#4 琴
朝日が昇るのと殆ど同時にミミィは目覚めた。
首には、黒のリボン。
いつの間にか小屋に置かれていた、やはり黒のワンピースと、ストラップシューズ。
ミミィはそれを何とか身に付ける。
小屋には鏡なんてない。
ミミィは窓に映り込む自分の姿を懸命に見つめて、身なりを整えた。
それからちりちりの赤毛を精一杯梳かすと、小屋を後にした。
ミミィの磨いた門は、今日はミミィの為に開いていた。
門の前に、昨日見た馬車。
艷めく漆黒の、美しい馬車が停まっていた。
ミミィはどうすればいいのか分からなかったので、後ろを振り返って屋敷に一礼すると、恐る恐る馬車へと近付いた。
白髪の御者が馬車の扉を開き、恭しくミミィを馬車へとエスコートする。
ミミィは何をされているのかもよく分からないまま、馬車のふかふかとした椅子に腰掛けた。
ミミィは領主を知らなかった。
ミミィにとって従わねばならぬ人は、奴隷商人と老紳士、そして屋敷に住まう人達だけだった。
馬車は長い間走っていた。
時々馬を休ませる時間があって、その度に御者がミミィを何かと気遣ってくれる。
しかしミミィは、こんなにも座り心地の良い椅子に座った事がなかったから、もうそれだけで幸せなのだった。
一度、街の入り口のような場所で休憩した時、御者がくれた飲み物は、ミミィが今まで口にした中で一番美味しかった。
甘くて、少し酸っぱくて、冷たくて、思わず一気に飲み干してしまう。
御者は少し口元をゆるめ、ミミィにもう一杯それをくれたのだった。
領主の屋敷に着いたのは、陽が落ちた後だった。
既に暗い道に、等間隔に並ぶ街灯。
灯る炎は、炎神の友愛の証なのだという。
御者はまた優しくミミィを馬車から降ろし、屋敷の中へ案内した。
「やぁ、ようこそ。長旅ご苦労さま」
眩いばかりの照明の下、金銀の細やかな刺繍に彩られたベストを優雅に着こなす男は、ミミィと目が合った男ではなかった。
ミミィはてっきり、門のところで目が合ったあの人が自分の新しい主人になるのだと思っていたので、ひどく驚いた。
しかし、その驚きの表情が顔に出る前に、喉を締め付けるような痛みがミミィを苦しめた。
苦しい、と思うのだけれど、それすらも顔には出ない。
ミミィはずっと、少しの微笑みを湛えた表情のまま、心の内で苦しむのだった。
「君を何故ここへ呼んだのかというとだね、他でもない竜神様の望みなのだ。先代の竜神様の髭と鱗を使って作られた琴の音色の中で、竜神様の夢を肩代わりしてほしい」
「はい」
「ふむ、それは呪いかな? 残念ながら私には解けないのだ。後で竜神様に強請るといい」
「はい」
「ふふ、その呪いも時には便利と見える。本来の君なら、今の返事は“いいえ“だろうから」
「はい」
「あはは、今日はもう遅い。軽めの夕食を用意してあるから、空腹を満たし、湯浴みをして眠るといい。竜神様へのご挨拶は、明日の朝にしよう」
「はい」
ミミィは領主の屋敷のメイドたちに歓迎された。
誰もがミミィに優しかった。
それは領主に命じられた優しさではなかった。
こんなにも暖かな場所があるのかと。
ミミィは老紳士を思い出し、少しの胸の痛みを感じながら、カラグの乳を飲み、野菜のたくさん入ったスープを食べた。
それからメイドたちに全身を洗われ、触った事もない上質そうな布地で誂られた夜着に着替えさせられる。
首元のリボンは、もうなかった。
メイドたちはミミィに、きっとすぐに竜神様が治してくださるわと言った。
ミミィは、小さな声で「はい」と言った。
白い枕、白いシーツ、白い布団、大きなベッド。
ミミィは、夢を見ているようだった。
遠くから、琴の音が、聴こえた。
ミミィはベッドの上で老紳士と、竜神と、領主、御者、メイド、皆に、頭を下げた。
誰かが笑ったような、気がした。
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