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 やがて広い通路に出た。横長の壁面に、空魚の装飾が施されていた。数十匹の群れだ。全員が同じ向きで、音符のようになだらかに配置されている。うわあ、とペトラが声をあげ、駆け寄っていく。そのうちの一匹を指差し、

「これ、〈夢の港〉に似てない?」

「ウィローグラス種だ。〈空都〉には腕の立つ職人が大勢いるんだね。よく特徴を捉えてる。ルーニーに見せてやりたいな」

 ネアの知るもっとも不思議な空魚が、ルーニーのドリームハーバーだった。なにしろ色さえ不明で、氷のように蒼白い日も、燃え盛るように朱い日も、無数の色が入り乱れている日さえある。それでいていつ見掛けても、これが生来の姿なのだという納得感が生じる。どういう周期で変化するのかと質問したこともあるが、特に法則はなく気分次第だという答えだった。

 上方に胴体なのか頭部なのかよく分からない、帽子に似た形状の部位がある。呼吸するように膨張と収縮を繰り返すのを見ていると、なんだか酔っぱらったような気分になってくる。そこから伸びた、彗星の尾のように長々とした触手がまた絶妙で、それらが揺れたり靡いたり、絡まったり解けたりするさまは、蠱惑的な演舞を思わせる。

「そういえばドリームハーバーにルーニーさん以外が乗ってるところって見たことないな。私も乗ってみたい。イルマさんはある?」

「実はある。でもあの子は本当に難しい。ペトラほどの乗り手でも、かなり苦戦すると思うよ。ブルーストームやトールシップよりも掴みどころがないというか、なかなか心を開いてくれないんだよね」

「そっか。さすがだなあ、ルーニーさん」

「長所を引き出せる乗り手と組むのが、空魚にとっても幸せなんだよ。巡り合わせがあるんだ。まだ誰とも組めていない子だって、いつか機会が巡ってくる。今は運を貯金してるんだよ。エデンソングがネアと出会ったみたいにね。ああ、もうすぐ出口だよ」

 ほら、とイルマは前方を示した。通路の先に開け放たれた両開きの透明な扉があり、外界の光と雑踏が目に入ってくる。足取りを速めたペトラのあとを、ネアも追った――。

 朝の〈空都〉の景色が視界を占拠した。吐息を洩らしながら、ふたり並んでかしらを巡らせた。

 青々とした空に向け、無数の建築物が高さを競うように伸びている。ひとつひとつの規模が〈黄金の雨〉の比ではなく、出入りする人影の数もまた膨大である。風船の紐を握って笑っている幼児、腕を絡め合っている男女、仕立てのいい上着を羽織った老紳士。きっと空じゅうから集まってきたのだろう、年齢も外見も、飛び交う言葉もばらばらだった。

 人の波、看板の文字、光による装飾……景色は果てることなく広がっている。遠い建物の群れは輪郭が連続して見え、まるで山の稜線のようだ。

「見て、飛空船」

 ペトラが叫び、ネアの腕を掴む。首を反らせた。周囲でもざわめきが起きていた。通行人たちも面白がっているようだ。

 空を横切っていくのは、〈黄金の雨〉で見たものとはまた違う、つるりとした楕円形の船である。色は白く、どこか卵を思わせる形状だ。

 大きい。そして近い。堂々たる船体や、突き出した翼や、後方の動力機まで視認できる。いやそれどころか、窓の内側の乗客の姿さえ――。

「建物の天辺からなら、手を振り返してやれそうじゃない?」

「本当。向こうからも私たちが見えてるよね」

「ねえ、どこか高いところに上ってみようよ」

「それもいい。でもペトラ。私たちは今から、あれに乗るんだよ。〈空都〉を代表する遊覧船、〈旋風〉に」

 いつの間にか、イルマが隣にやってきていた。こちらに語りかけつつも、視線は空へと向けたままである。あの日と同じ表情で、飛空船を凝視している。

「あれに?」とペトラ。「どう見ても豪華客船じゃん。よく席が取れたね」

 ああ、とあっさりイルマは頷いて、

「せっかくなら最高の経験がしたいだろ。飛空船がどんなものか、存分に感じたい。おまえたちにも味わってほしい。それだけだよ」

 街を南下し、埠頭まで歩いた。道々、五日かけて〈空都〉の上空を一周する、船内は九つの階層に分かれていて劇場や遊技場まで備えられている、操舵室や機関室の見学も可能である、上等の船室を予約してある、といった説明がイルマからなされた。驚きに驚きが重なり、ネアはしばらく言葉が浮かばなかった。

「部屋は、空魚含めてみんなで一緒?」

 よほど困惑したのだろう、ペトラがそう訊ねた。問いたいことが多すぎたせいで、かえって優先度の低い質問が口をついて出たのかもしれない。

「一緒といえば一緒、個室といえば個室。大部屋に仕切りが付いてて、好きに動かせる。なにせ五日あるから、みんなで集まりたいとき、自分の空魚の世話をしたいとき、ひとりで過ごしたいとき、いろいろあるだろうと思って」

 ネアはなるほど便利なものだと思ったのみだったが、ペトラはなにか思うところがあったらしく、目を白黒させた。しばらく黙り込んでいたが、やがて俯きがちに、

「私――ネアと同じ部屋がいいな」

「ネアさえよければ、私はそれでいい。好きに過ごせばいいよ」

 途端にペトラが距離を詰めてきた。彼女らしからぬ控えめな調子で、

「どう? ネア」

「うん、いいよ。私も旅先でひとりだと少し不安だし」

 この返答に、彼女はぱっと表情を輝かせた。

「よかった。じゃあ一緒ね」

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