第26話 寄り添う
和風建築の部屋の中には壁に備え付けのフックやカーテンレールのようにハンガーを引っ掛けられるところがないので、朔は蔵から古い
学生服をしげしげと眺める。
数ヵ月ぶりの制服だ。金ボタンが前の学校のままだが、細かいところはいいだろう。何回通うかわからないのにわざわざ交換しなくても。
このボタンの学校は何を理由に行かなくなったんだっけ。
そう、確か同じクラスの男子を階段の上から突き落としたんだった。
彼に後ろから肩を抱かれて吐き気がするほど気持ちが悪かった。それである時やったのだが、なぜか朔が謹慎処分になった。今でもあれは正当防衛だと思う。
ちなみに相手はバスケだったかバレーだったか運動部で、そのけががきっかけにまっすぐ歩けなくなってスポーツを諦めざるを得なかったと聞いた。自業自得、ざまあみろ。
そういえば、あの時もしこたま怒られた。いつもいつももっとバレないようにやり返せばよかったと思うのだが、都合の悪いことは忘れてしまうのと毎度衝動でやってしまうのとでうまくいかない。もっと知恵をつけなければ。
いや、だめか。
朔も十四歳になってしまった。今度何かしたら少年法、少年院だ。
それは困る。
朔は泉と一緒に暮らせなくなるのが何よりも嫌だった。この居心地のいい空間に戻ってこられなくなるのは不快だ。
ひょっとして、ひとはこれを『怖い』と言うのではないか、と思うと朔はちょっとした喜びを感じる。自分が急に人間らしくなった気がする。
人間になりたい。
そうしたらもっと泉に可愛がってもらえるのではないか。
可愛いペットでいたい。
まあ、相手の立場になって考えてみれば、朔はそんなうっとうしいペットなど欲しくはない。
うーん、人間社会で生きるのは難しい。
「朔」
ふすまの向こうから泉に声をかけられた。朔はふすまのほうを見て「はい」と答えた。
「入ってもいいですか」
「どうぞ」
ふすまがするすると開く。
泉の目が衣紋掛けを見た。
「制服、見つかりましたか」
「はい」
「持ってきていなかったらどうしようかと思いました。朔の荷物、段ボールふたつぐらいしかありませんでしたからね」
「所長が勝手に詰めたのではないでしょうか。朔はこっちに来てから自分の荷物を開けてこんなのも入っていたのかとびっくりしたものがいくつかありました」
泉が苦笑する。
「朔には何も必要ありません。朔が生きていくのに必要なものはそういうものではありません」
「そうかもしれませんね」
彼にだけわかってもらえればいい。
「どうですか、学校」
いまさら問いかけられた。
「楽しみ、ではないでしょうね。かといって朔が同級生を怖がるとも思えないし……どんな心境ですか?」
彼だけは何もかもわかってくれる。
「また学校で問題が起こってこの家に帰ってこられなくなるのではないか、というのだけが心配です」
「心配?」
小さく声を漏らす。
「心配。そうですか、心配、ですね。朔にはそういう機能があったんですねえ」
「おかしいですか?」
「とんでもない。可愛いな、と思います」
ちょっと嬉しい。
「あ、笑った。たまにはいいですね、その顔」
泉も微笑んでくれた。
「もし嫌だったら、午前中だけでも、いや一時間だけでも帰ってきていいですよ」
「そんなでいいんですか?」
「はい。顔を出せば十分です。何にもがんばらなくて結構」
そう言われると、『心配』が薄れる。
「別に、ちょっとぐらい問題を起こしても構いませんよ。何があっても引き取りに行くので、心配しなくて結構。法律はできる限り守ってほしいですが、まずは自分の心身を守ることを優先してください」
「はい」
「いいお返事」
繰り返して念を押す。
「何があっても、引き取りに行きますので。『悪い子』としてどこかでひどく怒られても、ちゃんとこの家に帰ってくるなら私は許しますよ」
やったー。
「まあ、でも、法律は守ったほうがいいですね。私がどう思っていてもおまわりさんに捕まったら回収に行けませんからね。ひとを騙したりけがをさせたりは控えていただきたいです」
「はい、わかりました。努力します」
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