一の三
土蔵の鍵を開ける史絵を後ろからながめながら、
――ずいぶん女らしくなった。
と三之助は思った。
ついこの間までは、こどもこどもしていた気がするのだが、ふと気がつけば、ひとりの女がそこにいて……。
――この人ももう十八だったか、十九だったか。
ただ丸かっただけの肩や腰の線も、締まるところは締まって、出るところは出てきていて、その締まっているところ出ているところからは、大人の色香のようなものが臭い立つようで、
――そろそろ縁付いてもいい年頃なんだが、縁談はきていないのだろうか。
と三之助の脳裏に、史絵がいつも三之助を見る目が頭をよぎった。最近、というよりももう数年来、彼女は三之助を見るときいつも、黒目勝ちの目を潤ませ、ちょっと焦点がさだまらないふうに、瞳を細かく揺らすのだった。
視線からだけではなく、彼女の言動や態度からも、三之助をひそかに慕う気持ちが、そこかしこからあふれ出ているように感じることが、たびたびあった。
三之助もけっして史絵のことが嫌いではなかったのだが、だが結婚となると、ちょっと思慮の外に出てしまうようだった。彼女を妹のように思っていることも確かだったが、やはり、女性というものに興味がもてないのだった。
史絵は、鍵をはずすと、重そうな観音開きの扉を力いっぱいひっぱり始めた。重そうに見えた扉はやはり重いようで……。
三之助は、彼女をわきによけて、蝶番がぎしぎし云う扉を開け、なかの格子戸も開けると、蔵のなかをのぞきこんだ。
外から見てずいぶん大きな蔵だといつも思っていたが、なかもやはり広い。これにくらべるまでもなく、小野家の蔵は蔵とは名ばかりのほったて小屋の物置きだ。
三之助は一歩中に入って、
「茶碗はどこにしまってあるのですか」
と問うと、史絵は、
「右の棚の一番上にあると思うのですが」
蔵とはいえ、男とふたりきりでひとつの部屋に入るのをはばかるように、入口から頭だけ入れて、
「あ、ほら、あそこです」
と指をさして云う。
その白くて、やわらかそうな指のさきを見ると、小箪笥や長持が雑然と置かれた奥の、花瓶やら土瓶やらが積まれた棚の上に、小さな桐の箱がいくつかならんでいる。
三之助は辺りをみまわして、踏み台をみつけて取ってくると、そのうえに乗って箱を調べる。
踏み台はそうとう年季の入った骨董ものとみえて、あちこちのホゾがゆるんでいるようで、乗るとぐらぐらと、けっこう揺れる。
三之助はうまく左右の平衡をとって、
「どれでしょう、三つ、四つ、同じようなのがありますが」
「あ、それ全部ですわ」
お茶会というので、三之助はなんとなくお点前をやるものとひとり合点していたのだが、女友達が集まって、ただお茶を飲むだけのものらしい。
史絵は、
「ほんとうは、ふつうの、ふだん使っているお茶碗でもいいと思うんですけど、なかには、ちょっと……、うるさい人もいるでしょう」
と苦笑するように云う。
三之助も笑って、そうですね、と答えた。
三之助はぐらつく踏み台の上につま先だって、手をのばす。これはたしかに史絵では手がとどくまい。これですかな、と云いながらひとつ箱を取って、蔵にひと足ふた足踏み込んだ史絵に手わたすと、ええこれですわ、と彼女は答える。
続けて、ふたつめ、三つめと、取ってはわたし、取ってはわたし、史絵は中をちょっと確かめて、空いている小箪笥の上に積んでいく。
四つめをわたして、
「おや、奥にもうひとつありますね」
「ええ、五つみんないりますの」
三之助は五つめの箱を取って、これが最後と油断したのがいけなかった。ホゾのゆるんだ踏み台が、ぐらりと揺れる。三之助も、おっとっとと、身体を揺らす。なんとかふんばって、こらえていたが、だがやがて、こらえきれなくなり、倒れ込むように下に飛びおりた。トンと床を鳴らしておりたった三之助に、
「あっ」
と手を出した史絵が心配したのは、三之助だったか、茶碗だったか。その手が、桐箱ではなくて、三之助の手を上から包み込んだ。
ひと息、ふた息、時間が止まる。
三之助の目と史絵の目が、じっと見つめあう。ふたりは、まばたきもせず……。
「あ、わたし、なんということを……」
史絵は目をそらし、恥ずかしそうにつぶやくと、さっと手を引っ込めて、くるりと振り返り、一散に母屋に向って駆け去ってしまった。
なりゆきというものだろうに、と彼女の後ろ姿を見送りながら、三之助は思った。
それでも、男の手に触れてしまったことが、さほどに恥ずべきことなのだろうか――。
三之助は、五つの桐箱を両手に抱えて史絵の部屋の前まで行き、箱を床におろすと、
「史絵さん」
と障子にむかって声をかけた。
中では、史絵が不意の呼びかけに驚いたのか、身体を動かす気配、衣擦れの音、それに混じって、鼻をすする音。
「史絵さん」と三之助はもういちど呼んで、「あれは、なりゆきというものですから、お気になさらず」
語彙の足りない頭で、精一杯の
「いえ、違うのです」
と障子の向こうから、
「わたし……、わたしは……」
聞こえる涙声。
三之助はなんといっていいか、もうわからず、
「ともかく、お気になさらず」
ともう一度いって、その場を去った。
そのまま、新太郎の部屋へもどり、のんきに寝ころんでいる新太郎に、もう帰る、と告げて、ちゃっかりと八犬伝だけは懐にいただいて、田村家を辞した。
門をでると、豆腐の棒手振りが、急ぎ足に通りすぎる。
西の空は赤味がかって、もう二月の末とはいえ、陽が落ちはじめると、とたんに冬の冷気が息を吹き返す。三之助は腕を組んで、ひとつ身震いした。
――そんなに気にとがめることもあるまいに。
と心のうちで史絵に声をかけた。
おそらく、史絵はとっさのなりゆきで三之助の手をつかんだのではないだろう。それはみずからの意思、心に想う異性の肌にふれたいという衝動。
――それが罪だというのなら……。
三之助の胸中に、しばらく奥底に沈んでいた、かつての苦い記憶が、むくむくと頭をもたげてきたのだった。
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