第4話 琴
蔵を開けてみると、泉の言うとおり、ひどい
朔は咳をしてしまった。くしゃみも出そうだ。
「マスクが必要ですかねえ」
少し距離を置いたところで、泉が言う。着物の右の袖に左手を突っ込み、左の袖に右手を突っ込み、ひとりで腕組みをしているように見えた。
「そうですね、用意していただいたほうがいいかもしれません。この調子だと進まない気がします」
「わかりました。救急箱のあるあたりに一緒に置いてあると思いますので、一緒に見に行ってもらえますか」
「はい」
一歩動くごとに
視界がかすんで、思わずその辺に手をついてしまった。
小麦粉の中に手をついた時のような不快感があって、朔は珍しく緊張してしまった。
手をついたところを見ると、何か大きな、ラグビーボールの先端を切ったような木製のものが置かれていた。
手に取って、埃を払う。
泉が唸った。
「この埃、どうしたらいいんでしょうねえ。掃除機で吸ってみましょうか」
「泉さま」
「はい」
「これは何でしょうか。切れた糸がまとわりついているようですが、楽器ですか?」
「ああ」
一歩分歩み寄ってきた。
「琴、ですねえ」
ずいぶん雅な楽器だなあ、と朔は思った。お嬢様がやるやつだ。音楽の授業でビデオを見せられたことがある。着物を着た女性が手に爪と呼ばれる硬いものをつけて弦を弾くのだ。
「妹がやっていたんですね。もう三十年以上前の話です」
三十年以上前からここに置かれていたのだろうか。
さすがの朔も、三十年前から積み上げられた埃、と思うとげんなりした。どうしてこんな面倒臭いことになってしまったんだろう。ちょっと後悔。
でも、これを乗り越えたらお金を出してもらえる。養ってもらっている身なんだから最低限のことはしなければ。
「妹さんがいたんですね」
「そうです。私は実は五人兄弟だったんですよ。弟が一人と妹が三人。長男でした」
「そうだったんですか。それで、泉さまがこの家を継がれたんですか?」
「はい。長男ですからね」
「いつも漫画やドラマなどで不思議に思っていたのですが、家というのは長男が継ぐものなんですか?」
そう問いかけると、泉は少し黙った。
「令和ですねえ」
「はあ」
「昔は最初の男の子が継ぐものだったんです。女の子はお嫁に行って出ていくものでしたし、次男以下は相続の時のトラブルの種だったので追い出されるものだったんですよ。嫁取りをする長男だけを家に残しておいて、またその長男が継いで、さらにまたその長男が継いで――というのが当たり前の時代が何百年と続いたんです」
「江戸時代ですか? 泉さまは平成の育ちじゃないんですか?」
「ふふふ、朔ちゃんは賢い子ですね。実は私は江戸時代の生まれなんですよ」
「はあ」
「嘘です、昭和生まれです」
「そうですか。なんとなく泉さまなら三百年くらい生きているかと思いました」
「なぜでしょう」
ということは、泉の妹たちはみんなお嫁に行って、弟もトラブルの種として追い出してしまったのだろうか。それで結局泉はひとりになって相続人に困ってあかの他人である自分を引き取ったのだから、本末転倒だなあ、と朔は思う。
「ひょっとして昨日言っていた紅葉さんという方は妹さんですか?」
泉はいつもの穏やかな笑顔のままゆっくり首を横に振った。
「妻です」
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