「待ち合わせの理由」 -ほしかぜみなみ

 昼休み、お弁当を食べ終わると、私は「水道側の階段前」に急いだ。彼と会うのは、いつもここ。いつもって言っても、3回目。今日は借りたCDを返す代わりに、私のCDを貸す約束をしている。制服のスカートのプリーツを整えながら、彼を待つ。

「おつかれ〜」

 微笑みながら、彼がやってきた。

「おつかれ」

 同じ言葉を返しながら、私はCDの入ったトートバッグを手渡す。

「お〜、”La France”」

 バッグの口から中身を見ながら、彼は言った。

「聞いてみるわ、ありがと」

「うん」とだけ私は返して、私たちはそれぞれの教室に戻った。


 彼とは、2年生のクラスが同じだった。4月からずっと話すことは無かったけど、2月に、最後の席替えで隣の席になった。後ろから2番目、彼は一番窓側で、私はその右。

 一番窓側だと午後には陽が差して、後ろの方は先生の目にもつきにくくて(たぶん)、気持ちよく眠れる場所だ。羨ましい。と、思いながら、私はギリギリ陽の当たらない席でいつも寝ていた。彼はたまにスマホを見てるけど、寝ているところは一度も見たことがなくて、ちゃんとノートも取ってて、少し尊敬していた。

 この席になって1週間ぐらい経った日、6時間目が終わったとき。私の筆箱を見て、彼が話しかけてきた。

「これ、見たことある」

 彼が指差したのは、私の好きなアーティストがイラスト化された缶バッジだ。

「“オレンジガールズ”っていうバンド。知ってる?」

「あー、この前テレビで見たわ。4人組でしょ?」

「そうそう!先週の金曜日に出てた」

「俺、同じ日に出てた、ユートピアってバンドが好きなんだよね」

「そうなんだ!」

 ここで担任の先生が来て、会話は途切れた。それからクラス替えまで、やっぱり私たちはほとんど話すことは無かった。


 そんな彼と連絡を取るようになったのは、3年生の5月から。夜、家でスマホを見ていたら、彼から1枚の写真とともにメッセージが送られてきた。

“コンビニでお菓子買ったら、このファイルついてきたんだけど。いる?”

 私の好きなバンド、オレンジガールズのファイルだ。キャンペーンをやっているのは知ってたけど、このコンビニが家の近くにないので諦めていた。

“ほしい!ありがとう”

“OK, 明日持ってくから昼休みにでも渡すよ”

 覚えててくれたんだ。私がオレンジガールズを好きなこと。びっくりして、胸がざわついた。


 そして、次の日の昼休み。

“1時に水道側の階段前に来て”

 彼からメッセージが来た。お弁当を食べて階段前に向かうと、同じタイミングで彼が来た。

「よっ。これ、言ってたファイル」

「ありがとう!欲しかったんだ」

「あと、これ。覚えてる?ユートピア」

 彼はCDを出してみせた。

「好きなバンドだっけ?」

「そう。聞いてみてよ」

「うん、わかった」


 CDを渡されるとは、思わなかった。よく知らないグループだけど、せっかくだし聞いてみるか。家に帰ると宿題もせずにCDをかけてみた。

 一周聞き終わって、やっぱり私にはよくわからなかったので、パソコンからCDを出してケースにしまった。

“CD、聞いてくれた?”

 夕飯のあとメッセージが来ていた。

“聞いたよー。いい感じの曲だね”

 あたり触りのない返事をしたつもり。

“でしょ!また貸すよ”

 えぇ〜。ありがたいけど、私には良さがわからないんだけど。

 と思いながら、一周間後、借りたCDと交換で、またCDを借りてしまった。


 次はアルバムだった。家でテスト勉強をしなければいけなかったが、面倒なのでとりあえずCDをかけて、気が向いたら勉強しようと思った。

 今度は“聞いてくれた?”とメッセージは来なかった。自分から送らなくてもいいか〜と思いながら、気付いたら何周も聞いていた。CDを返さないままテストが近くなり、そろそろ勉強するかと机に向かっては、ユートピアを毎日流した。


“テストお疲れ。CD返したいから明日の昼休み会える?”

 テストも終わったし、そろそろ返したいと思って自分からメッセージを送った。

“あ〜そうだった、ありがとう”

 私はユートピアのCDをトートバッグに入れた。なぜかちょっとだけ、寂しい気持ちが起きた。そしてなぜか、自分の好きな曲も彼に聞いてほしくなった。

“オレンジガールズのCDも、貸すから聞いてみて”

 最新のアルバム“La France”を同じトートバッグに入れた。


 それから、私たちは毎週のようにCDを貸し借りするようになった。スマホで感想を言い合った。そのうち私はユートピアをミュージックアプリで検索して聞くようになって、メンバーについても詳しくなって、そして彼からはユートピア以外のCDも借りるようになった。

 彼は読書も好きで、本も貸してくれるようになった。読書が得意でない私に気遣って、薄めの本を選んでくれているらしかった。私は受験勉強なんかしないで、彼の本を頑張って読んだ。彼の本を読めば、彼の考えていることが伝わってくる気がした。彼の世界に近づける気がした。そしてそれが、心地よかった。

 私は反対に、漫画を貸した。『牛肉びより』という15巻まで出ている作品の、11巻目まで貸したところで、彼は勉強が忙しくて漫画はしばらく読めないと言った。彼は変わらず本を貸してくれた。けど、受験勉強をする彼に申し訳なくなって、感想を伝えるのも、昼休みに会うのもやめた。

 

 私は勉強はほどほどにして、専門学校へ行くことにした。勉強の合間に、10月に最後に借りた本を何度も何度も繰り返し読んだ。短編集だから、読みやすい。友達と遊んで楽しかった日は、ワクワクする話を読んだ。勉強に疲れた日は、オチが面白い話を読んで笑った。将来を思い悩んで落ち込んだ日には、ユートピアを聞いた。本を開いても、音楽を流しても、彼の顔が浮かんだ。早く感想を話したい。彼の解釈も聞きたい。次はいつ会えるんだろう。


 そんな風に過ごして数ヶ月、毎日の授業は無くなって、ほとんど高校に行かなくなったころ。2月の中旬に彼からメッセージが来た。

“受験終わった!今度の登校日に会える?”

“お疲れ!会えるよ。借りてた本返すね”

 平然と返したけど、私の胸は高鳴っていた。登校日は4日後。早く話したい。早く会いたい。でも、卒業式を除けば登校日は残り2回。あと2週間もすれば卒業だ。そう考えると、時間が進むのがいいことなのか悪いことなのか、わからなくなった。


 登校日、私は借りていた本と、途中まで貸していた『牛肉びより』の12巻目と13巻目を持って行った。本の感想は色々考えていたけど、「すっごく面白くて、何回も読んじゃった」としか言えなかった。彼はまた、本を貸してくれた。

 次の登校日にもお互いに本と漫画を返して、貸した。卒業式に返すねと言って。やっぱり感想はほとんど話せなかった。家で本を読みながら、これが最後か、と思った。CDと本でしか繋がらなかった私たちは、卒業式が終わって貸し借りが無くなれば連絡も取らなくなるだろう。なんでだろう、最初は全然響かないCDだったのに、あんなに本を読むのは苦手だったのに、それが手にできなくなるのが嫌だった。


 卒業式の日、私は友達と相談して決めた髪型をして行った。電車の中で、窓に映る自分を何度も眺めた。気合十分である。

 窓の上の広告を眺めていて、あっ、と全身が固まった。借りていた本を持ってくるのを忘れてしまった。最後の日なのに、どうしよう。今から家に取りに戻る時間は無い。仕方がないのでそのまま学校に行き、卒業式を終えた。

 

 卒業式のあと、水道側の階段の前で、彼に会った。

「髪型、かわいいね」

 彼がそういうと、胸がドキリとした。

「これ、ありがとう。面白かった。最後まで読めて良かった」

 彼は漫画を返してくれた。そして私は、少しうつむきながら言った。

「あの…、ごめん、本持ってくるの忘れちゃったの」

「えっ」

 彼は驚いた様子だ。

「そっか…じゃあ、また今度返して。いつか会えるでしょ」

「うん、ごめんね。ありがとう」


 家に帰り、机の上に彼に借りた本を見つけると、申し訳ない気持ちになった。同時に、もう会えなくなるはずだった私たちを、この本が繋いでくれている気がして、ちょっと嬉しくなった。


 専門学校の入学式も終えて、4月の第2週、私と彼は高校の近くのカフェで待ち合わせた。本を返したいんだけど、と連絡すると、カフェで会うことを提案されたのだ。高校の近くではあるものの、友達とはいつもファミレスかファストフード店に行っていたので、このカフェには入ったことが無かった。

 カフェに向かいながら、この本を返したら終わり。本当に今日が最後だ。と考えた。胸がチクリとした。


 カフェで向かい合う席に座り、私は本を返した。

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「大丈夫だよ。面白かった?」

「うん。もし明日、世界が終わるとしたら…ってところ。色々考えちゃった」

「俺もそこ、色々考えたなあ。でも、きっと普段と同じ一日を過ごすんだろうな」

 私は、借りた本を読むときは、彼の頭の中を少し知れた気になったことを話した。彼も私に借りた本やCDで、私の頭の中を知れた気がしたと話した。


 そしてお互いの大学や専門学校の話もした。高校の頃の話もした。こんな風に、音楽や本以外の話をするのは初めてだ。

「俺、女の子と二人でカフェに来たの初めて」

「あ、それなら私も男の子と二人でカフェに入ったの初めて」

「え!?意外だなあ、彼氏とかいなかったの?」

「いないよ。そっちこそ、彼女いないの?」

「いるように見える?できたことないよ」

 これを聞いて、ちょっと、ほっとしている自分がいるのに気付いた。


「初めて俺が話しかけたときのこと、覚えてる?」

「覚えてるよ。オレンジガールズの缶バッジ」

「違うタイプな気がしてたからさ、話しかけるのちょっと緊張したんだよね」

「え〜、なにそれ」

「でもなんとなくもっと話してみたくて。コンビニでファイル見つけて、お菓子買っちゃった」

 あのファイル、お菓子を買ったらついてきた訳じゃなくて、ファイルのためにお菓子を買ったのか。

「話すきっかけができると思って、CDも貸しちゃったんだ。結局、あんまり話さなかったけどね」

「私も本の感想とか、話したかったけど上手く言えなかったな〜」

「そうだったんだ。本当は、色々話してみたかったんだけどな」

 こんな話をしたらなんとなく気まずくなって、解散することになった。


 駅のホームに着くと、すぐに私の乗る電車が来た。

「じゃあ、専門学校がんばって」

「うん、じゃあね」

 ドアが閉まると、お互いに手を振った。これでお別れ。そう思うと、帰り道を歩きたくなくなった。

 

 家でふと、ユートピアの曲を流してみた。もうどの曲を流しても、歌詞がわかるようになっていた。専門学校に通いながら、家で毎日のようにユートピアを聞いた。聞きながら、会えない彼を想った。思い出したら寂しくなるのに、それでも聞いてしまう。私が寂しいのと同じように、彼も同じ感情を抱いていたらいいのにと、心の底で願っていた。


 5月のゴールデンウィークが終わったころ。スマホの通知音が鳴って画面を見ると、あの彼からのメッセージが来ていた。

“コンビニでシール集めたら、クッションもらえたんだけど、いる?”

 一緒に送られていた画像に写っているのは、『牛肉びより』の絵がプリントされたクッションだ。

“ほしい!ありがとう”

 またあのカフェで会う約束をした。

 シールはたまたま集まったんだろうか。それとも…。淡い期待は胸の奥にしまって、その日を心待ちにした。そうだ、今度は、私がこの前買った小説を持って行ってみよう。

 理由が無くても会いたいと言えればいいのに、私たちはまだ、会うための理由を探してしまう。

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ことのはの海 令和二年度学祭号 國學院大學児童文学会 @kgu_jidoubungakukai

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