終点
針音水 るい
終点
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
東京のど真ん中で、歪な円の上を永遠と走り続ける電車。緑のラインが決め手の車両が、都会の中心へと人々を運んでいっている。
車窓からは高々と立ち並ぶビルが見えたかと思いきや、どこか寂れた雰囲気のある下町も時折顔を出す。
終着点を知らないこの電車は、この先もこの景色を繰り返しながら進んでいくのであろう。
本来賑わっているはずの車内は平日だからだろうか。客はほとんどおらず、優先席に二人の男が世間話をしながら座っているだけだった。
「電車なんて久々に乗ったな」
一人が言う。
「俺もそうだな。何年ぶりだろう」
もう一人も言う。
暖房で暖かい車内に、さらに窓から太陽の日差しが差し込み、二人を優しく包む。
「そういえば、幼い頃にこの電車で母親とはぐれたことがあったな」
「へー、はぐれたら合流するのが大変そうだな」
「そうなんだよ。何せ幼かったからどうすればいいのかも分からず、ただジッと席で母親が来るのを待ってた」
「健気だな」
「だろ?でも結局しばらく待っても来ないもんだから俺も諦めてさ。もしかしたら一生この電車に乗り続けて降りられないのかもしれないなんて思ったりして」
「幼いながら最悪の事態を覚悟したわけだ。それで結局どうしたんだい?」
「しゃべる相手もいなかったし、遊び道具も全部母親の鞄の中だったから、俺は仕方なく窓の外を見てたんだけどさ」
男は顔に刻まれたシワをさらに深めながら笑い、こう続ける。
「実は信じられない光景を目にしたんだ」
「信じられない光景?」
「ああ。窓から見えていた頑固そうなビルが、急にアイスみたいに溶け出したんだ」
しかもだよ、と男は目を輝かせながら言う。
「それを食べに来たのか、不思議な動物たちが空から地面から次々と現れて、その溶けたビルをいかにも美味そうに舐めていくんだ」
「お伽話みたいだな」
「嘘みたいだろ?でも俺ははっきりとこの目で見た。絶対にこの世のものではない生き物が我々人類の産物である高層ビルを飲み込んでいく。でも不思議と恐ろしさは感じられなかった。ほんの一瞬の出来事だったからかもしれない。気付いた時には真っ暗なトンネルの中に入っていて、そこを抜けたらもう元の現実世界に戻っていた」
「面白い体験をしたもんだな」
「そうなんだよ。でももっと面白いのが、そのおかしな体験をしたのが俺だけだったってことだ」
「ん?何でお前だけなんだ?その時代なら今と違って通勤通学をしている人が大勢いたはずだろ?」
「そうなんだけどさ。我に返ってハッと周りを見渡したら、他の乗客は全員下を向いて目の前の景色を永遠と見続けているんだよ。スマホだったり、本だったり、新聞だったり。中にはイヤホンなんか付けちゃって、聴覚までも自分の世界の中に封じ込めてる人もいたな」
「なるほど。誰も窓の外の景色なんか見向きもしていなかったということか。確かに当時は電車に乗る時、スマホはマストアイテムだったもんな」
「そうなんだよ。だから誰もあの不可解な現象を見た人はいなかった。もしかしたら俺みたいに途方に暮れて暇を持て余していた人が他にもいたのだとしたら、その人も見ていたかもしれないがな」
それにしても…。
二人の男が辺りを見渡す。
こんな話をしている間にも電車は進み、幾度も数々の駅を通ってきたのだが、彼ら以外の客は未だ乗ってこない。
乗ってくる気配もない。
「昔と比べて寂しくなったもんだ」
「そうだな」
よく見ると吊り革にも座席にも、薄っすら埃が積もっている。
「あれだけ皆が熱中していたスマホも、今じゃ古すぎて誰も使わなくなってしまったし」
「あれだけ多かった若者も、今じゃ少なくなりすぎて人手不足。逆に俺らみたいな高齢者が増えて、社会の負担が重くなっていく一方だ」
「しかも医療の発達で寿命が伸びたときた。どんな病気でも飲めば治せる薬だなんて、昔じゃ想像もつかなかったよ」
「それが今じゃ薬局で簡単に手に入ってしまうからな」
「どうりであんな法律もできるもんだ」
「まあ、仕方ないだろう。俺たちは充分人生を謳歌したんだ」
「200年だぞ?充分すぎるだろ」
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
「200年の間に、俺たちは知らない所で大事なものをいつの間にか見落としているんだろうな」
「でも逆に言えば200年の間で得たものもたくさんあったと思わないか?そりゃあ若い頃は目先のことだけに囚われて生きてしまったかもしれないけど、長い目で見て振り返ったら、素敵な景色もたくさん見ることができたと思うだろう?」
「それもそうだな」
「終わり良ければ全て良しということにしようじゃないか」
次は新宿、新宿。お出口は右側です。
「この電車は終着点がないと思っていたんだが、やはり永遠なんて存在しないんだな」
「そういうもんだよ。まあ、でも最後にラーメンは食べないと、俺的にはどうしても終われないな。そうじゃないと、いきたくてもいけないや」
「じゃあ、一緒にラーメンを食べてからいくか」
電車がゆっくりと停車し、硬く閉じていた扉が自動で開く。
二人の男は楽しそうに話しながら、足取り軽く電車を降りていく。
ドアが閉まります。ご注意ください。
東京のど真ん中で、歪な円の上を永遠と走り続けるこの電車。
しかしその永遠が果たしていつまで続くものなのか。
誰もその答えが分からぬまま、再び電車はゆっくりと動き出す。
終点 針音水 るい @rui_harinezumi02
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