第11話 栞

 泉は読書が好きだ。たぶん。もしかしたら特に本が好きなわけではなく他に暇つぶしの方法を知らないだけかもしれないが――それも彼の場合大いにありえるが――この屋敷には実質的に書庫になっている部屋があり、四面いっぱいの本棚に本が並んでいた。


 時々、泉の部屋の文机の上にも本が置かれている。ハードカバーの小説であることが多い。朔は表紙を眺めてはこんなものを読むのかと興味深く思っていた。

 朔は文芸には詳しくない。国語の教科書に載っていた作家ならわかる、程度だ。したがって、泉が読んでいる本がいつ出版された本なのか、有名なのか無名なのかもわからない。


 今日も一冊置かれていた。


 興味を惹かれて、スマートホンの検索ウィジェットにタイトルと作者名を打ち込む。

 検索画面が出てくる。

 去年の直木賞の本だ。

 去年の直木賞! 泉も案外ミーハーだ。朔には芥川賞と直木賞の区別もつかないが、賞を取るくらいなんだからベストセラーなんだろう。意外と最近の流行りものを読むんだな。書庫には夏目漱石の初版本なんかもあったけど、あれも泉の趣味なのだろうか? わからない。


 というより、泉に物事の好き嫌いがあるというのが不思議だ。彼の興味関心が特定のところに向く、というのに違和感がある。超然としているというか、泰然としているというか、それこそ悠久の時を生きる文豪の作品ならまだしも、最近の作家の本を読むなんて想像もつかなかったのだ。


 栞の端が見える。全体の八割ぐらいのところに挟まっている。あと少しで読み終わりそうだ。


「興味がありますか」


 後ろから話しかけられ、はっと我に返った。

 振り向くと、泉が朔の肩に顎をのせそうなぎりぎりのところから朔の手元を見ていた。


「読みたかったら明日にでも渡せますよ」

「いえ、そういうわけではないのですが、泉さまがどんな本を読まれるんだろうと思いまして」

「何でも読みますが、最近の小説が好きですねえ」

「最近の小説のどんなところが好きですか?」

「最近の人が一般的にどんな価値観を持っているのか透けて見えそうなところが、ですよ」


 そう言われると、なるほど、と思う。


「本を読む、ということは、誰かの頭の中を覗くことと一緒なんですよ。登場人物が一喜一憂するのを見て、こういうことで一喜一憂する人がいるんだ、というのを知ることができるんです」


 そして付け足す。


「普通の人が何を考えているのかわからないのでいい勉強です」


 そう思うと朔も小説を読んだほうがいいかもしれない。


「朔は本は読みますか?」

「はい、施設にはたくさんこども向けの本がありましたし、学校に行っていた時も教室から逃げたくて図書室にこもっていた時期がありました」

「そうですか。どんな本が好きですか?」

「特にこれといって好き嫌いはないのですが、よく読んだのは科学の本、特に海や地形の本です」

「うーん、想定外でした……」


 泉の大きな手が伸び、ハードカバーの小説をめくる。


「しかし、読んでも読んでもわからないものですよ。いえ、理解はできるのですが、共感できない、といいますか。そんなことで? ということが多々あるので、人間はおもしろいな、と思います」

「それでいいんじゃないでしょうか」

「でも国語のテストでは登場人物の気持ちを聞かれたりするんでしょう?」


 変なことを言う人だ。本当に学校に行ったことがないのだろうか。

 朔は首を横に振った。


「あれは本文に書いてあることを言い換えるだけですよ。逆に言えば書いていないことを書いてはいけません。共感しなくても理解していればできます。だいたい傍線の前後にうきうきしたとかしょんぼりしたとかと書いてあるんですよ」

「なるほど。朔ちゃんは賢い子ですねえ……」


 何を褒められたのかわからなくて、朔は首を傾げた。



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