アレクサ、電気をつけて

きさらぎみやび

アレクサ、電気をつけて

 家に帰って玄関のドアを開けると、家の中は真っ暗だった。

 おかしいな、と思って足元を見る。

 玄関には妻の靴が奇麗に揃えられてお澄まししていた。という事は、妻はもう帰宅しているという事だ。


 僕たち夫婦にはまだ子供がいないので、二人ともフルタイムで働いている。

 ただ場合によっては夜勤もある不規則な僕の勤務体系と違って、妻の仕事は定時が決まっているので大概は家に帰るのは妻の方が早い。

 だから僕よりも先に帰っていて、玄関のドアを開けると内扉の向こうが明るいのが当たり前だったのだけど。


 泥棒でも入ったんじゃないだろうな。

 まさか強盗?

 もしかして僕の帰宅の気配を察してこの扉の向こうで待ち構えていたりするんじゃないだろうか……。

 ついつい嫌な妄想が広がってしまう。

 それに引っ張られた訳ではないけれど僕はそろりそろりと足音を忍ばせてそっと内扉を開け、リビングの様子を窺った。


 するとそこには真っ暗な部屋の中、テーブルの上に置いた円筒状の物体にぼそぼそと必死に話かけている妻がいた。


 壁際の電気のスイッチを入れながら、僕は妻に声をかける。


「……何してんの?」

「うわびっくりした!」


 焦った様子で胸を手で押さえて妻がこちらに向き直る。


「……なんだ、コウくんか。驚かさないでよ、もう」


 僕は鞄をしまいながら妻のアキに言葉を返す。


「びっくりしたのはこっちだよ。電気もつけないでなにやってるのアキちゃん」

「ねえちょっと聞いてよコウくん!これ買ったばかりなのに壊れてるみたいなの」


 そう言って妻が指さしたのは先ほどから何やら話かけていた、テーブルの上に鎮座している白い円筒状の物体だった。


「アレクサじゃん。それ買ったんだ」


 電子レンジで夕飯のコンビニ弁当を温めながら冷蔵庫から缶ビールを取りだしてプルタブを開け、中身を一口。弁当が温まるまでの間に妻の向かいに座って新品のアシスタントデバイスを眺める。

 向かいに座ってこちらを見てくる妻はなにやら不満げだった。


「そうなんだけどね、起動はしてくれたんだけど、いくら言っても電気をつけてくれないの」

「……つかないよ」

「そうなのよ、困っちゃった……え?」


 なるほど、先ほどの謎の儀式はそういうことか。合点がいった。


「いや、いくら言っても対応するデバイスじゃなきゃ電気はつかないよ。それ用の電灯を買ってこないと」

「そうなの!?」


 それも知らずに買っちゃったのか。僕は苦笑いをしながらアレクサを見つめる。無理難題を吹っ掛けられたアレクサは困ったようにLEDのイルミネーションをチカチカと点滅させていた。


「えー、せっかくこれで朝布団にもぐったままで電気がつけられると思ったのにー……」

「ああ、それがしたかったんだね」

「そうなのよ、最近朝晩がすっかり寒くなったでしょ?電気をつけるのにお布団から出るのが辛くなってきて」

「ああ、すっかり寒くなったよね、冷え性にはつらいでしょ」


 僕はそう言いながら温まった弁当を回収して再びテーブルに着き、夕飯を食べ始める。頬杖をついてうらやましそうにこちらを見ながら妻が言う。


「コウくんはいいよね。寒さ知らずだもん」

「寒いことは寒いよ」

「でも寝るときもトランクスとTシャツじゃない」

「昔からそうだったからね、ただの慣れだよ、慣れ」


 ぶう、と頬を膨らませながら、別に僕が悪い訳でもないのに、つんつんとこちらをつついてくる。僕は適当にそれをいなしながら、夕飯を食べ進める。

 しばらくこちらを見ていた妻が、不意ににやりと笑った。


「……いいこと思いついた」


 そう言ったときの妻の思い付きはたいてい僕にとってはあまりよろしくない事だ。嫌な予感を僕は缶ビールで無理やり流し込むことにした。


 翌朝。


 朝の光がカーテンの隙間からうっすらと差し込む中、僕は目が覚める。

 隣で眠っていた妻も、僕が目覚めると同時に起きたようだ。

 ニコニコと笑いながらこちらを見てくる。


 ……昨夜のことを忘れているかと期待したけれど、どうやらしっかり覚えているようだった。


「それじゃあコウくん。電気をつけて」

「はいはい」


 僕は布団から起き上がって、部屋の隅の電気のスイッチを入れる。

 ついでにエアコンのスイッチも入れておいた。


「ねえ、意地張らずにアレクサ対応の電灯を買ったら?」


 そう提案する僕の声から逃げる様にして、妻は布団を大きくかぶり直す。


「うふふ。まだしばらくは、このままでいいかも」


 布団にくるまったまま、幸せそうにそう妻は呟くのだった。


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