美代乃さんの甘いケーキ

桐谷はる

第1話

 お菓子と神様は切っても切れないのだと、お菓子作りが上手な美代乃さんは言う。

 作物が育ちやすい天候を祈り、家族の無病息災を祈り、平和な生活が続くことを祈る。祈りを叶えるには対価が必要だ。価値あるものを差し出すことは必然だ。特別なお菓子をこしらえ、しかるべき手段で神様に供える。フランスやスペインの修道院は祭事のための菓子を作り、ときには売って収入を得た。

「甘いものの材料が今よりずっと貴重だった時代は、お菓子はつまり、金銭と同じものだったと思うんです。価値を目に見える形にしたもの、というか。神様にも供えるし、富と権力の象徴にもなるし、人々を引き寄せる役にも立つ。例えば、お菓子欲しさに教会に行く子供とか、きっと少なからずいたと思うんですよ。娯楽も物資も少なかった時代は大人にとっても魅力だったと思うし。お砂糖の中毒性ってコカインより強いんですって」

 美代乃さんは薄いスポンジケーキを二枚、オーブンから取り出す。甘く香ばしい匂いが熱気とともにたちこめる。金属の網の上で粗熱を取り、その間に冷蔵庫から赤いものが入ったガラスボウルを取り出す。中身は手作りのラズベリージャムだ。美代乃さんが昨日のうちに無人販売所でラズベリーを買ってきて、砂糖と蜂蜜で煮て作った。

 スポンジケーキに手際よくジャムを塗り、もう一枚のスポンジと挟んでサンドイッチにする。粉砂糖をふりかける。こがね色にふくらんだケーキはいかにもおいしそうだ。

 ヴィクトリア・サンドイッチ・ケーキです、と美代乃さんはナイフを入れながら言った。

「イギリスの女王様が好きだったケーキなんですって。なんだか大げさな名前、こんなにシンプルなのにね。紅茶ととても合うんですよ」

 紅茶を淹れる。たっぷりとミルクを入れてミルクティーにする。ケーキを白い皿に乗せ、フォークを並べる。外は良く晴れた日曜の午後だ。

「お菓子の歴史をたどると、その土地の信仰にも触れられて、とても面白いですよ。作ってみるのも食べるのも楽しいです」

 美代乃さんはケーキにフォークを入れ、幸せそうに口に運んだ。ラズベリーのジャムがたらりと皿にこぼれる。その赤い色。粘っこそうで光沢のある、教会の窓ガラスのような色。

 ケーキは甘く、香ばしく、ミルクティーと交互にいつまでも食べていたいような味だった。頬張るとアーモンドの豊かな香りが広がった。

「お菓子を作る人が食べる人をどんなふうに支配したかったのか、思考をたどりながら作るのは楽しいです。このケーキを女王様に作っていた人も、きっと楽しかったと思います」

 お菓子を作るのが上手な人というのは、いくら優しくて無力そうに見えても、油断のならない人なのかもしれないなと思った。白雪姫に林檎を食べさせる魔女みたいだ。魔女はなんだかんだで最終的に失敗したけれど、それはただ白雪姫の運が強かっただけだ。王子様が通りかかるのも独林檎のかけらを吐き出せたのもたまたまに過ぎない。林檎を食べさせた時点で本当なら魔女の勝ちだった。

 美代乃さんはにっこり笑って、次はスペインのクッキーを作ってあげるから、次郎くん、またいらっしゃい、と言った。最近やっと作れるようになったんですよ。ほろほろっとしていて、おいしいんです。よかったら一郎さんもご一緒に。

 いまさら僕をダシに使うまでもなく兄(医者のたまごで、村で一番の出世株)はとうに美代乃さんのとりこだが、僕は空になった皿を差し出して「おかわりをください」と要求した。コカインよりも中毒性があるのだ。美代乃さんはマリア像みたいに慈悲深くひっそりと笑った。

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美代乃さんの甘いケーキ 桐谷はる @kiriyaharu

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