になるのだが。
今の領主は、カルヴァの求めるものは何でも用意すると言った。
けれど、カルヴァの欲しいものは、領主には用意出来ない。出来る筈が、ない。
だから何も求めたことはなかった。
昨日までは。
あの屋敷に行ったのは、気分転換だった。
最近の夢は重たいものばかりで、何とか凌いではいるものの、気は滅入る一方だったから。
現実世界で身体を動かしたいと言うと、折角だから領地の端まで行きましょうと言われたのだった。
訪ねる予定の屋敷の前まで竜の姿で行く訳にもいかず、馬を二頭と馬車を乗せて、カルヴァは辺境の屋敷へと向かった。
輝かんばかりに磨かれた門がゆっくりと開くのを見ながら、カルヴァは人間の姿になると馬車へと乗り込んだ。
門をくぐったカルヴァの目に飛び込んできたのは、赤毛の女。
女は真っ直ぐにカルヴァを見ていた。
馬車は既にかなりの速度で走っているというのに。
彼女が門を磨いたのだと、何故だか思った。
女のみすぼらしい身なりとは裏腹に、芯の通った心が見えた気がして、彼女と話してみたいと思ったのだ。
それを領主に告げると、何を勘違いしたのか彼は私がついに共に夢に入る者を決めたのだと思ったらしい。
人の身では永遠にも等しい時間を、領地の為に過ごさねばならないのだ。
本人にその意思がないのに、自分だけの一存で決める訳にはいかない事だと、カルヴァは思っていた。
ただあまりに領主が喜ぶものだから、違うのだと言うのも憚られた。
そうしてその誤解を、目の前の男もしているのである。
「私は、ただ、話してみたいと言っただけです。あの人を夢に入れるかどうかは分かりません。どんな人かどうかも知らないのに」
「なんだ、つまらぬ。だが、なかなか愉快な女だったぞ」
「見たのですか?」
「あぁ、全方位に感謝の礼をしておったぞ。思わず笑ってしまった」
「はぁ……」
「まぁ、お前の好きにするといい。別にこの土地がどうなろうとオレの知ったことではないしな。だが何を選ぶにしろ、オレを退屈させるなよ、カルヴァ」
「はい。仰せの通りに」
「そう畏まるな! ほら、手が止まっておるぞ」
そう言われ、ビショップを動かす。
カルヴァのその手に、迷いは、なかった。
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