第28話 霜降り
その少女は、肩までのまっすぐの黒髪で、左耳の上に赤いピンをふたつつけていた。ピンク色のもこもことしたコートを着ていて、ショートパンツの下から見える細い脚には紫色のタイツをはいている。大きな目はくりくりとしていて、言われてみれば文恵に似ていた。
「こんばんは、小鳥。お久しぶりです」
「こんばんはー!」
明るい笑顔は朗らかで、彼女の快活な性格をうかがわせる。
「紹介が遅れてすみません。こちらが朔です」
彼女が――小鳥が朔を見た。
途端、彼女の顔が真っ赤に染まった。
「ちょっ、ちょちょっ、この人が朔ちゃんですか」
「そうですよ」
「ちょっと、ええー!?」
恥ずかしそうに自分のほっぺを押さえる。
「お母さんが可愛い可愛いって言うからどんな人かと思ったら! 絶世の美少年じゃん! やだーっ、恥ずかしいーっ!」
何なんだこの子。
「お母さんに騙された気分っ」
「人聞きが悪いわね」
小鳥のすぐそばに立っている文恵が、溜息をついた。今日の彼女は珍しくスカートで黒いダウンベストを着ている。
「お母さん、お兄ちゃんの顔ばっかり見てるから美少年の基準がバグってるんだよ!」
「翼も綺麗な顔をしていますもんね」
「そう、あたしマジ似てなくてサイアク! あたしもお父さんに似たかった!」
「小鳥、あんたちょっと、声が大きいわよ」
土曜の夕方の駅前は人が多い。行き交う人々は四人を特に気に留めていないようだったが、文恵は気になるらしく、小鳥の背中を軽く叩いた。
「えっ、ハーフなんですか? 目が緑で綺麗ですね」
「どうしてですます調なんですか? 同い年と聞きましたよ」
「ぎゃーっ、日本語喋れるんですね!」
「日本人なんですが」
「ぎゃーっ、ぎゃーっ!」
なぜか隣に立つ母のダウンベストの腹をつまんだ。隠れるように一歩下がる。
「朔くん? 朔さん!」
「ただの朔でいいですよ」
「朔ちゃん!」
「それでもいいですよ」
「小鳥のことは小鳥って呼んでください!」
「小鳥」
「ぎゃあああああ」
「…………」
泉が吹き出した。
「こんなに困っている朔は初めて見ました。動画を撮りたいですね」
「ちょっと、泉さま。助けてくださいよ」
小鳥がまた一歩前に出て、震える手を伸ばす。つかんだほうがいいのか一瞬悩んだが、小鳥はぶんぶんとその手を左右に振った。
「朔ちゃんが学校に行った記念にお肉食べさせてくれるって聞いたけど、そんな顔してたら学校行きにくいよね。うちのクラスの女子もめっちゃ顔見たりしたって言ってた」
「そうですね! じろじろ見られるので学校はとても居心地が悪いですよ! 近寄りがたいのか誰も話しかけてきませんでしたし!」
「当たり前だよーっ」
泉が笑いを噛み殺している。文恵は声を上げて笑った。
「いや、面白いものを見ました。高い肉、食べましょう」
「ひょっひょっひょ」
小鳥が変な声を出す。
「よかったんですか?」
笑いすぎて出てきたらしい涙を拭いつつ、文恵が言う。
「私たちまでごちそうしてもらえることになって」
泉が首を横に振った。
「いえいえ、普段ふみさんにはとてもお世話になっていますからね。むしろ、土曜日なのに呼び出していいのか悩んだんです」
「とんでもない! どうせ家でテレビ見てるんですからどんどん声をかけてください!」
「小鳥もよかったんですか? 見たい番組とか、やらなくてはいけない宿題とか、ないんですか?」
「いや、牛肉に勝てるものなくないですか? テレビは別に面白くないし、宿題は明日部活の後やればいいんですよ」
溜息をつく文恵に反して、泉は楽しそうだ。
「それにあたし泉さま大好きなんです! だから会えて嬉しいです。お屋敷行きたいけど、あたし、部活やって家に帰ると六時近くてお母さんもう帰ってきてるし」
「この季節に六時というのは少し気にかかりますね。小鳥は可愛いから誘拐されないか心配です」
「ぎゃーっ、ありがとうございますっ!」
朔は眉をひそめた。究極的に苦手なタイプだ。これから食事の間ずっと一緒にいるのだと思うと頭が痛い。だが文恵の前で彼女の娘を貶めるわけにもいかず、無言で耐え忍ぶしかない。せっかくの高級な牛肉を味わえるだろうか?
「ていうか今日泉さま洋服なんですね! 泉さま足が長くてイケメンだからジーンズにトレンチめちゃ似合います!」
「ありがとうございます。小鳥も今日のコート可愛いですね」
「でっしょー! この前ハニーズで買ったやつです!」
「そうですか。まあ、わかりました。それでは、そろそろ行きましょうかね」
「はーいっ!」
小鳥が泉の腕に自分の腕を絡ませる。泉は特に気にしていない様子で、小鳥の歩幅に合わせてゆっくり歩き始める。
朔は文恵と並んで泉と小鳥の後ろをついていくことにした。
文恵が謝ってくる。
「ごめんね朔ちゃん。あの子いつもこんなんだしぜんぜん懲りないから、適当にあしらってくれて構わないからね」
どう返答しようか悩んで無言でいると、文恵が重ねて「ごめんね、ごめんね」と繰り返した。
「朔ちゃんもそのダッフルコート可愛いわね。泉さまに買ってもらったの?」
「はい、ついさっき。朔が着るものがないからということで、日中ふたりでららぽーとに行ってきたんです」
「泉さまがららぽーと……なんだかおもしろい時代になったわ」
「朔も違和感です」
小鳥が振り返った。
「朔ちゃん自分のこと朔って言うの可愛いね!」
朔は慌てて「僕が」と訂正したが時すでに遅しだ。小鳥がきゃらきゃらと笑った。
ずっとこの調子なのか、と思うと気が重い。ちゃんと食べられるだろうか。
だがしかし、朔はこの後四百グラムの霜降り肉を平らげることになる。十四歳には肉が必要なのだった。
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