第25話 幽霊船
夕飯を食べにこたつの部屋に行くと、珍しくまだ文恵がいた。
泉と文恵がこたつに九十度横の向きで座っている。
泉の目の前には紙が二枚、そして茶封筒が置かれている。
「あ、朔ちゃん」
文恵が顔を上げ、朔のほうを見た。どことなく憂鬱そうに見えた。何かあったのだろうか。
というか、この家に郵便物が届くことに驚いた。今まで一度も見たことがなかった。泉がどの程度インターネットに明るいのかは知らないが、たいていのことはメールかSNSで済むこの世の中、茶封筒に切手と消印とは。
空気が重い。訃報でも届いたのだろうか。
「朔ちゃんを待ってたのよ」
小首を傾げながら、文恵の正面、泉の斜め横に座った。
茶封筒の表面を見て、「あ」と呟いてしまった。
なんと、『望月朔君保護者様』あてになっていた。
「朔の話ですか?」
「朔の話です」
泉が溜息をつく。
「とうとう来てしまいましたね……転校後一度も登校していませんがのおたより」
丁寧な学校だ。
「このままだと二学期の成績がつけられないので来週の期末テストまでにがんばってほしいとあるのですが」
紙――タイプされた手紙を朔のほうに差し出す。
「読んでどうぞ」
「泉さまあてじゃないんですか」
「朔に来てほしいのおたよりですからね。私がひとりでにらめっこしても」
文恵が声を荒げる。
「だから私言ったじゃないですか、一回は担任の先生とちゃんとお話をしたほうがいいって! 保健室登校なり別室でのテストなり方法はいくらでもあるんだし、そもそも一回も行ったことがないんじゃクラスがどんな雰囲気かもわからないでしょ!」
「ふみさんは教育熱心ですね」
「私は最低ラインのことを言ってるんです!」
こたつの天板を叩いた。といっても本気で叩きたいわけではないようで軽くぱたぱたと鳴っただけだったが、文恵のひらひら動く指先を見て、朔は、大変なことになった、と思った。
「一回も行ったことがないなんて私知りませんでしたよ! 今の学校が合わないなら転校するとか手段もあるけど、最初から行く気、行かせる気がないだなんて」
天板に肘をつき、朔は息を吐いた。
「朔、学校に行くとなぜか身の回りでトラブルが起こるので、面倒臭いんです」
「面倒臭いとかそういう問題じゃないの! 将来どうする気なの!?」
「考えたことがないですね」
文恵がさらに目を吊り上げる。
「いい? わかってると思うけど。義務教育はこのまま放っておいても自動的に卒業できるわよ。でもこのまま成績がつかないんじゃ進学先がないんだからね。今時中卒なんて何もできないんだから、高校を卒業した後だってふたりにひとりが大学に進学するこのご時世で――」
説教が永遠に続きそうな気がした。
朔は気になったところだけ拾って問いかけた。
「成績がつかないと進学できないんですか?」
文恵が我に返ったように一瞬黙り、少し間を置いてから喋り出す。
「高校は中学の内申点で決まるの」
「ないしんてん、とは」
「通信簿の点数よ。五段階評価の点数。これはいくら試験の成績がよくても授業態度とか宿題の提出具合とかも考慮してつけられるもんだから、朔ちゃんがどんなに賢くても教室にいなかったらダメかもしれないってこと」
朔は泉の顔を見た。泉も微妙な表情で朔の顔を見ていた。
「ダメじゃないですか」
「ダメでしょうね」
文恵が叫ぶように怒鳴った。
「わかってなかったの!?」
「はい」
朔も泉もあまりにも素直なので拍子抜けしたらしい、また少し開けてから話を再開する。
「もう一回聞くわね? 朔ちゃんは中学を出たらどうしたいの」
「高校に行って、大学に行くつもりでした」
「大学ではどんな勉強をしたいの?」
「いえ、高卒で就職するとなると選択肢が狭まるかな、と思っただけで、特にこれといったことは」
「そんなの……、まあ、最悪それでもいいけど。大学に行ってからやりたいことが見つかるかもしれないし。最低限、行けば。というか、受かれば」
泉がのほほんとしたことを言う。
「翼は勉強ができるんですよ。東京の偏差値が高い男子校に通っているんです。末は博士か大臣か」
「うちの翼を引き合いに出さないでください! 今はうちの子のことはいいんです、うちの子のことは!」
いつもは延々と翼の話をしているくせにこういう時はこういう感じだ。
「普段は寮生活なんですが、年末年始には寮が閉まるのでこっちに帰ってくるはずです。会って話してみるのもいい経験になるでしょう」
「騙されませんからね!」
「小鳥のほうはどうしていますか?」
「それがお勉強はさっぱりなんだけど、部活や生徒会をがんばってるからか内申点はよくて、それで家から通える範囲内でちょっといい高校に行けたらと――だから! 私のこどものことは今はいいんです!」
教育熱心らしい。
「朔は行き先がまったく見えませんね」
「他人事ですね」
「はあ、まあ、何度も言いますが、朔は特に勉強したいこともないし、部活も友達も何もないし――泉さまが世間体が悪いから行けとおっしゃるのなら行きますが」
「朔ちゃん!」
泉がプリントを折りたたみ始めた。
「では、行ってもらいましょうか。一回ぐらいは」
「はい、わかりました。では、一回ぐらいは」
文恵はまた何か言おうとしたようだが、朔と泉がだいぶ譲歩したのがわかったのだろう、理由もなく自分の髪を撫でながら「そう、そうね」と呟いてやめた。
「もう、泉さまったら。こんなで、泉さまが十代の時ってどうなさっていたんです?」
爆弾発言が飛び出した。
「中卒です」
文恵が絶句した。
「やっぱり授業に出なかったので。義務教育は自動的に終わったのですが、その先はふらふらしました」
「なるほど」
「どうせこの家を継いで死ぬまで屋敷から出ないのが決まっていましたからね。不労所得で四十五年間生きてきました」
「不労所得で四十五年間ですか……」
「不労所得で四十五年間って…………」
朔よりよほどすごい人生なのではないか。
泉がプリントで折っていたのは紙飛行機だった。肩まで持ち上げると、隣の部屋とこの部屋を隔てるふすまのほうに向かって投げた。ふすまにぶつかって畳の上に落ちた。
「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」
「いや、さらっとそういうことをおっしゃらないでくださいよ。本気でご自分と炭治郎に共通点がおありだと思っていらっしゃるんですか?」
「泉さまがさりげなく流行りに乗ろうとするのも癪だし、遠回しに
「ふふふ」
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