11
体を幽かに伝う振動に、意識を揺り起こされた。薄らと目を開けたが、あたりには暗がりが満ちているばかりである。奇怪なほど頭が重く、手指の先もまた冷たい。
自分はまだ〈空都〉へ向かう列車の中にいるのではないか、飛空船も、雲鮫も、これまでのいっさいが居眠りの合間に見た夢だったのではないかと、いっときネアは思い込みかけた。隣にはペトラがいて、自分の肩に身を預けて眠っている――。
がちゃり、という鈍い音、そして手首足首に伝わる冷たい圧迫感が、ネアを現実に引き戻した。手錠、そして足枷。金属の重み。鎖によって四肢の自由を奪われ、壁に背中を凭せ掛けた状態で座らされているのだった。
「どうやらお目覚めのようだ。どうですか、ご気分は」
パーティー用の衣装、そして滑稽な化粧さえ残したままのクレイが、奥の薄闇から姿を覗かせた。司会進行を務めていたときと変わらない、その滑らかで陽気な口調が、ネアにはかえって恐ろしかった。
「あまりご機嫌が芳しくないご様子ですね。いちおう人を笑わせるのが本分なものでしてね、そういうお顔をされると私も悲しいのですよ。このくらいの年頃のお嬢さんは、たいがい無邪気なものですから」
「笑えと言うんですか。こんなことをされて」
「そのほうがお似合いだと思うだけです。くだらないことは考えず、目や耳や頭の感覚を研ぎ澄ませることもなく、ただ平穏に笑っている――あなたのような人は、いつもそうではありませんか?」
ネアは沈黙を保ったまま、周囲を観察した。細部こそ視認できないが、雑然として狭苦しい、倉庫のような一室である。この揺れ方からすると、おそらくまだ船の中だ。
「ペトラとイルマさんは――」
「勇ましいお友達ですか。まだ飛んでおられますよ。いつまで続くかは疑問ですがね」
しゃがみ込んでネアと視線を合わせ、唇の端を吊り上げてみせる。ややあって腰を上げ、両腕を広げた。含み笑いとともに、
「さすが自ら名乗り出るだけあって、速度にも持久力にも自信があるらしい。しかし所詮は空魚、雲鮫とは比べるべくもない。度を越した勇敢さは時として、己の身を滅ぼすことに繋がる。無謀と呼ぶべきものです」
睨みかえすと、クレイは愉快そうに笑い、
「せっかくですので、おふたりの勇姿を一緒に見物しましょうか。燃料が尽きるのを確認するまでは、どうせここに居残らねばならないのでね」
クレイが立ち位置を変え、壁際にあるらしいなんらかの機構を操作した。室内に低い異音が響き渡る。
どうぞご鑑賞ください、とでも言うように、彼は大袈裟に一礼した。途端に風が吹き込んでくる。壁が左右に引っ込み、代わって格子の備え付けられた物見窓が現れていた。
雲鮫は複数の隊に分かれ、標的を執拗に追い回していた。数に物言わせてあらゆる方向から取り囲み、捕獲せんとしている。無数の点が塊となって飛び回るそのさまは、目まぐるしく変形や分裂を繰り返す図形のようにも見えた。眺めているだけで悪酔いしてしまいそうだった。
その先頭、凄まじい速度で逃げゆくのは、極小の、そして白銀の一点――。
「ペトラ。トールシップ」
「鮫たちの興味が移ったようですね。今はなんとしても、あなたのお友達を胃袋に収めたいらしい」
先ほどまでの船への執着が嘘のようだった。雲鮫の群れはもはや飛空船には見向きもせず、ペトラにのみ照準を合わせていた。背後から、上方から、下方から――意表を突いた襲撃を、彼女たちはかろうじて回避しつづけている。しかしその飛行は精彩を欠き、疲れの色が滲んでいた。いつ捕らえられても不思議ではないように見えた。
「逃げるのに精いっぱいで、武器を手渡すどころではないか。師匠も呆れているのではないですか? こいつはいったい、なんのために出てきたのかと」
「イルマさんはそんなふうに思ったりしません。そう簡単に、誰かに失望したりしない。あなたには分からないかもしれませんが、私は知ってます」
「それは結構。しかしお師匠はお師匠で、可愛い後輩を助けようにも助けられない様子ですね。がっかりしませんか? なぜいつものように颯爽と、親友を救い出してくれないのかと」
ネアはクレイを見据え、声を低めて、
「なんとでも言えばいい。私は、ふたりを信じます」
「実に立派だ。反吐が出そうなほどにね。あなたはあなたで、自分の立場というものが理解できていないらしい。せっかく笑う機会を差し上げたのに、自らふいにしてしまうとは」
大股に歩み寄ってくる。ネアの右足に繋がった鎖を掴み、じゃらじゃらと弄びながら、
「それとも――こういうほうがお好みなのかな」
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