5
イルマと空魚たちを残し、ふたりで隣室に移った。説明どおり同じ拵えである。壁を動かして二室を連続させてから、それぞれ荷物を整理した。といってもお喋りが主で、たびたび手が止まった。旅先特有のそわつきには抗いようもない。けっきょく、今日だけはいいことにしよう、と言い合って、中途半端なまま放り出すに至った。
礼服だけは丁寧に取り出し、並べて吊り下げた。ネアは穏やかな雲を思わせる薄紫、ペトラは夕陽のような赤。眺めているだけで気分が昂揚した。思い返せば仕立ててもらってからこれまで、袖を通す機会がほとんど無かった。
「部屋くっつけるの、着替えたあとにすればよかったね」
とネアが洩らすと、
「もう仕方ないよ。あっちとこっちで着替えよう、もうちょっとしてから」
寝台に隣り合って座る。ペトラがふと思い付いたように、
「パーティーでダンスがあったら――ネア、一緒に踊ってくれる?」
「私、ダンスなんてやったことないけど」
「私もない。適当でいいよ。それで、私と踊ってくれる?」
いいよ、と頷いた。三人で来たのだから、うちふたりが組めば必ずひとり余ってしまう勘定だが、イルマならばどうにかするだろうと思った。ネアは改めてペトラの顔を見て、
「でも、せっかく〈空都〉まで来たのに、相手が私でいいの? 誰か――」
「いいの。別に新しい相手を探しに来たわけじゃないもん」
言葉を遮られる。彼女は語気を強めて、
「ネアは鯨の話を聞きに、イルマさんは飛空船に乗りに。私は――ネアと一緒に来たかったから」
それは、と思わず発したが、自分がなにを問いたいのか判然としなかった。困惑を露わにしたネアに、ペトラは笑顔を向け、
「もちろん自分の目で〈空都〉を見てみたい気持ちはあったよ。でも同じくらい、もしかしたらそれ以上に、ネアと一緒に来るってことに意味があったの。凄いもの、素敵なもの、胸を震わせるようなものに出会うときには、ネアに隣にいてほしいから。そうしたら喜びが何倍にもなる」
「私も――ペトラが来てくれてよかった」
ひとりじゃ不安だから、と普段どおりに続けそうになって、思い留まった。今の心境を伝えるのにふさわしい表現ではないような気がしたのだ。懸命に新しい言葉を探したが、考えれば考えるほど、正解が分からなくなる。ただ鼓動が速まり、咽の奥が熱くなるばかりだ。
「ありがとう」
やっとのことで選び抜いた科白のつもりだったが、発した途端に気恥ずかしくなった。決して嘘ではなく、これ以上の言葉は見つからないと悟ってもいるのに、頬の火照りは去らない。どうにも居た堪れなくなり、息を吸い上げてから付け加えて、
「出発の前の日、ルーニーさんがイルマさんに言ってたでしょう。ありがとう、でいいんだって。だからペトラ、ありがとう」
ペトラがこくりと顔を上下させ、そのまま俯いた。うん、と応じたきり、なにも言わない。
黙って待っていると不意に、脳裡に閃光が走った。瞬く間に光景が甦ってくる。ルーニーとイルマとのあいだに起きた、あの出来事――。
危うく叫び出すところだった。どう取り繕ったものかと迷い、視線を彷徨わせていると、
「ネア」
意を決したように顔をあげたペトラが、潤んだ目でこちらを見つめていた。茫然と見つめ返すほかなかった。掌がそっと伸びてきて、遠慮がちに肩に添えられる。
ルーニーのさりげない、流れるような動作とは似ても似つかない。体はぎこちなく震えているし、耳の先まで赤く染めている。呼吸さえ切迫しているようである。
得意の悪ふざけ……なのだろうか。思考の大半がじわりと痺れたようになって、判断が付かなかった。どうであろうと構わないという気がした。
引き寄せられた。漠然とその先を予期したが、ネアは拒まなかった。どちらともなく顔が近づいていく。
ノックの音が響いた。甘やかに停滞していた時間が突如として流れを再開したかのようだった。ふたりが飛び離れると同時に、扉が開いた。
「パーティーに行くよ」
「えっと、もうそんな時間?」
咄嗟に手近にあった枕を掴み、顔の半分を埋めた状態にして応じる。ペトラに至っては凄まじい早業で、毛布の中に潜り込んで身を隠していた。
「そんな時間だよ。ふたりとも、まだ着替えてなかったの」
イルマが呆れ顔を見せる。彼女のほうはとうに準備万端で、長身を暗色の礼服に包んでいた。見事に結い上げられた銀色の髪が、覗いた褐色の肌が、普段とはまた別種の優雅な艶めきを放っている。傍らのブルーストームとトールシップも入念な体の手入れを施されたらしく、鱗の輝きや鰭の張り具合が違う。
「今すぐ行くよ」
「外で待ってるから、早くおいで」
扉が閉じられる。安堵して溜息をつき、それからはたと我に返った。
「ペトラ、急いで」
大慌てで礼服を掴んだ。もとより不慣れであるうえに焦りも重なって、やたら着替えに苦労してしまった。きゃあきゃあと大騒ぎしながら互いに手を貸し合い、どうにかそれらしく格好を整えて部屋を飛び出したときには、もう開会の五分前となっていた。
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