酔いどれ丸
とき
第1話
「ああ、頭痛え……」
「もうすぐ村につきますぞ、お侍様」
丹田武信は京の警備を生業としていた。
夜勤が終わり仮眠を取ると、昨晩出会ったばかりの男に連れられ、町外れまで来ていた。
二日酔いなのは、仕事中に同僚と酒盛りをしていたからである。
酒盛りに偶然通りかかった男が参加し、とっておきの怪奇談をしてみせた。
「ある村には、人を食う鬼が出るらしいんです」
「なに? 人を襲うとはけしからんな!」
「村では腕の立つお侍様を遣わせてもらい、鬼退治を試みたんですがね」
「ほう、どうなった?」
「残念ながら、返り討ちに遭ってしまったそうな」
「なんと情けない侍だ! 鬼すら討てずして民を守れるものか!」
武信はたいそう酔っていて、このやりとりをあまり記憶していない。
「その後も鬼討伐は行われましたが、皆ことごとく殺されてしまい、鬼の姿を見た者は誰もいません。今も鬼を倒せる剛の者を募っているのですが、受けてくださる方はおらんのです……」
「それは困ったことだな。武信、お前が行ってみてはどうか?」
武信の同僚が言う。
「なっ!? 俺は駄目だ。京を守る重要な役目がある。ここを離れるわけにはいかぬ」
「その村というのが、割と近くにありましてね」
男が答える。
「ほう! ならばすぐに帰って来られるな。さっそく明日行ってくるがよかろう」
「おい、待ってくれ!」
「不都合などありはせぬではないか。その腕で民を鬼より救ってくるがよい」
「それはそうなのだが……」
武信は口も腕も達者の負けず嫌いであるが、実は気が弱い。同僚はそれを知って武信をからかっていた。
「昼過ぎに発てば、鬼の出る刻に着きましょう」
「し、しかしな。俺はその村を知らぬ。道に迷って朝になってしまうやもしれぬ。さもあれば、きっと仕事に差し支えが出よう」
「これは神仏のお導きでしょう。ちょうど明日、私はその村の近くにいく予定があるのです」
「やったな、武信。鬼を退治したとなれば、念願の昇進もかなうやもしれぬぞ」
同僚が追い打ちをかけ、これには武信も反論できなくなってしまう。
「おうおう! 鬼だろうが蛇だろうがかかってきやがれ! この丹田武信が一太刀にて断ち切ってみせようぞ!」
武信はぐいっと酒をあおる。
「良い飲みっぷりですな、お侍様」
「ええい、こうなりゃやけだ! もっと酒持ってこい!」
……というのが昨晩のことである。
「お侍様はお酒が好きなのですね」
「酒がなけりゃ、こんなことしてられるかってんだ」
道中にもかかわらず、武信は腰に下げた酒をちびりと飲んだ。
「して、鬼はどんなヤツなのだ?」
「高さは八尺を超え、体は赤黒く、口は裂け、歯は刃のように鋭くとがっているとか」
「なんと恐ろしい……。いや、大きければ強いわけではあるまい!」
辺りは暗くなり始め、月明かりを頼りに、白く照らされた田舎道を目で追いながら、二人は村を目指した。
「……ようやく着いたようだな」
武信はすでに歩き疲れ、頭はずっと痛いままだ。
男は松明に火を灯し、武信にも渡した。
暗闇にいくつかの家々が見える。
「さて、鬼はどこにおる?」
本当に鬼がいるならば、さっさと退治し、帰って寝たい気分だった。
「鬼は廃寺を根城にしていると言います。行ってみましょう」
二人は村奥にある廃寺へと向かう。
「しっかし、人気がまるでない。皆、もう寝ておるのか?」
火の灯っている家はなく、村はひっそり静まりかえり、夜闇はいっそう深く思えた。
「鬼を恐れて籠もっておるのでしょう」
「なるほど。相手は人を食い、侍を倒した鬼だ。それ以外、かの者らに打つ手はあるまいな」
武信は強がりを言ってみせるが、刀を持つ手は震えていた。
「ここがかの寺か」
「でしょうな。まさに鬼の住処にふさわしき有様」
男の言うように、寺は朽ち果て、春とは思えぬ冷たい風が吹き込んでいた。
「ささっ、お入りなさいませ」
「お、おう……」
武信は一歩ずつゆっくりと、本堂の階段を登った。
「ふむ……」
「どうかなさいましたか?」
武信は本堂の戸を前にして、立ち止まって動かない。
「今日は仏滅だ。鬼と会うには日が悪い」
「いえ、日が変わり、大安にございます。ちょうど吉日ですな」
「そ、そうか。まさに僥倖!」
武信が戸を引こうとすると、
「火は私がお持ちしましょう。刀を振るのに邪魔となってしまいます」
「そうだな。片手では心許ない。お言葉に甘えるとしよう」
武信は男に松明を預け、刀を鞘から抜いた。
そして大きく深呼吸をする。
「ええい、ままよ!」
壊れかかった戸を強引に開け、中へと入っていく。
中はまさに伽藍としていた。
床はところどころが腐って抜け落ちていて、二人は慎重に足を運んだ。
静寂をギシギシとした床音が破り、武信の不安をかき立てる。
どこから鬼が飛び出してくるか分からない。武信は両手で刀を握り、松明でぼんやりと照らし出される本堂内をゆっくり歩いた。
「仏像は無事なのだな」
奥に阿弥陀如来が見えた。
光に金色の像が反射している。
「ええ、喜ばしいことです」
闇夜の寺に映し出される像は恐怖でもあったが、優しそうな顔つきの阿弥陀如来を見ていると不思議と安心した。
「ふむ、鬼はおらぬようだな」
本堂を一周してみたが、鬼の姿は見えなかった。
「勝てぬと知って逃げ出したか。鬼も存外怖がりのようだ」
武信は、がっちり固定されていたかのように構えてきた刀を降ろした。
「これは鬼を退治したも同然だな。早く帰って、皆に伝えるとしよう」
振り返って男に声をかけようとしたが、さっきまでぴったり後ろにいた男の姿がなかった。
足下には二つの松明が床に転がっている。
「おい! どこに行った!?」
武信は刀を構えて、きょろきょろと周囲を見回す。
「鬼め、ヤツを食ったな……」
武信の額に冷や汗が流れる。刀を握る手も冷たくなり、しっかりつかむことができない。
「ククククク……」
突然、不気味な笑い声が聞こえ、その方を見るが誰もいなかった。
「す、姿を見せろ!」
恐怖で足がガタガタと震え、痛んだ床をきしませる。
「人の分際で鬼を切ると? なんだ、その震えは? 笑わせてくれる」
「む、武者震いよ!」
武信は固まった体をほぐすように、がちゃがちゃと動かしてみせる。
「熱っ!」
調子に乗りすぎて、松明を蹴飛ばしてしまった。
「フハハハハ……! いいザマだ!」
鬼が嘲笑する。
「ふん。都の侍を侮ってもらっては困る。そこだっ!」
武信は大きく踏み込んで刀を一閃する。
「ぐあっ!!」
確かな手応えがあった。
「なぜわしの場所が分かった!?」
「足下を見てみろ」
「なに?」
松明の灯りが鬼の足下を映し出していた。
鬼の体はあまりにも大きい。肌は赤黒く、口は大きく裂けていた。
「まさか、あのとき!?」
「俺が単純につまずいたとでも思っていたか!」
松明は2本ある。武信は松明にぶつかったふりをして、1本を遠くに蹴飛ばしていたのだ。一カ所の灯りでは暗闇の鬼を見つけられないが、二カ所あれば見つけやすくなる。
「くそっ! ふうううううーっ!」
突然、強風が吹いた。
いや、それは鬼の息だった。
いっきに息を吐き出し、松明の火をかき消してしまう。
「鬼め、知恵の回る……」
辺りは真っ暗になり、鬼の姿はおろか、己の足下すら見えなくなってしまう。寺の中では月明かりも見えない。
壁を背にすれば死角を減らせると思い、後ろに下がるが、床を踏み落としそうになる。
「おっと……!?」
ただでさえ冷え切っている肝がさらに冷えた。
武信はむやみに動くのは良くないと思い、その場で刀を構える。
しかし鬼はすっかり気配を消してしまい、打つ手がなかった。
「どこだ! 出てこい! そこか!?」
あの巨体に襲われてはひとたまりもない。恐怖にかられ、当てずっぽうに刀を振り回すだけ。
「ぐっ……頭が……」
二日酔いにもかかわらず、体を激しく動かしたものだから、頭痛がいっそう激しくなり、頭に杭を打たれているようだった。
「こうなれば迎え酒よ!」
武信は腰に下げていた酒を、とくとくと飲み始める。
これにはさすがの鬼も暗闇の中であきれてしまう。
「この酔いどれが! 夢見心地に死ぬがよい!」
鬼が武信に襲いかかる。
しかし、酒のおかげで血流が活発になり、全身に血が巡る。冷たくなっていた体が温まって、手足が思うように動く。
そして、あわや大きく開いた口に噛みつかれんとしたとき、武信は口に含んでいた酒を突如吹き出した。
「ぐわっ!? 何をするか!?」
「酒を一人で飲むのも忍びない。おぬしにも味わっていただこうと思うてな」
そう言って武信は大笑いする。
「おぬし、酒が苦手なのだろう?」
「なぜそれを……!?」
真っ暗でも鬼の動揺が見て取るように分かった。
それに酒の匂いで、鬼の位置をだいたい把握できる。
「昨日から一滴も飲んでおらぬから、もしやとな」
「なっ!? 貴様、いつから正体に気づいておった!?」
そう、鬼の正体は、昨日出会った男だったのだ。鬼に食われたのではなく、鬼自身であった。
鬼はマヌケそうな武信を誘い出し、人気のないところで食うのが目的だった。
「やけに鬼に詳しいと思ったのよ。誰も鬼の姿を見たことがないのに、なにゆえお前がその特徴を知っておるのだ。俺を出し抜いたつもりのようだが、最後はかならず俺が勝つ! てやあーっ!!」
武信は鬼の腕を切り落とす。
「ぐおおお……。ただの愚図かと思ったら……」
「村の皆を食ったのも貴様だな」
村人が鬼を恐れて家に籠もっているというは真っ赤な嘘。すでに鬼が平らげていた。
鬼は新たな得物を求めて、このように都から人を誘い出して襲っていたのである。それゆえ、誰も鬼の姿を見たことがない、というのは事実だった。
「あの世で詫びるがいい!」
武信は鬼を袈裟斬りにする。
「ぐわああああーっ!?」
断末魔の叫びが上がり、鬼はその場に崩れ落ちる。そして、体は赤い液体となり、地面にしみこむように消えていった。
武信の活躍はすぐ都中に広まり、武信の昇進が決まった。
政府は村に人を送り、鬼の犠牲になった村民や侍の墓が建てられる。
その後、武信は鬼を切った刀を「鬼切り」と命名したが、都の人々は「酔いどれ丸」と呼んでいたという。
酔いどれ丸 とき @tokito
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