方舟と想い

河童

物憂げなスミス君

 雨が続く正午。午後の授業に備えて、僕は大学で昼食をとる必要があった。それはスミス君も同じで、僕ら二人は食堂へと向かった。

「すみませんね」

「いや、僕も学食が好きですから」

 学食は安くて美味いからというのが一番の理由だが、彼に気を遣うことがないからというのもある。スミス君は留学生であると同時に苦学生であった。彼の家は貧しく、留学生でありお金のない彼は学食がさらに安く食べられる何とかという制度を利用できた。実際、彼はこの制度にとても助けられているらしい。


 僕の注文したラーメンが半分になる頃には、彼は食べ終えていた。水がいっぱいに注がれたカップを持って、彼はグラウンドの方を見ている。彼の表情を一言で言うと、『物憂げ』であった。昨日からの雨で水浸しのグラウンドに人はいない。


 僕は物憂げなスミス君と水に沈んだグラウンドについて心当たりがあった。

 いや、それは単なる思い付きだろうけど、前から彼に聞いておきたいことだった。決して興味本位で聞くようなことでなくとも、彼を理解するためには必要なことだと思った。

 

「……あなたは祖国が消え去ることについてどう思いますか?」

 彼は目元だけ笑ったような表情を作って、僕に答えた。

「あなたは超能力者ですか?」

「いや、その……」

「冗談ですよ」


 彼はカップの水を飲み干した。

「日本にやってきて、ツバルについて考えることが多くなりました。どうしてでしょうね。もしかすると、懐かしんでいるのかもしれません。家族は置いてきたままですから。そうでないとしたら、心配なのかもしれません。日本にいる間に、祖国が水の中に消えていたら――もちろん、急にそんなことが起こることはないでしょうが、自分の知らないところで何かが変わるのは怖いことです」

「……」


「ツバル人のほとんどはキリスト教を信仰しています。私の父も例外ではなく、『旧約聖書のノアの方舟の話によれば、神は二度と洪水を起こさないと約束しているのだから、島が沈むことはない』と話していました。父と同じように島が海に沈むなんてことは起こらないと考える人も多いようです。しかしですね、その考えの元をたどれば、私たちの住む場所への思い入れがある気がするんですよね。最近になって、政府は島外への移住計画を発表しましたが、多くの人は島に残ると思います。だってそこが、私たちのルーツなわけですから。私たちがずっと生きてきたのは、間違いなくあの場所なんです」

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方舟と想い 河童 @kappakappakappa

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