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「ごめん、手間取っちゃった」
ぱたぱたと速足で歩み寄ってきたペトラが、迷わずネアの隣の席を選んで座る。
「お疲れさま。手続き、面倒だったの?」
声をかけながら飲み物を手渡すと、彼女は顔を突き出してきて、
「聞いてよネア。ブルーストームとトールシップ、迷子になりそうだったの」
「え、どこかに行っちゃってたの?」
「トールシップたちは悪くなくて、係の人の手違い。ちゃんと十号車に乗せたのに、乗ってないって言うの。危うく関係ない人に連れていかれちゃうところだったんだよ」
「乗車時に付けられた認識用の札が、どこかで入れ替わったらしい。まるで反対方向の出口まで運ばれてたんだ」
とイルマが補足する。
「そうなんだ――大変だったね。見つかってよかった」
「本当だよ。どこだかに送られる空魚の群れの中に紛れ込んでて。トールシップが私に気付いて大騒ぎしはじめたから、どうにか連れ戻せたんだよ」
ペトラに同調するように、トールシップが尾を揺さぶる。自分がエリクと話しているあいだに、彼女たちはずいぶんと苦労をしたらしい。
「〈空都〉の担当者ともあろう者が、ああもいい加減とは思わなかった。大事な空魚だと伝えておいたはずなのに」
さすがのイルマも腹に据えかねたらしく、苦々しい表情を浮かべている。お茶を一息に飲み干すと、長々と息を吐いた。
「少し頭が冷えた。旅先で大事な相棒と逸れるだなんて、洒落にならないからね。とにかく見つかって安心したよ。帰りは予算を増やして、もう一段上等の車両に乗せないと」
「賛成。あんな目に遭わされるのは二度と御免だよ。ね、トールシップ」
「そう手配する。悪かったね、ネア。ずいぶん待ったろ」
ネアはかぶりを振り、
「ううん、気にしないで。イルマさん、空の器をちょうだい。まとめて返しておくから」
手を伸べた途端、イルマの傍らに控えていたブルーストームが頭部を持ち上げ、ばさりと鰭を広げた。なにかに気付いたときの動作に似ているが、鰭の震え方がずっと激しく、不安げだ。なんだか自分が警戒されたかのようで、ネアは面食らった。
「神経がまだ高ぶってるみたいだ。大丈夫だよ、もう安心していい」
イルマが蒼い鱗を撫でながら宥める。しばらくしてブルーストームが落ち着きはじめると、彼女は何気ない調子で視線を上げた。頭上のランプに気付いたらしく、ふふ、と頬を緩ませて、
「なんだ、ここにもブルーストームだ。よく似てる。土産に買って帰りたいくらい」
「それ、凄くよくできてるよね。ねえイルマさん、ブルーストームってネイトミラージュ種って言うの?」
ネアの問い掛けにイルマは頷いて、
「確かにそうだよ。教えたっけ?」
ネアはようやくエリク青年の話をした。本当は彼女らが戻ったらすぐ、興奮交じりに伝えようと思っていたのだ。
「男の人が急に話しかけてきたの?」とペトラがどこか不機嫌そうに問う。「楽しかったんだ、その人とお喋りして」
「ペトラたちが大変だったのに、ごめんね。私だけ暢気に過ごしちゃって」
「そんなのはいいけど――なんか」
内面を表現する言葉が浮かばなかったのか、ペトラは膨れたまま俯いてしまった。彼女とは物心ついた頃からの付き合いだが、ときおりこうしたことがある。下手に追及するより黙って待ったほうがいいと判断し、イルマを振り返ると、
「なんにしろ、ロイネ博士に話を通してもらえるのは朗報だ。その学者さんも親切心で申し出たんじゃないかな。自分たちの研究領域に興味を持ってる子をたまたま見つけられて、嬉しかったんだよ。ネアはよっぽど熱心に、このランプを観察してたんだね」
「そうなの?」ペトラが詰め寄ってきた。「そんな感じだった?」
なにを問われているのか今ひとつ判然としないまま、
「たぶん」
さて、とイルマが空気を断ち切るように発した。
「ふたりとも。気分を切り替えて、そろそろ出発しようか。飛空船の遊覧飛行の予約をしてあるんだ。空の景色を楽しみながら食事としよう」
提案に心を掴まれたらしく、やった、とペトラは喝采を叫んで、
「〈空都〉の景色を見ながらご飯?」
「ちゃんと窓際だよ。気張っていい場所を取ったんだ。列車とは違って、空魚たちも一緒に乗れる。みんなでご馳走だよ」
待合を離れ、外を目指した。入り組んだ通路を辿り、次なる階層へと続く階段をひたすら上っていく。
同じ建物の中だというのに景色がころころと変わり、歩いているだけでも愉快だった。故郷では見たこともない、珍しい菓子を売る店がある。舞台の俳優が着ているような服ばかりがずらりと並んだ店もある。そういう洗練された空間が続いたかと思えば、不意に雑多な雰囲気の場所に出たりする。
いかにも急拵えな足場や柵に囲まれた一帯で、男たちがなんらかの修繕作業に打ち込んでいた。お疲れさま、とイルマが頭を下げるので、追従するネアとペトラも真似て挨拶をした。聞き流されるかと思いきや、おう、と返答があった。頭部に布を巻いた厳めしい顔つきの男がこちらへ向き直り、
「ずいぶん珍しい空魚だ。現物は初めて見たよ。あんたが乗るのか」
ブルーストームとイルマに興味を示したらしい。まじまじと見つめている。
「私の相棒です。いい子ですよ」
「だろうな。俺の故郷にも空魚は多かったが、みんな粗野でね。こんな穏やかな目をしたやつは見たことがない。誰もが羨むような空魚だな。大事にしてやることだ――お節介だが」
「もちろん」
「この子は? 私のトールシップは?」
はは、と男は笑って、
「その空魚はよく見た。速いやつは馬鹿みたいに速い。あんたのは――速そうだな。胸鰭も背鰭もしっかり張ってるし、全身に力がある」
「目利きですね」とイルマ。「確かにその子は、私たちの街で最速の空魚。〈空都〉でも、ここまで飛べる子はなかなかいないと思います」
「餓鬼の頃、空魚の飼育係をやってた。乗るのはまるで駄目だったが、世話だけは得意だったんだ。悪い、喋りすぎたな。仕事に戻る。よい旅を」
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