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 船着場は、塔を思わせる高層建築物の頂上にあった。繋留された状態の飛空船に、そこから直接乗り移るのである。船の乗降口が先端にあるのだと、ネアはこのとき初めて知った。

 出航まで少し時間があったが、待合にはすでに、乗客と思しい数十の影が見えた。大半が身なりのいい老夫婦である。空の各地から参加者が集う人気の旅とはいえ、費用も日数もかかるからだろう、若者の数は少ない。どうにも自分が場違いに思え、なんとなく緊張した。

「威張れとは言わないけど、堂々としてていいんだよ。私たちは正式な乗客なんだから」

 イルマの後ろについて、列に加わった。周囲の誰もが待ちきれないといった風情で、興奮気味に言葉を交わし合っている。食事、景色、船室での過ごし方……それぞれ目当ては異なるものらしい。

「他の人たちが連れてる空魚、小さい子ばっかりだね。私たちの街にはいないよね」

 きょろきょろと周囲を見回していたペトラが、ふと所感を洩らす。確かにそのとおりだった。〈黄金の雨〉においては小柄な部類だったトールシップも、ここではずいぶんと目立っている。

「偶然なのかな。でもみんな、すごく綺麗だね」

 広げた掌くらい、なかには人の指一本ぶんに満たない個体も散見される。無数の小さな空魚たちが鱗を煌めかせるさまは、いつか母から聞いた妖精譚の一場面のようである。

「観賞用、愛玩用の種が人気なんだよ」とイルマが説明した。「私たちにとっての空魚は、人や物を運ぶとか、漁や採集をするとか、身近な作業を手助けしてくれる生き物だけど、〈空都〉ではまた違う。あの子たちは見た目や仕種で人を楽しませたり、癒したりするための空魚なんだ」

 彼女によればそうした空魚は、人間の居住空間に放し飼いにされるのだという。椅子に腰かけて、あるいは寝台に横たわって寛いでいるとき、頭上を小指の先ほどの空魚が群れを成して行き過ぎていく――そんな光景をネアは想像した。ぱたぱたとじゃれるように、彼らは部屋を左右するだろう。薄暗がりの中、鱗や鰭の色はいっそう鮮やかだろう。

「素敵」と思わずつぶやく。「そういう空魚もいるんだね」

「だから〈空都〉の空魚使いは、より役割が細分化されてるんだよ。家の中で飼う空魚を躾けるのが巧かったら、それだけで食っていける。模様が綺麗で、ゆったり見栄えよく、家具にもぶつからないように飛んで、小さい子供や赤ん坊を相手にしても安心で……そんなふうに考えていくと、観賞用の空魚も奥深い」

 列が動きはじめた。誘導に従い、存外に狭い通路を進んでいく。グループごとに昇降機に乗り、最上階へと移動した。

 硝子張りになった壁のすぐ向こうに船体があり、今からこれに乗り込むのだという感慨が湧き上がってきた。建物から飛空船へと繋がる最後の通路は、またしても狭く、そして簡易的に見えた。ちょっとした足場を屋根と壁で囲んだ感じである。搭乗橋という名前らしいその通路を伝って、イルマ、ネア、ペトラの順で船内へと移る。

 遂にして飛空船に入った。入れた――と思っているうちに、案内役らしい乗組員に声をかけられた。穏やかな、そして洗練された発声に驚いた。イルマが代表して名前を告げる。

 部屋は最上階にあった。寝台、椅子、書き物机、戸棚といった家具が揃い、床には複雑な紋様が織り込まれた絨毯まで敷かれている。上流階級向けの宿泊施設といった趣で、とても船の内部には見えなかった。

「ここが三分割できるんですか?」

「いえ、これでおひとりぶんです。同じお部屋が隣にもうふたつございまして、また反対側には空魚用の設備も――」

 と乗組員が説明する。自身を取り巻くすべてに圧倒されながら、ネアはただ頷くのみだった。ここでは空気の匂いさえ甘い。

「このあと出航を記念するパーティーがございますので、ぜひともご参加ください。なにかございましたら、ご遠慮なくお声かけを」

 乗組員が去った。扉を閉じるなり、ずっと平静さを保っていたイルマがばたりと寝台に倒れ込み、

「やった」

 ただ一言のみだったが、その胸中を察するには充分だった。ネアは頬をほころばせ、

「やったね」

「最高だよ。今の時点でもう、ね」

 腕を天井に向けて突き上げている。はは、と笑い交じりに吐息し、

「ただ客として乗っただけでこれだ。自分でも呆れるけど――今日だけはいいってことにする」

 ペトラは部屋の中を観察している。扉や棚に手をかけては開け閉めを繰り返していたが、やがてこちらを振り返って、

「お酒がある。飲んでみたい」

「やめときな。特製のお茶より苦いよ」

「少しだけ。ネアも説得してよ」

 琥珀色の壜を抱えたまま戻ってきた。ほら、と突き出されたが、どういった類の酒なのかはネアにも見当がつかない。凝った壜の形状や透けて見える色味から、漠然と高価そうだと思ったのみである。

「これからパーティーだって言ってただろ。最初の一杯はそっちに取っておきな。どうしても飲み足りなければ、帰ってきてから飲み直せばいい」

「そっか、パーティーだ」すぐさま浮き浮きとした声音になる。「着替えて出たほうがいいよね?」

「そのほうが気分が出るでしょう。さあ、壜を仕舞って」

 ペトラは素直に頷いた。よほどパーティーに心惹かれたらしい。

「ここが私の部屋ってことにするから、隣のふたつをネアと好きに使って。トールシップは置いていっていい。ブルーストームと一緒に、向こうの部屋で休ませておく。パーティーの時間になったら声をかけるよ」

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