第9話 一つ星

 泉が入浴している間に泉の布団を敷いてしまおうと、朔は彼の部屋を片づけていた。この屋敷には文恵が『泉さまの部屋』と呼ぶ部屋がみっつあるが、そのうち寝起きするのに使っている寝室だ。廊下からも縁側からもひとつ部屋を挟んだ内側の部屋で、畳敷きの八畳。間接照明の和紙に包まれた四角いランプのほかに何もなかった。


 隣の部屋から明るい電子音が聞こえてきた。スマートホンの着信音だ。泉のことだからデフォルトの効果音だろう。


 ひとつ縁側のほうの部屋に出ると、文机――今時文机! 昭和の文豪かと思った――の上にスマートホンが置かれていた。案の定ぶるぶると震えて音を立てている。


 覗き込んだ。


 外岡昇、と表示されていた。たぶん、とのおかのぼる、と読む。いや、しょうさんかもしれない。苗字はここらで多い苗字なのでたぶん間違いはない。


 誰だろう。珍しい。泉と連絡を取りたい人なんていたのか。朔は家から出ないので外から連絡することはないし、文恵とも電話でやり取りしているところを見たことがなかった。


 電話が切れた。大した用事ではなかったのかもしれない。

 でも、わざわざ泉に電話、というのが引っかかった。


 朔がこの時間に泉の部屋にいることは、泉は把握している。思い切って誰なのか聞いてみようかなあ。


 その時だ。


 もう一度鳴り始めた。


 かけ直すなんて、よっぽどの用事ではないのか。


 とても興味がある。


 朔はスマートホンを手に取り、緑色の通話ボタンをスワイプして電話に出た。


「はい」


 聞こえてきたのは若い男性の声だった。


『ちょっと、泉、既読スルーやめてよ。どんだけ俺の相手がめんどくさいんだよ』


 朔は睫毛をぱちぱちさせた。


「すみません、泉さま、あなたと何か連絡を取り合っていましたか?」


 一瞬、電話の向こう側の相手が黙った。


『え、誰?』


 朔はちょっと顔をしかめた。泉さまのことだから、誰にも朔のことを説明していないんだろうなあ。だいぶわかってきた。


「今月頭からお世話になっています、朔と申します。泉さまが児童養護施設から引き取ってくださった者で、今このお屋敷で一緒に暮らしています」

『はあ!?』


 彼がすっとんきょうな声を出す。


『え!? なんでそんな大事なこと説明しないわけ!? さとるは知ってんの?』

「さとるさま、という方がどなたかは存じ上げませんが、泉さまのことだからたぶんご説明なさっていないのでは。お会いしたことはありません」

『はー!? えっ、ちょっと待って! えーっ』


 寝耳に水だったらしい。


『まあ泉が独断でわけわからないこと始めるのは今に始まったことじゃないんだけどさ。えっと、さくちゃん、だっけ? 泉のせいで人生狂ってない? だいじょうぶ?』


 だいぶ狂っていると思う、と思ったが、話が盛り上がっても困るので言わなかった。


『ごめん、俺の自己紹介がまだだよね。この状況じゃあ泉が俺の説明してるとは思えない』


 御明察。


『俺は外岡とのおかのぼるといいます。泉の次男です。俺が赤ん坊の時に養子に出されたので苗字が違いますが、顔は似てるとよく言われます』


 おっと?


『ちょっと、年末年始がバイトで潰れそうなんで次の連休にそっちの家に行こうか悩んでたんだけど、やっぱり絶対行くわ。絶対俺と会ってね!』

「えっ」

『さくちゃん、よろしくね! 泉には何も言わなくていい、ノーと言われても困るんで! じゃ、またね!』


 そこで電話が切れた。

 朔はしばらくスマートホンを耳に宛てたまま呆然としていた。





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