第72話 じぃの家、ばぁの菓子2


 お祖父様の質問に答える前に、長くはなるが色々と説明したいと思う。


 先ず最初に、【紫玉の嘆きカーリー・グリーフ】の存在自体は別に秘匿されている訳では無い。何せ代々のザルード公爵家当主が使用している魔術カラーだ。見知った者も多く居るだろう。特に長く仕えている家臣や分家などがそうだ。

 但し、僕が【紫玉の嘆き】を創造する過程で口にした魔術言語カラー・スペリアンや、【紫玉の嘆き】の魔術名カラー・レイズ自体は殆ど知られていない。知るのは受け継ぐ嫡子と、本当に極一部の者だけだ。


 何故ならあの魔術言語は最初に嫡子が当主から学ぶ際に使う為のもの。創造した後に使うことは無い。そして創造した後に【紫玉の嘆き】を使用する際は、魔術名を口にすることは無い。あれは本来瞳で発動させる魔術らしいから。

 だから僕があの場で口にした魔術言語と魔術名を聞いた者達は何を言っているのか分からなかっただろう。


 例え【紫玉の嘆き】の存在を知っている家臣や分家の者達であっても「似ているな」程度にしか思わなかった筈だ。何せ長年に渡りザルード公爵家の当主しか使ってこなかったものを一介の冒険者が使えるだなんて思い至る訳が無い。

 加えて言えば、あれだけ極大魔術化したものを目にする機会なんて先ず無いだろう。もし仮に見る機会があったとすれば、僕が生まれる前にニコラ公爵領からアーレ公国の間で発生したという大発生スタンピードの時くらいだろうか。

 ザルード公爵家先代当主である曾祖父ひいじい様はその討伐に向かったと聞いているので、その時であれば使う機会はあったかも知れない。


 だが、果たしてあんな莫大な精神力を消耗するような危険な真似を曾祖父ひいじい様がしたかと言えば首をかしげてしまう。一気に精神力を消費すれば猛烈な眩暈や倦怠感に襲われてしまうし、一歩間違えば僕のように倒れてしまうのだから。

 それに、曾祖父様がそんな規模の魔術を使用したとは聞いたことがない。もし使用していたら曾祖父様か曾祖母ひいばあ様、お祖父様かお祖母様、あるいは母上が武勇伝の一つとしてお話ししてくれている筈だ。


 そして次、これが最も重要な部分になるのだが。僕の個体情報にもあるように、【紫玉の嘆き】は血族技能。つまり、ザルード家の血を引いていなければ決して使えない。そして、このザルード家の血を証明するものこそが紫色の瞳になるのだ。

 これが無いものには決して使えないと、嘗てお祖父様は口にしていた。

 この紫色の瞳だが、直系はもちろん、分家筋でも持って産まれてくる者は居る。逆に直系でも分家でも持たずに産まれてくる者は居るがそれは置いておこう。


 さて、この紫色の瞳だが、現在最も直系に近くて持っている男児は一人だけだ。言うまでも無く僕、カー=マインである。母上のご姉妹である僕の伯母上のお二人からは女児しか産まれていないので、直系には僕以外にこの瞳を持つ男児は居ないことになる。しかし、カー=マインがあの秘伝の技を使える訳がない。

 そうなると残されている可能性は分家の子以外にはありえない。それが嫡子か庶子か落胤らくいんかは関係ない。重要なのは血をその身に宿しているかどうかだ。


 最後になるのだが、この国では珍しくはあるものの、僕の【変化ヴェイル】のように姿形を変える魔術自体は普通に知られている。但し、それを成す方法は殆ど知られていない。

 僕も全ての方法を知っている訳では無いが、その内の一つは嘗ての宮廷魔導士が創造した変化系の魔術を使用してのもの。一つは国の宝物庫に保管されている、望むものに姿を変える魔道具を用いてのもの。一つは人の姿を違うものへと変化させてしまう魔獣の技能によるもの。僕が知っている限りではこの三つになる。

 三つ目は魔獣の手によるものなので普通に冒険者や傭兵には認知されている。ただどんな姿に変化させられるか分からないので、一種の呪い、あるいは阻害魔術デバフ弱体化効果バッドステータスの一種と思われている。


 問題なのは前者二つだ。これは一般に知れ渡ると悪用される恐れがある為、魔術の伝授に関しては国に属する魔導士や魔術士の間のみとされている。国宝に関しては宝物庫の奥の奥の方に秘されている状態だ。

 そう言ったことから、この二つはそもそも存在自体が殆ど知られていない。僕がどうして知っているかは言うまでも無いだろう。


 だがこの情報、殆どと言うように、知っている存在は居る。

 その内の一つが公爵家の当主達だ。何せ彼らは国を支える柱の一つ。知るべき知識は国王より伝えられるし、代々引き継いでいく。


 そんな訳で、お祖父様からすればジャスパーの正体は力を隠していた分家の子か、あるいは莫大な力を持った落胤、そのどちらかが変化系の魔術で姿を変えており、何かしらの方法を用いて秘伝の技を知った、という風に見えているのではないかと僕は推測している。


 もしこの推測をお祖父様が持たれている場合、まぁ国を支える公爵としてもザルード家当主としても許すわけにはいかないだろう。拷問してでも聞き出して当然。場合によっては世界へ還元することすらあるだろう。


 それを理解しつつも、僕は至って普通にお祖父様の問いに答えた。


「お答え出来ませぬ」

「あれがどういったものか、お主は知っておるのか?」

「ええ。ザルード公爵家にとってどれだけ重要なものかも」

「で、ありながらわしを前にして答えられぬと?」


 突如、お祖父様の身体から凄まじい威圧感が襲ってきた。

 押しつぶされそうになる重圧が満身を縛ろうとする。これはただの魂の波動とは違う。強烈な魂の波動は思わず一歩下がってしまいそうな圧力を感じるものだが、今お祖父様から発せられているこれはひれ伏してしまいそうな、例えようのない重みを感じさせる。これは何か――僅かな思考の後に思い至る。

 これが上位者のみが使えると言う覇気だ。


 そもそも魂の波動と言うものは、生物が持つ魂そのものの強さ、それが発する魔力の濃さを意味する。だから魔力の波動と呼ぶ人もいるが、これに意思を載せることによって意味が変わる。

 例えば魂の波動に殺意を載せれば殺気になるし、脅してやろうなどと言う思いを載せれば威圧になる。僕が先日エルドレッドにしたのがこれだ。


 そして覇気とは、魂の波動に上位者としての意思、あるいは在り方を載せたものだ。人は自分よりも遥かに上の存在には思わずこうべれる。国王を目の前にした力無き平民が畏怖の念を抱きひれ伏すのと同じことだ。

 その権威そのものを魂の波動に載せたものが覇気だ。


 なるほどこれはきつい。これだけ魂位が上昇した状態の僕でも圧倒されそうになる。正直に言えば、今は魂の波動を発して相殺している状態だ。ちらと見れば左右の三人も辛そうにしている……いや、ミミリラだけは普通に紅茶飲んでるな。


 今お祖父様から発せられているのは歴戦の猛者が持つ、公爵級の覇気だ。恐らくその辺の上位者とは桁が違う。

 でも多分これ、かなり手加減しているんだろうな。だって連盟拠点ギルドハウスで怒りから発した僕の魂の波動ですらティーカップが割れたのに、今テーブルの上に置かれているティーカップが全て無事なんだもの。


 ただ、覇気を向けられるまでは予想していなかったものの、こう言った流れになることは想定していた。

 先程僕が述べた通り、お祖父様からすれば僕の正体は絶対に暴かないといけない危険なものだ。その上でどうやって向けられるであろう質問を躱すか、暫くは悩んだ。しかし、あることに気づいてあっさりと答えは見つかった。


 エルドレッドが何度も言葉にしていたように、僕はザルード領を救った大恩人。領民を、兵を、分家を、そして家族を命をかけて守ったのが冒険者ジャスパーなのだ。

 僕はお祖父様がどれだけ家族想いなのかを知っている。何せ王太子であった父上と殺し合いをしてまで、そして当時の国王と敵対する可能性すらあったのに、娘である母上を守ろうとした御方だ。更に言えば、己の母に贈り物をする為に我が身を省みることもしない、そんな御方なのだ。


 そして、孫である僕はお祖父様がどういった気性の御方なのかをよく知っている。武を尊びながらも義理と恩を忘れぬ誠の武人。強さと優しさを併せ持つ、それが現ザルード公爵家当主、ジードと言う男なのだ。

 だからこそ、最初から僕は言い訳の一つも要らなかったのだ。


 お祖父様のあり方を利用する形になって非常に心苦しくはあるが、僕はもう一度同じ言葉を口にした。お祖父様がこの言葉だけで引いてくれると分かっていたから。


「お答え出来ませぬ」

「……そうか」


 僕がそう言うと、お祖父様から発せられていた覇気が収まった。それだけで何十人もの人が肩から下りたような錯覚に陥る。本当に堪ったものじゃない。魂位8,000を越える僕ですらこれだ。この技能だけで殆どの人は身動き一つ取れなくなるだろう。上位者と呼ばれる人達が恐れられる訳だ。


 軽く息を吐いた僕に、お祖父様がどこか重たい口調で言う。


「本来であれば決して放置は出来ん。が、お主はこの領地の救世主。そして既にわしの恩人でもある」

「公爵」


 咄嗟に口を開いた僕の言葉を遮るように、お祖父様は首を振った。


「わしは自分の領地、民、兵に家族が危険にさらされておる間、そこにおることすら出来んでおった。その無力。何と言葉にすればよいか」


 姿勢を前傾にしたお祖父様は、その分厚い手のひらを握り締めた。まるで空気が軋むような音が鳴り響く。


「既に多数の領民は被害にあった。それだけでも悔恨の極み。ここが落ちていたならば、わしは己を許せなかったであろう。仕方無い、などという言葉には何の価値も無いのだ。守れなかった、ただこれが全て」


 そこでお祖父様は手を開いた。顔を上げて笑う。


「で、あればこそ。お主はもうわしの恩人以外の何者でもない。例え一族の秘密であれど、何を抱えていようと、その恩を超えることはない」

「……有り難き幸せ」


 お祖父様はそう言ってから鈴を鳴らし、紅茶のお代わりを持って来るようにメイドへと指示した。そう言えばもう無くなってたんだよね。

 それにしても、今の言い方はジャスパーの正体や【変化ヴェイル】などに関して黙認してくれると言う意味なんだろうな。


「これに関しての話は終わりだ。後は褒美の話。此度のこと、ただでは済ませぬ。わしからも国王陛下に上奏文は差し上げるが、確実にお主には勲章が授けられるであろう」


 要らない。


 お祖父様相手だというのに思わず口に出そうになった。左右の三人が口を押さえている。今のをはっきり読んだようだ。


「それ以外、何か望みがあれば申すがよい。可能な限り何でも応えよう」

「不要です」

「何?」

「不要に御座います」

「その意味、分かっておろうな?」


 王侯貴族からの褒賞を断るというのは、その相手の面子を潰すのと同じ意味になる。「お前の褒美なんか要るか馬鹿」と言って唾を吐きかけるのと同じなのだ。

 ましてや公爵と言う最上位貴族の当主自らが何でもやる、と言っているのに断るのなんて最早権威への唾棄と同義。入口の壁の方に立っているエルドレッドが下手をしなくても斬りかかってくる。

 その前にお祖父様自ら切り捨てそうだ。


 だけど、僕は言うのだ。


「無論のこと。そも、褒美は先に賜っております故」

「ほう、それは何か」


 僕はお祖父様から視線をずらし、その後ろにあるテラスの向こうに意識を向けた。この部屋からの景色はあまり見覚えが無いが、少し場所を移せば思い出のそれが一面に広がっているだろう。


 目を瞑る――馬車でく屋敷への道すがら。窓から覗く風景。僅かに揺れる荷台。耳に届く馬蹄と車輪の音。遠くに見えてくる公爵邸。

 たどり着いたじぃの家。そこで口にしたばぁの菓子。


 それら全てとの再会が叶った。これだけで十分過ぎる褒美ではないか。


「私の第二の故郷を、今日こんにちまで公爵は守って下さいました。これ以上の褒美を賜ることは神をも恐れぬ傲慢でありますれば」

「ふむ」

「何も言えぬ私のどの口が、となりますが。公爵。公爵が思う以上に、私にとって、ザルードと言う土地は、城塞都市ポルポーラと言う都市は、掛け替えのないものなのです」

「……」


 僕は魂の障壁を外す想像をしながら、お祖父様に語りかける。これは心胆からの本音だからだ。


「公爵は先程、私を恩人と仰られました。それは公爵にとっての大事を守ったからこそのお言葉。で、あれば。私にとっての大事を守り続けて下さったのは公爵です。褒美を無用と申す私の心胆、ご理解頂けるかと存じます」


 僕の言葉を聞いたお祖父様は片眉を下げると、苦笑しながら鼻を鳴らした。


「そう言われては納得するしかあるまいな。まぁ貴族と言うものを理解しているであろうお主のこと。あい分かったとわしが言えぬのもまた理解しておろう。

 此度のこと、国王陛下には上奏文を必ず差し上げる。そしてお主の連盟拠点ギルドハウスには褒美を叩き込む。断れるものなら断ってみよ。ははは」


 頬杖を突いて笑うお祖父様の楽しそうなこと。何だかようやくお祖父様らしい表情を見た気がした。


 しかし勲章か。先程はお祖父様の言葉に対して「要らない」と思ってしまったが、まぁ先ず逃げられないだろうな。

 アーレイ王国では、僕や弟、ロメロやエルドレッドがナーヅ王国との戦の際に賜った勲功とは別に、国王陛下より賞される場合が幾つかある。

 その内の代表的なものが以下の三つになる。


 一つは魔術や魔道具の開発で国に貢献した場合。これは殆ど宮廷魔導士か宮廷魔術士が賞される。

 一つは国にとって利となる何かを献上した場合。分かり易い例で言えば、魔窟ダンジョン天至の塔バベルで入手した希少な物、あるいは出土された珍しい魔道具や遺物だ。この勲功は冒険者や領主が得ることが多い。

 そして最後、国に害を及ぼす脅威の解決に貢献した場合。これは凡ゆる戦士が賞される可能性がある。そして今回、どんな脅威の解決に誰が一番貢献したかなんて既に知れ渡っている。

 だからこそ、父上からのお呼びは確実だと分かりきっているのだ。


 お祖父様が父上に上奏文を差し上げると言うのは、その証明と後押しの意味合いが強いだろう。二回目の言い方は「等級を上げてやるから覚悟しろ」と言う意味合いにも取れるかな? 戦以外の勲功等級は第三等までしかない上に評価が厳しく、中々第二等以上は賞されないのだ。


「後は本当に何も要らぬか? 小さいものでも良いぞ。まぁ食料に関してだけはあまり渡してはやれぬがな」

「やはり市民に?」

「ああ。極力配れるように商人や貴族達には伝えておる。値段は言い値で構わんともな」

「……」


 お祖父様らしいと思った。何とか力になれればと思う。

 ふと、お祖父様の懸念を一つ晴らせることを思いついた。僕への褒美一つで頭を悩ませてしまうのは嫌だったし、これなら本当に僕にとっての褒美となる。


「で、あれば公爵。一つ望みのものが」

「何じゃ?」

「但し、これは価値が高いので」

「構わぬ。言うてみよ」

「で、あれば。公爵夫人の菓子を賜りたく存じます」


 これは気遣いなしの本音だ。お祖母様のお菓子なら今回の働きに相当する。

 二回も食べられるならお釣りすら返って来るだろう。


「ははは! あい分かった! しばし待っておれ、あれにわし自ら云うて来るわ」


 さぞご機嫌になったお祖父様は大股で応接間を出て行った。

 それを唖然と見つめる僕達。そして近寄って来るエルドレッド。


「ジャスパー。俺はお前が死んだと思ったぞ」

「まぁ公爵家からの褒美を要らない、何て言う馬鹿は普通居ないだろうな」

「ああ、俺はお前を斬れと言われたらどうやって逃げるか真剣に考えてたぞ」

「それで良いのか騎士さん」

「俺が尻を見せないのは王太子殿下の前だけよ」

「そう言う考えは嫌いじゃないな」


 どうせ見るならミミリラの尻が良いな、なんてふと思うと、ミミリラの方から喜びの感情が伝わって来た。

 思わず顔を向けると、とても愛らしい笑顔が返って来た。


《夜が楽しみです》


 ミミリラのカー=マインに向ける時の口調って本当可愛いんだよなぁ。

 なんて思いながら、僕はカップに残った紅茶を飲み干した。

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