第18話 微睡み
こたつでうとうとし始めてしまった。まぶたがあまりにも重い。このままではここで寝てしまう。泉の邪魔になる。
現在泉は入浴中で、朔はその後続けてお風呂に入らないといけない。しかも時刻はまだ午後七時、布団に入るのには早すぎる。
逆に考えれば、泉が出てくるまではうたた寝していてもいいということだ。
出てきたらきっと声をかけるだろう。起こしてくれるはずだ。少し目を閉じてゆっくりしようか。軽く仮眠を取るだけでも違うはずだ。
こたつに突っ伏し、目を閉じた。
次に目が覚めた時、朔は状況がよく呑み込めなくて目をぱちぱちさせてしまった。
尻が床についた衝撃で――というほどどすんと落ちたわけではないのだが、こたつで寝ていたはずなのになぜか座った時のように尻がぺたりとどこかに着地したので――何事かと思って起きた。
自分の部屋だった。いつの間にか畳の上に布団が敷かれていて、自分はその上に着地したらしかった。
右半身が温かい。人間の体温だ。
首を回して左側を見ると、泉が朔の体を抱えていた。
「あ、起こしてしまいましたか」
朔は驚いた。この上なくびっくりした。
「お姫さま抱っこですか」
「お姫さま抱っこですよ」
「泉さまがですか」
「他に誰がいますか」
やってしまった。泉にここまで運ばれてしまったらしい。そんなに熟睡していたとは思わなかった。とんでもない油断だ。これが野生の世界なら死んでいるし、施設や他の里親の家だったら誰に何をされていたかわからない。
いやいや、自分はこの屋敷ではそんなに無防備なのか。ここまで気の抜けた状態で生きる日が来るなど想像もしていなかった。繰り返すが、これが野生の世界なら死んでいる。泉が悪人だったら食い散らかされていたかもしれない。
「ぼんやりしていますね」
泉が言う。のほほんと微笑んでいる。
「眠いんでしょう。今日はもうお風呂はよして、寝て、明日の朝シャワーを浴びなさい」
朔は首を横に振った。
「すみません、重くなかったですか?」
「びっくりするほど軽かったですよ。もっとたくさん食べさせないといけないと思うぐらいには」
そしてくつくつと笑う。
「張り切ると腰をやってしまうかと思いましたが、なんとかいきましたし、何より朔の寝顔を見ることができて嬉しかったのでね」
呆然と泉の顔を見上げた。
「泉さまは朔の寝顔を見たことはありませんでしたか?」
「なかったです。この部屋に下がられてしまうと勝手に入って眺めるわけにはいかないでしょう。朝は私より早く起きて起こしにくるものですから」
布団に寝かせようとしているのか、肩を押さえて体を倒させようとする。
それが押し倒されているように感じて、朔は少し体を強張らせた。体に触られるのは嫌いだ。
警戒していたようなことにはならなかった。泉は朔の体に毛布と掛け布団をかけた。
朔の隣に泉も身を横たえる。添い寝だ。
ぽんぽんと、腹を撫でるように優しく叩かれた。
「たまにはいいですね、寝かしつけ」
楽しそうだ。
「紅葉がよく息子にこうやっていました。私が息子にやったことはなかったのですが」
「もう寝るんですか」
「そうですよ。眠いんでしょう?」
「してもいいですよ」
「何を?」
「セックス」
泉ががばりと体を起こした。
「どこでそんなことを覚えてきたんですか」
なぜそこまで驚かれているのかわからなくて、朔はまた目をぱちぱちさせた。
「朔ぐらいの年齢ならみんな知っているのではないでしょうか」
「そうかもしれませんが、私と朔は男同士ですよ」
「お尻におちんちんを入れられたことがあります」
泉が少しの間黙った。
ややして、大きく息を吐いた。
「いつ、どこで?」
もしかして怒っているのだろうか。なぜ? 何か悪いことを言っただろうか。
「珍しいことではありません」
朔も上半身を起こした。
「そういう目的でこどもを引き取る人はたくさんいます。何人ものこどもがそういう理由で児童相談所に保護されて施設に戻ってきました」
「そう……、里子というのは弱い立場ですね」
「怒っていますか?」
「はい、とても。何年もこんなに怒ったことはないというぐらいには」
朔は少し焦った。
「朔は悪い子でしょうか」
「とんでもない。朔にそういうことをしたおとなのほうが罰せられるべきです」
「おちんちんに噛みついてひどく流血させたこともあります。後でめちゃくちゃ殴られましたが」
つい早口になる。
「その後は? その後誰かおとなにその話をしましたか?」
「いえ、敗北を認めるようで不愉快だったので。自分でやり返そうと思って、家ごと焼き払おうとして、夜中にコンロでガスを漏らして……、途中で奥さんに見つかって施設に強制送還です」
「さすが、やろうとすることの規模が大きくて、それはそれでびっくりします」
そこで、ふたりとも沈黙した。
朔はどうしたらいいのかわからなかった。泉が朔の前で怒りを表現したのは初めてだった。どうするのが適切か、すごく考えた。
ややして、泉が腕を伸ばした。
ぎゅ、と。強く抱き締められた。
朔は困った。
それすら不快だったからだ。
泉さまなのにな。
泉はすぐ離れた。そして立ち上がり、ふすまのほうに向かって歩き出した。
「やっぱり、添い寝をしたり寝顔を眺めたりするのはやめましょう。ひとりで寝なさい」
「はあ」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい?」
泉はすぐに出ていってしまった。なんだかな。
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