癒し、そしてかっぱ巻き

増田朋美

癒し、そしてかっぱ巻き

大分寒いなあと思われる日だったが、どこかで台風が立っているという情報もあり、気候が、はっきりしない一日であった。中には暑いという人もいるし、日がかげると冷えるという人もいて、これもはっきりしない。それでは、一言で言えないおかしな気候になった、というのが、一番正確な表現なのかもしれない。

その日も、製鉄所では、杉ちゃんが台所で、かっぱ巻きをつくっていた。最近利用者さんが、新米を持ってきてくれたので、それで、寿司を作ってみようという話になったのだ。

「よし、出来た。食わせよう。」

と、杉ちゃんは、かっぱ巻き10貫を皿の上に乗せた。そして、近くにいた利用者さんに皿を持ってもらい、自分は、車いすを操作して、四畳半へ行く。

「おーい、出来たぞう。お前さんの大好物のかっぱ巻きだよ。ほら、ご飯の時だけでいいからさあ、布団に起きて、しっかり食べてくれ。」

杉ちゃんが、布団に寝ていた水穂さんの体をたたいて、水穂さんを起こした。水穂さんは、一体何が起きたのかという顔つきで、目を覚ました。

「ほら、いつまで寝てんだよ。かっぱ巻き、作ったから、頑張って食べてくれ。あの、京子さんのご実家から、新米送ってきてくれたんだよ。新米で寿司作ったんだもの、きっとうまいぞう。」

杉ちゃんに言われて、水穂さんは、布団の上に起きようとするが、起きることができなくて、布団の上に倒れこんだ。多分きっと、筋肉の軟弱化が起きていると医者に解説させればそうなるんだろうが、そんなこと杉ちゃんには関係ないことであった。

「じゃあ、起きれないんだったら、寝たままでいいや。それでは、寝たままでいいから、ちゃんと食べてくれよ。醤油はつけないから。ほら、食べて。」

杉ちゃんは、隣にいた利用者さんのお皿からかっぱ巻きを一つ取って、水穂さんの口元へもっていった。水穂さんも寝たままであるが、今日は食欲があったらしくて、それを口にしてくれた。これで飲み込んでくれればいいのかなと思ったが、そうではなく、水穂さんは、激しくせき込んで、吐き出してしまった。

「ああ、大丈夫ですか。水穂さん、食べるのも不自由になったかな。」

利用者さんが心配そうにそういう。

「吐き出したらいかんよ。そりゃ食べることで空気が入って、刺激することはあるんだろうが、でも、食べようという気持ちはちゃんと持たなくちゃ。今度は、吐き出さないで食べるんだな。」

杉ちゃんは、もう一貫かっぱ巻きを差し出したが、今度はせき込むのが怖いとでも思ったんだろうか、水穂さんは、食べ物を食べようとしないで、反対方向を向いてしまった。

「おい、食べてくれよ、頼むから。一貫吐き出しただけで、おわりにしちゃうのは勿体ないよ。」

杉ちゃんがもう一回かっぱ巻きを差し出すと、水穂さんは、

「食べる気がしない。」

と一言だけ言った。

「あーあ、こうなっちまうと、何も食べてくれなくなっちまうんだよな。まったく、どうしたらいいんだろう。誰かが食わしてくれるわけにもいかんしな。けど、食わさないと、さらに痩せて、割り箸みたいになっちゃうし、何とかして食わさないといけないんだけど。」

と、杉ちゃんは、あーあとため息をつく。

「それでは、京子さんに申し訳がないじゃありませんか。せっかく苦労して、作ったお米なんですよ。今年は、台風も来て、危ないところになりそうだったの、覚えてないんですか?」

と、利用者がむきになって言うが、杉ちゃんは、其れは言うなといった。病人に対して、其れは言ってはいけない言葉というか、禁句になっている。やがて水穂さんの口元から、赤いものが流れてきたので、あーあ、またやる、と言いながら、杉ちゃんがタオルでその口元を拭いた。あーあまたやるとは言ったものの、それ以上非難する言葉をかけてはいけない。

「水穂さん苦しいか。」

と、杉ちゃんはぶっきらぼうに言うが、水穂さんは、せき込んで反応しなかった。

「これで、僕の作ったかっぱ巻きは、お流れかあ。」

こういう時を、明るくにこやかな顔をして対処できるのは、杉ちゃんだけであった。ほかの利用者は、こういう場面に出くわすと、深刻な顔をして、ため息をついたり、失望したりするだろう。

「はい、ああ、どうぞ。ちょっと今、もめていますけどね。多分また、食事をしないことで、困っているんだと思いますが。まあ、天童先生なら、何とかなるでしょう。」

ちょうどその時、ジョチさんのそんな声がして、鴬張りの廊下が、きゅきゅ、と音を立てて、二人の人間が歩いてきたのがわかった。予測通り、ジョチさんと天童あさ子先生が、四畳半に入ってきた。

「早速天童先生の、被施術者第一号が現れたようですね。」

と、ジョチさんがそういうと、天童先生は、ああ、ちょっと待って、と言って、せき込んでいる水穂さんの背中を撫でてやり始めた。本来なら、薬を飲まないと止まらないはずだったが、天童先生のヒーリングというか、お手当が功を奏したのか、水穂さんは、せき込むのをやめて、大きく息を吸い込んだ。

「はあ、すごいなあ。一体どういう作用をして、止まってくれたんだろう。」

杉ちゃんがすぐにそう突っ込む。

「杉ちゃんに言われたら、本当のことを教えなければなりませんね。ちょっと霊気の技術を使って、水穂さんの体を落ち着かせただけですよ。まあ、今回使ったのは、以前の西洋霊気よりもっと強力なものだけど。」

と、天童先生は、にこやかに笑って答えた。

「天童先生、直伝霊気を習い始めたそうなんです。以前ここに来ていた中山さんが治療の手段でやっていたものですね。そのほうがより、体に作用するって。そうですね、先生。」

ジョチさんがそういうと、水穂さんの体から手を離した天童先生は、

「ええ、そうなんです。なんでかっていうとね、そちらの方が、より、病気の治療に専念できるんじゃないかと思って。この頃、本格的なヒーリングを求める方が多くてね。いつもやってる西洋式の霊気では、ただ気持ちよくなるだけで、何も変わらないというひとが多いから、それで習い始めたのよ。」

と、にこやかに笑って言った。

「そうですか。じゃあ、水穂さんにご飯を食べさせたら、それで食べてくれるようになってくれますか。」

と杉ちゃんが聞くと、

「ええ、もう食べると思いますよ。薬じゃありませんから、眠くなるということもありません。」

と天童先生は答える。

「じゃあ、食わしてみていいのかな。」

と、杉ちゃんは、水穂さんの口元にかっぱ巻きを持っていった。これでようやく食欲が出てくれたらしい。やっとせき込むこともなく、かっぱ巻きを口にしてくれて、飲み込んでくれた。

「はあ、すごいなあ。僕たちが、今まで困っていたところを、一発で解決してしまうとは。霊気の先生、おそるべし。」

と、杉ちゃんが言うと。

「いいえ、あたしはただ、水穂さんのエネルギーの回りを良くしただけなのよ。霊気なんてそんなもの。」

と天童先生は、にこやかに笑った。

「そんなものって、すごいじゃないですか。あたしたちが、どうしても解決できなかったところを、そうやって解決できるんだから。先生、今までの霊気と、どう違うんですか?」

興味を持った利用者が、天童先生に聞いた。天童先生が、直伝霊気というのは、霊気療法の創設者であった、臼井という人の教えを日本で厳格に守り続けている、正当な霊気なのだと説明をしている間、杉ちゃんは、水穂さんにかっぱ巻きをたべさせることを、繰り返していた。さすがに、10貫は食べることはできなかったが、それでも半分以上食べてくれたので、杉ちゃんは大喜びした。

と、その時、玄関の戸がガラガラっと開いた。製鉄所にはインターフォンがないので、断らずにどんどん入ってもいいことになっている。又きゅきゅという音がして人が入ってきたところであった。

「ああ、そういえば、今日は、村松美香さんが、一時に来るはずでした。」

とジョチさんは、腕時計を見ながら、そういうことを言った。美香さんとは、今月新規でやってきた利用者である。彼女は、対人恐怖の症状があるようなのだ。それで一日利用することは難しいので、半日だけ利用することになっている。

「ちょっと僕、行ってきます。」

と、ジョチさんは立ち上がって、美香さんを迎えに行った。

「理事長さんも忙しいわねえ。最近、私のサロンを利用したいという人も増えているんだけど、ここを利用する人も、そうかしら?」

と、天童先生が言うと、

「まあね。うなぎ上りというわけではないが、なんだか来たいというやつが多いよ。家の中にいると、気がめいりそうなので、こっちへ来たいってさ。まあ、どうせここも、仕事とか勉強をする場所を提供しているだけなんだけどさ。だけど、なぜか利用したい人が多いらしい。」

と、杉ちゃんが答えた。その時は、水穂さんも眠っていなかったので、杉ちゃんの話に、

「ええ、人数は増えていると思います。」

とだけ言った。

「でもあたし、ここで何か見つかったような気がするんです。水穂さんの世話をしていたら、こんな素敵な先生が来てくれて、それに、直伝霊気なんて、すごいものがあるんだなって教えてもらって。あたし、ずいぶん遠回りしたけど、ここにきて、それを見せてもらって、なんだか習ってみたいことがまた一つできたみたい。」

と、利用者がにこやかに笑っていう。まあ確かに、傷ついた人がたくさん集まっているので、その傷をいたわってやるヒーラーさんが出入りすることは珍しいことではないが。進路が決まるということもたまにある。

「いや、美香さんのせいではありませんよ。其れは、美香さんを、通わせた人の責任ですから、あなたがそんな風に縮こまる必要はさらさらありません。だから、美香さんも気にしないでください。」

と、ジョチさんが、そういっている声がしたので、みんな、あら何かあったのかと顔を見合わせた。其れと同時に女性の泣き声も聞こえてくる。

「だから泣かないでください。そういう風に傷つくことを平気でいう指導者なんて、本当によくいますからね。まあ、そうやって怒鳴ったり、失跡したりすることで、指導をしていると考えてしまう指導者は大勢いるんですよ。」

「どうしたんだよ。もし、つらいことが在るんなら、こっちへ来な。みんなのまえで話して、忘れちまえ。」

ジョチさんがそういうと、杉ちゃんはでかい声でそういうことを言った。其れをジョチさんは聞き入れたのか、美香さんを連れて、縁側にやってきた。

「ああ、お前さん、新人さんだね。えーと名前はなんて言ったっけ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「村松美香です。」

美香さんは、小さな声で名前を名乗った。

「わかった。美香さんね。一体何が在ったんだよ。何か大変なことでも言われたか?」

と、杉ちゃんが、美香さんに尋ねる。

「ええ、今日、精神科に行ってきたんですが。」

と、美香さんは、まだ涙をこぼしてそういうことを言った。

「はあ、まあ、どこの病院かはあえて聞かないけどさ。そこで、何かあったのか。僕たち、何も言わないから、話してみたらどうだ。一人でため込んでおくよりもよ、話して外に出しちまった方が、よっぽどすっきりするぜ。」

と、杉ちゃんに言われて美香さんは、はいとしゃくりあげながら、話し始めた。

「今日、病院に行って、外へ出られるようになったかと聞かれました。まだ、人が怖くて、大勢の人が行けませんと正直に言いました。そうしたら先生は、あなたも早く治ろうという意思を持たないと。其れは、家のひとに対して甘えているって、そうきつく言われたんです。あたしは、人が怖くて、それを話しに行っただけなのに。」

「なるほどねえ。まあ、医者も患者のことバカにしているよね。外へ出られないってのは、立派な症状でもあるのにさ。それでは、お前さんがかわいそうだよなあ。まあ、運が悪かったとしか言いようがないよ。又先生がそういうこと言うんだったら、そこへ通うのは辞めちまえ。それでいいんだよ、それで。」

美香さんの話に杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「でも、確かに患者さんにそういうことをいう医者なんて、確かに言いすぎですね。ちょっとその医者が、患者さんの話を聞きすぎて天狗になっているのかもしれないですよね。」

ジョチさんは、美香さんにそういう事をいった。

「それでは、いけないですよね。やっぱり医者ももうちょっと謙虚になってもらいたいものですね。」

「僕はね、病院は嫌い。だって医者って鼻が高いやつ多いもん。何様のつもりだ、お前さんに何がわかるっていうひとことを、平気でいう医者は多いよ。まあ、そんなこと、早く忘れて、別の医者に切り替えてさ。もう、それでよかった事にしちまえよ。そうすりゃいいんだよ。事実何て、あるだけの事なんだから、それだけの事。」

と、杉ちゃんはそういうことを言うが、美香さんはさらに涙をこぼして言うのであった。

「なんだよ、何をそんなに泣いてるの?そのくらい、簡単なことじゃないかよ。事実何てあっただけで、それ以外ないんだよ。」

杉ちゃんがそういうと、

「杉ちゃん、もう少し美香さんの本当の気持ちを、聞いてやって頂戴よ。」

と水穂さんが言った。

「聞いてやってって何を?」

と杉ちゃんが言うと、

「本当のことを言わなきゃだめだってことは確かにあるわよね。美香さん、大丈夫よ。誰もここには怖い人はいないから、ね、隠さずに話してみて。」

と、天童先生が言った。杉ちゃんのそのやくざみたいな言い方を怖がっているのではないですかとジョチさんは言いかけたが、美香さんは、やっと心に決めてくれたらしい。

「私、どうしたらいいかわからなんです。忘れるってどういうことですか。気にしないってどういうことですか。どうしたら、そういうきもちになれるんですか。」

美香さんは、日ごろから感じている疑問なのか、それを泣きながら言った。

「どうするって、忘れるのは文字通り忘れていくことだ。例えば、電車の中へ、カバンを忘れるとか、そういうことと同じ。」

と、杉ちゃんは即答するが、水穂さんが、

「杉ちゃん、簡単になんでも答えるというのはやめた方がいい。だって彼女は、それができないゆえに、悩んでくるんだから。」

と言った。

「まあ確かに、過去を忘れられない人はそういいますよね。答えはそれしかないと言われてもそう思うでしょう。まあ、そういうことを簡単に言ってしまう、文献や情報が多いのも、それをできない人はダメと言っているような気がしますが。あんまり簡単に情報を発信してしまえるのも、問題ではないかと思いますけどね。」

ジョチさんは、腕組みをしてそういうことを言った。確かに答えが、ありとあらゆるところに出てしまっているというのも、ある意味では問題かもしれなかった。其れができない人は、いらないという世の中になりつつあるというのも、問題である。

「でも、答えは、そうするしかないんだよな。」

と、杉ちゃんは、ぼそっと言った。

「何か新しいことにトライしてみてはいかがですか?私みたいに、これから新しい学問を学んでみようと思ってみるとか。それか、そうだな、外見を劇的に変えてみるとか。あたしは、そういうことして対処してみましたよ。美香さんも、それを試してみたらどう?」

と、利用者が優しくそういうことを言うが、美香さんは、まだ涙をこぼして泣いていた。

「ほら、泣いたらいかんだろう。泣いている暇があったらな、次はどうしようか考えるって方が、自分のためってもんだけどね。」

と、杉ちゃんがそういうと、水穂さんが、

「ちょっとだけ、泣かせてはもらえないでしょうか。彼女にとって、一番足りないのは、よりそってくれる存在だと思うんです。」

と静かに言った。

「人間、機械じゃありませんから、なんでもスイッチを切り替えれば、別の方向に動いてくれるかというものじゃないと思うんです。其れは時折、何十人のひとが押してくれないと動けない時もある。でも、其れは、人間だからできることであって、機械には絶対できないことでもありますから。」

「まあそうだけど、早く切り替えるほうを促した方がよくないのかな?」

と杉ちゃんが言うと、

「いいえ、そうじゃない時だってあってもいいんじゃないですか。」

と、水穂さんは言った。

「ほんじゃあどうしたらいいんだよ。」

「だから、みんなでああだこうだと答えを出してやるのではなくて、そうだったのか、つらかったねと一言言って、彼女が立ち直るのを待ってやるのも、必要だと思うのです。」

「待ってやるねえ。時間は待っててくれないよ。」

と杉ちゃんはいうが、

「いや仕方ないじゃないですか。それが人間らしさというものでもあるのかもしれませんね。」

と、ジョチさんが、水穂さんの話に、賛同するように言った。

「答えはすでに見えている世の中であっても、考える時間というか、泣く時間は必要ね。」

と、天童先生もそういうことを言った。

「もし、自分ではコントロールできない悲しみだったら、私たちのようなヒーラーを頼ってくれてもいいわよ。その時は、誠意をもってやらせてもらうから。そういうことが私たちの仕事だからね。」

「いいなあ、天童先生は、しっかりしててさあ。」

と、杉ちゃんは、にこやかに言った。それで、みんな笑ってしまったが、美香さんは、また泣き出してしまう。

「なんだよ。今度はなにがあったんだ。」

と杉ちゃんが聞くと、

「それでは、こんなにたくさんの人を巻き込んでしまって、私また悪いことをしてしまったことになりますよね。一人で、自分の力で何とかしなければならないとさんざん言われいたのに、私はそれができないんですから。」

と、また美香さんは涙をこぼした。

「いや、泣かなくてもいいんだよ。人間なんて、そんなもんだよ。誰かに答えを求めることは、悪いことじゃない。それに他人のために、何か考えることだって悪いことじゃないんだ。それは、いけないことじゃない。そうだよな。」

と、杉ちゃんが言うと、水穂さんが、

「ええ、誰かのために何か考えることをできるのは、人間だけですよ。」

と、一言だけ言った。

「そうだろう。僕は水穂さんのことだって考えることもできるんだ。だから、水穂さんの体が一日でも楽になってほしい、そのために、かっぱ巻きをもう一貫食べてくれ。お願いできるか?」

と杉ちゃんがでかい声でそういったため、皆笑ってしまった。あの、涙をこぼしていた美香さんでさえも。


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