第27話 外套

 今日は文恵が早朝から来た。朔がちゃんと登校するかどうか『見守る』ためらしい。そこまでされなくても今日は約束どおり学校に行く。ただし、泉の体裁を守るため、だ。文恵に怒られたから、というわけではない。


「小鳥は大丈夫なんですか?」


 泉が問いかけると、文恵は大真面目に頷いた。


「小鳥も中二ですもん! もう母親がいないくらいでぐずったりしませんよ」


 幸せな娘だ。母親がいなくてぐずる行為を許されていたこどもがいるということに、朔は平和を感じた。だからといって母親のいない自分が不幸だとは思っていなかったが、施設にいた頃は職員を奪い合って泣くこどもたちを見ていた。


 とかなんとか考えている場合ではない。


 朔が廊下に出てくると、何を思ったか開口一番文恵はこんなことを言った。


「ぎゃん! 学ランの朔ちゃん可愛い! 朔ちゃんの顔ならブレザーのほうがいいと思ってたけど、きっとこれがギャップ萌えってやつね!」


 どこが?


 泉がしげしげと朔を眺める。


「サイズが大きいんじゃないですか? 手にかぶりますね」

「男の子は成長するから、という理由で、ふたつサイズの大きいものを貰ったんです。まして朔は親が欧米人の可能性があるので、ハーフなら大きくなるだろう、という見込みで」


 手首を出したり引っ込めたりする。着古された制服は若干てかって袖の裾がほつれている。


「またまたそういう根拠のないことを。小さくなったらそのつど買えばいいのに」

「施設はこどもに制服を買うだけの金がないので、卒業生からのいただきものなんです」

「あれ、他人のものなんですか? 新しいものを買いましょうか」

「いいですよ、どうせろくに着ませんし」


 文恵が「平日毎日着なさい!」と怒鳴った。


「では、行ってきます」


 バッグを背負い、戸のほうを向く。


 泉に引き留められた。


「それだけの恰好で行くんですか? 寒いでしょう」


 小首を傾げる。


「暑くなりますよ。山を下りてバス停に行くまで二キロ歩くんですよ」

「動いて温まるのを前提に考えなくても。朔が風邪をひいたら私は悲しいです」


 本当にそんな感情があるのかどうかは疑問である。


「ちょっと待っていてくださいね、悟がこどもの時に着ていた上着があるはずです」


 そう言って泉が廊下の奥に消えた。


 待てど暮らせど戻ってこない。


「……遅刻しますね」


 文恵が溜息をついた。


「すごいいまさらだけど。中学なんて、校則で制服の上に着る上着禁止なんじゃ?」

「もっと早く言ってくださいよ」


 玄関の扉に手をかけた。


「泉さまには悪いですが、朔はこのまま行きますね。後でなんとかうまく言ってください」

「はい、わかったわ。行ってらっしゃい」


 しかしちょうどその時泉が戻ってきた。手には臙脂色の上着を抱えている。


「ありませんでした。翼にあげた気がしてきました」


 文恵が悲鳴を上げた。


「そういえば、かなりたくさんおさがりをいただきました」

「もっと早く言ってくださいよ……」


 では、泉の手にあるものは何なのか。


 泉が抱えていた臙脂色の服を広げた。


「私の持ち物で一番丈の短いコートを持ってきたんですが、これでも大きいですかね」


 ふわりと、朔の肩にかける。


 襟のないコートだった。和服に合わせるものだろう。やはり大きい。丈が膝まであるし、手が出ない。

 泉の匂いがする。


「……大きいし、やっぱり、明治大正の大学生じゃあるまいし、という感じですね。やめますか」


 朔は結局脱いで泉に返した。


「では、このまま行きます」

「行ってらっしゃい」


 ようやく屋敷の外に出た。

 やはり寒かったが、耐えられないほどではない。



 学校に着くと、誰も上着を着ていなかった。着てきたら浮いていただろう。万事OK。


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