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 トールシップは広々とした庭先に着陸していた。ペトラがその背から滑り下り、いまだ茫然としているネアに手を差し伸べる。地を踏み、足許の感触を確かめて、ようやく人心地つくことができた。

「イルマさーん」

 古風で小ぢんまりとした家に向けて、ペトラが声を張る。ややあって、二階の窓がかたかたと音を立てた。

「ペトラか。どうしたの」

 窓枠に凭れるようにして、イルマが上半身を覗かせた。休日の朝らしく寛いだ軽装で、すらりと長い腕を晒していた。日に焼けた肌は浅黒く、銀色の髪と鮮やかな対比を成している。

「空魚乗りの訓練に付き合ってほしくて。ネアも一緒」

「ネアも? もちろん構わないけど――珍しいな。すぐ行くよ」

 数分ののち、準備を終えたイルマが家から出てきた。ほっそりとした、しかし確かな力強さを宿した長身を、空魚使いの衣装で包んでいる。四つ違いの十六だが、ネアの目にはもっと年上に見えた。大人たちと変わらないくらいに頼もしく、そして優雅だ。

「お待たせ。トールシップ、ペトラと相性いいみたいだね」

「もうばっちり。私の相棒だもん。ね?」

 トールシップは大きく尾鰭を揺らして応じた。いかにも誇らしげな様子である。

「じゃあ、いつもの公園でやろうか。ネアはどうする? どんな子がいい?」

 イルマの切れ長の目に見据えられ、ネアは途端に胸苦しくなった。ええと、と言い淀む。適当に理由を付けて逃げ出す気でいたのだが、その気も失せてしまった。

「私はなるべく穏やかな子がいいかな――せめて」

「穏やかな子ね。とりあえず、見て決めたほうがいいね。おいで」

 イルマに導かれ、家の裏手へと回った。緑に満ちた裏庭の中央には、空魚を飼育するための小屋が建っている。太い丸太を組み合わせた壁、採光用の大きな窓。母屋と似たり寄ったりの古めかしさだが、丹念に手入れされていて清潔だ。

 イルマが扉を引き開けると、主人の姿を見とめた空魚たちがいっせいに騒ぎはじめた。長細い蛇のようなもの、鮮やかな縞模様のもの、丸々とした体と巨大な目を有するもの……色の形もさまざまだが、喧嘩をすることはないらしい。彼女は次々と飛びついてくる空魚を巧みにさばきながら、

「穏やか――穏やかか。そうだ、〈潮汐タイダル〉は? あの子なら適任かもしれない。どこに行った?」

 天井の近くに、小さな空魚が一匹で佇んでいた。体は平たい菱形で、一見すると細かい模様の施された敷物のようである。呼ばれたことに気付いたらしく、幽かに身を震わせながらゆったりと下りてくる。名前の由来は、体が波打つたびに青い部位と白い部分とが交互に現れるからだろう。

「タイダル、また寝てたの? おまえもたまには、外で訓練」

 話を聞いているのかいないのか、茫然と浮かんでいるばかりである。背中側に付いている目はぽつんとして小さく、黒い石ころのようだった。ネアが覗き込んでみても、たいした反応はかえってこない。まだ眠いのか、あるいは――。

「なんか、厭そうな顔してない?」

 タイダルを見つめながら、ペトラが呟く。彼女はすぐさま顔をあげ、イルマを振り返って、

「ネアには別の子のがいいんじゃない? あっちの横縞とか」

「あの子は意外と気性が激しいの。ちなみにあれは縦縞。空魚の模様はね、頭を上に向けた状態にして見るんだよ」

「知らなかった。ネア、知ってた?」

「うん」

 嘘、なんで、と詰め寄られたので、ネアは弁解するように、

「小さい頃、お母さんが教えてくれたの」

「そっか、お母さんか。ネアのお母さん、物知りな人だったんだよね」ペトラは納得した様子で頷くと、「それで、どうする? 縞々に挑戦する?」

「私は――タイダルにしようかな」相変わらず漫然と漂ったままの空魚に顔を向け、ぽつりと言った。「せっかくイルマさんが選んでくれたんだし。私も、やっぱり静かな子がいいし」

「だってさ。よかったね。頑張りなよ」

 イルマに背中を撫でられると、タイダルはくすぐったげに身悶えした。嫉妬しているのか、他の空魚たちがまた騒がしくなる。

 全員を引き連れ、近くの公園へと移動した。イルマが後進に指導を付けるとき、たいがいここを利用する。平坦で安全な広場も、背の高い岩山も、木々の密集した林もあって、訓練には最適なのだ。

「始めるよ。まずはペトラから。トールシップで一回りしてきて見せて」

 ペトラは威勢よく返事をして、トールシップに飛び乗った。合図とともに鰭が羽ばたき、高々と空へ駆け上がっていく。瞬く間に小さな宙の一点と化した友人とその相棒をぽかんと見上げながら、ネアは悟った――さっきの飛行は、肩慣らしですらなかったのだ。

 おお、と傍らでイルマが声を洩らす。顎を摘まみながら、空を凝視していた。

 ネアは言葉を失くした。トールシップは速さが自慢なのだと、ペトラが繰り返し語っていたのを思い出す。およそ信じがたい速度で飛翔しているのに、その動きはこのうえなく滑らかに見えた。虚空に放たれた矢のように華麗で、目が離せない。

「どうだった? 格好よかった?」

 ペトラは広場に下り立つと、咲き誇る大輪のような笑みを浮かべた。トールシップの鱗を軽く撫でてから、こちらに近づいてくる。生き生きとしたその表情は、ネアの目にも眩しかった。幼馴染で、同じ十二歳――しかし彼女はもう、立派な空魚使いだ。

「驚いたよ、ペトラ。トールシップの力を完璧に引き出せてる。私が乗ってたときより速いかもしれない」

 称賛を受け、ペトラは照れくさそうに頬を掻いた。イルマから受け取った布で汗を拭い、は、と息をつく。

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