一の二
三之助と新太郎は、部屋で黙然と本を読む。
と、半刻もたったころ、三之助は、にわかにもよおして、
「ちょっと御不浄」
と立ちあがる。
新太郎は、うん、とも云わない。
三之助は部屋からでると、そのまま縁側をおり、草履を引っかけると、踏み石の上を歩いて庭を横切る。
この辺りの家は、武家、町家の区別なく、ほとんど
ふとみると、庭のすみで、まだ雀が地面をしきりにつついている。さきほど史絵がまいた餌がまだ残ってでもいるのだろうか。
いつもの見慣れた田村家の庭であるが、いつ見ても、この家の敷地は広い、と三之助は思う。
庭の片隅には、新太郎の両親が起居する隠居部屋がしつらえてあり、そちらをみると、夫婦仲良く縁側で何かながめていて、目があった先代が、やあと手をあげるので、三之助は、どうもと頭をさげる。
三之助たちの春原藩では、一石一坪、というのが昔からの風習のように根づいていて、禄高百石の三之助の一家は、たしかに百坪の敷地に住んでいる。だが、ここ田村家は百二十石の家禄にもかかわらず、三百坪ほどの敷地に住んでいる。なんでも、数代前の先祖がなにかしくじりをして家禄を削られたそうだが、屋敷はそのまま住んでいいという沙汰だったそうだ。これは三之助の邪推にすぎないが、そのご先祖はおそらく上役の罪を肩代わりでもしたのではないだろうか。なので家禄は削られても、恩情のようなもので屋敷はそのままとなったのだろう、と――。
思っているうちに厠に着く。
厠も広く、三之助が両腕を広げても壁にとどかないほど広い。
百石で先祖代々の借財を返済しながら、かつかつの生活をしている小野家からすれば、うらやましいのひとこと。
――うちの台所事情もそんなもんだよ。
と以前新太郎が云っていたが、なに、家が広ければ、金はなくとも心にゆとりが生まれるだろう、と新之助はいささか嫉視を向けてしまうのだった。
用をすませて、厠を出、母屋へ向かうと、史絵が部屋をのぞいていて、なにかしきりに云い合っている。いや、云い合っているというよりも、史絵が一方的に文句を云っているふうであった。
三之助は近づきつつ、耳をすませてみる。
「お兄様、お茶会はもう明日なのよ」
「ああ」
「ああじゃありません。蔵から茶碗を取り出してくださいと、もう何日も前からお願いしているじゃないの」
「ああ、うるさいな、自分で取れるだろう」
「自分で取れるなら、お兄様に頭をさげてお願いなんてしません」
まったくもう、と憤慨している史絵の背中に、
「史絵さん、えらい剣幕ですな」
と三之助は声をかける。
声に振り返った史絵は、
「あら、三之助さま」
云って、ばつの悪そうな顔をして、あわてて縁側に両膝をついた。
「もう、お帰りになったものとばかり」
と、ちょっと頬を赤く彩る。桜色に上気した顔は、目にもまぶしく、
「いえ、ちょっと用足しに」
新太郎を見ると、さっきのままの格好で寝そべって本を読みながら鼻毛を抜いている。
「声が聞こえてしまったのですが、なにか蔵から取り出すのですか」
「ええ、明日、お琴の稽古仲間が集まってお茶会をしますので、お茶碗を」
「そうですか」と三之助はもう一度新太郎を一瞥して、「そんな怠け者の兄などほうっておきなさい。どれ、私が取ってあげますよ」
「あらそんな」と史絵はちょっと迷惑そうな、ちょっと困ったような顔で、「ずいぶん埃っぽいところですし、よそ様にお願いするのは」
「なにそんな他人行儀な仲でもありますまい。さっきいらぬことを云ってご不快にさせたお詫びもかねて。さあ、史絵さん、鍵を取っていらっしゃい。私は先に行って待ってますよ」
史絵の返事も待たず、三之助は
障子の向こうから、「ふん」とすねたような声が聞こえる。
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