第71話 じぃの家、ばぁの菓子

 エルドレッドが運んで来てくれた馬車は、外装内装含めて紛れもない貴賓用のものだった。主観で言えば、これは侯爵級が乗っていてもおかしくはない。そんな高級馬車に冒険者アドベルの風体を見せる僕達四人は乗り込み、一路公爵邸へと進み始めた。

 馬に乗った兵が馬車を先導し、周囲もまた同様の兵士達が護衛している。隊長であるエルドレッドは僕達の乗る荷台と並走する形で進んでいる。

 今回お呼ばれしているのは大発生スタンピード解決に貢献したジャスパー集合体パーティーの四人のみ。後は宿や馬車でお留守番だ。


「ところで、本当に服装はこのままで良いのか? 駄目と言われても無いものは無いが」


 併走して進むエルドレッドに窓から問いかける。

 冒険者の正装は装備を纏った姿だ、なんて以前言ったことがあるが、それは時と場所を選ぶ。王族はもちろん、公爵級の貴族に会うのであれば流石に冒険者側が気を使わねばならない。


「ああ、そこは公爵閣下は気にしないようにと仰せだった。公爵閣下は冒険者と言うものをよくご理解されてだし、現状で正装なんて出来る訳ないからな。ましてやお前は領地の大恩人だ。服装を強制なんてそりゃまぁ、出来ないわな」

「なら良いがな」

「それよりお前礼儀作法はどうなんだ?」

「求められているのがどれくらいか分からんが、ある程度は出来るぞ」


 玉座の間で国王陛下と対面しても問題ない程度には出来る。

 食事の作法テーブルマナーも王室揃っての会食程度なら大丈夫だ。

 王侯貴族が勢揃いする、千人を越えるパーティーに於ける暗黙の了解だって全てこなせる。


「まぁそういう姿勢さえあれば良いさ。公爵閣下は細かいことを気にする貴い方々とは違うからな」

「俺はお前がいつか貴族から手配されないことを祈っておいてやるよ。頼むから連盟拠点ギルドハウスには来るなよ」

「お前俺に対して結構遠慮ないよな」

「遠慮ない奴に遠慮してどうするんだよ」

「はは、違いねぇ」


 会話をしながらも馬車は進んでいく。

 大発生に荒らされることの無かった、敷石で舗装された道は殆ど馬車を揺らすことはない。未だ物価の高騰や第二城壁外の状況に不安を覚えている人々も居る中で、ここから見える景色は何の驚異も無かったかのようだった。

 瞳に映り流れていく風景。多少の違いこそあれど、嘗て見たあの頃と何ら変わることはない。

 思わず瞼を閉じて顔を上げた。熱くなった瞳が落ち着くまで、暫くそのままの姿勢を保つ。左右に座るミミリラとニャムリが腕を取り身を寄せてくる。情動が落ち着いてきたのを確認してから、また外の風景を見る。


 もう少し進めば公爵邸へ続く塀に囲まれた門があり、そこを通れば綺麗な草原が姿を見せる。季節によっては綺麗な花々が風に揺れて、色んな匂いを馬車の中に届けてくれたものだ。何もかもが懐かしい。


 昔を思い返していると、左右の二人が首筋に頬や頭をこすりつけてきた。何となく彼女達を真似してその感情や思考を読み取ると、僕の思い返した風景を読み取って自分の匂いを擦りつけようとしているみたいだった。

 いやまぁ確かにお前達は良い匂いするけどな。あとピピリ。馬車の中で正面から襲いかかろうとするのは止めろ。



 ※



「じゃあジャスパー。大丈夫だとは思うが礼儀には多少気を使ってくれよな」

「魔獣の王を倒す覚悟で望めば良いな。任せろ」

「いやまじで、頼むわ」


 苦笑すら浮かばない困った顔のエルドレッドを見て、逆におかしくなった。

 僕は今、ザルード公爵邸、その中にある応接間の入口に立っている。ドアの左右にはお祖父様の近衛兵が立っており、そのすぐ横にはメイドの姿があった。

 エルドレッドがこちらを見てくるので、僕は頷く。


「王太子直属直轄軍隊長エルドレッド・マルリード、ただいまジャスパー殿をお連れ致しました!」

「入ってよいぞ」

「はっ!」


 メイド二人の手によって開かれた大きな扉、その先に、お祖父様は座っていた。こちらに向かって中央にテーブルがあり、左右と下座側にもソファーがある。あまり入ったことの無い応接間だが、懐かしい光景だ。

 僕は三人を連れてその中に足を踏み入れた。少しばかり進んで立ち止まり、胸に手を当て一礼する。


「お初にお目にかかります。国王陛下の御威光煌く城塞都市ガーランド、そこを拠点にお借りする連盟ギルドミミリラの猫耳キューティー・キャットイヤー』の連盟長ギルドマスター、ジャスパーと申します。此度ザルード公爵閣下に於かれましては、お招き頂きましたこと光栄の至りに御座います」


 本来であればもっと丁寧にするものだが、応接間非公式であるならこの程度で良いだろう。あまりやり過ぎる方が違和感が出るだろうし。


「ほう」


 お祖父様の目が少し細まった。冒険者としては丁寧に過ぎる礼を尽くしたからこその瞳かも知れないが、僕はそんなことよりも、疲れている様子のお顔が気になって仕方が無かった。間違い無くやつれている。

 それとお祖母様のお姿が見えない。別に貴族の婦人がこう言った場に同席することは義務では無いのでおかしくは無いが、少し気になってしまう。お祖母様はあまりお身体が強い御方ではないから。


「よくぞ来た。まぁ座るがよい」

「有り難き幸せ」


 そう言って、僕は下座に一人座った。残りの三人は僕の背後に立ったままだ。


「領地を救ってくれた者達を立たせておくような気概は持っておらぬ。構わぬ、横に座ると良い」


 その言葉に、僕は背後を見上げて頷いた。それに反応して、三人は素直に左右のソファーに座った。


「今茶菓子を持たせる」

「感謝致します」


 返事をすると、お祖父様は真っ直ぐに僕を見てきた。


「先ずは我が領地、各地の要衝、そしてこの都市を救ってくれたことを感謝しよう」

「重ねて光栄の至りに御座います」

「うむ。各地よりの報告も耳にしておる。さぞ活躍してくれたそうだな」

「特別なことはしておりません。ただ害虫がこの領地を闊歩しているのが気に入らなかっただけですので」

「ほう。害虫か。ははは、言い得て妙だな」

「ええ、誠に」


 それからしばし無言の時が続き、茶菓子が持って来られた。それを見て、不思議な懐かしさを覚えた。


 もしかしたらこれは、そうなのだろうか。


「遠慮なく食すがよい。菓子はブリオッシュ・デ・ロワ、我が妻ララーヌの手作りでな。評判が良いのだ」

「ああ……」


 やっぱりだった。これは僕が大好きで堪らなかったお祖母様の茶請け菓子だ。

 添えてあったフォークでそれを小さく切り分け、刺してからゆっくり口の中へと運ぶ。


「――」


 思わず涙が溢れたのは仕方が無いだろう。僕はこの味を、それを作ってくれる人を守りたかったのだから。この涙はきっと許される涙の筈だ。

 自然と笑みが浮かんだ。泣きながら笑う自分におかしさを覚えながら次を口にする。傍に寄って来たミミリラが布を取り出して涙を拭ってくれる。


「ふむ。口に合わなんだか?」

「いえ。この世界で一番美味しい菓子です」

「そうか」


 僅かに訝しげにしていたお祖父様は、僕のそんな言葉に笑った。見慣れた笑顔だ。

 お祖父様も菓子を口にし始めて、続いて三人も食べ始める。菓子を口にした三人が目を丸くして、下品にならない程度に素早く食べ進めていく。

 感情を読まなくても分かる。それ程に美味しいのだ、これは。


 全員が食べ終わって紅茶を飲みながら、余韻を味わう。

 何だかこれだけで今回の全てが報われた気がした。


「口に合ったようで何よりだ。さて、色々と聞きたいことがあるが、よいか?」

「お答え出来ることであれば何なりと」

「うむ。お主は城塞都市ガーランドが活動拠点ホームであると聞く。それにしてはあまりに対応が早すぎる。聞けば最初からザルード領に居た訳でも無し。どうやって知り、どうやって来た?」

「ザルード公爵閣下もご存知と思われます王室御用達ベルナール商会。そのガーランド支店の長ジャルナールと懇意にさせて頂いております。そこから私の耳に入り、居ても立ってもられず駆けつけた次第に御座います」

「ほお、あやつか。あやつであればおかしくは無いな」


 いや、納得されるんですかお祖父様。斡旋所より余程に速くて正確な情報伝達だったと思うんだけどな。もしかしてジャルナールって昔何かしていたのだろうか。


「ではどうやって来た。馬を乗り潰したか? ああ、号も閣下もよい」

「では公爵と。恐れながら私共は体力と速度の等級値に自信がありまして。至極単純、ひたすらに駆けて参りました」

「ほお……まぁ討伐の際の話を聞くにおかしくもないか。凄まじいとは思うがな」


 ははは、とお祖父様が笑う。紅茶を一口飲み、また口を開く。


「では、だ。お主、この領地と都市を救ったのはわしに大恩があるからと聞く。そして第二の故郷であると」

「はい」

「昔、わしと会ったことがあるか?」

「冒険者として会ったことはありませぬ」

「ではどう言う出会いをした」

「恐れながら。それをお答えすることは出来ませぬ」

「ふむ」


 お祖父様の眉が寄せられる。

 魂の波動は出ていない。つまり怒っている訳では無い。


「何故答えられぬ」

「それをお答えすれば答えを口にしたも同然。しかし私は公爵に偽りを申すことは出来ませぬ故」

「お主はわしにどのような恩がある」

「――」


 その問に、一瞬言葉が詰まった。

 どんな? 語りつくせぬ恩をどうやって言葉にしろと言うのだろう。


「言えぬか?」


 答えに窮した僕を見て、お祖父様がその鋭い眼光を向けてくる。


「言えぬ、ではありませぬ。ただ、何と申しますか」

「うむ。思うままで良い。言うてみよ」

「救い、でしょうか」

「救いとな」

「はい」


 僕はここできちんとお祖父様の目を見た。


「公爵、御身の存在あればこそ、今日こんにちの私があります。御身の言葉があればこそ、今の私でいられます」

「……」


 お祖父様の瞳が真っ直ぐに僕を貫く。

 咄嗟に心――魂に障壁を張るような想像をして僅かに目を逸らす。いけない、あれは人見の瞳だ。お祖父様は僕の中を見ようとしている。


「いつ、どこで、どんな時に。それはお答え出来ませぬ。しかしながら、その時の記憶は今も色褪せること無く胸の内にあります。その想い出があるからこそ、ザルードは私にとって第二の故郷なのです」

「ふむ……なるほど。詳しくは言えんのだな?」

「はい。そして偽りを申し上げることも出来ませぬ」

「分かった。ならばよし」


 お祖父様はどこか苦笑した様子で言う。


「誤魔化しもせず愚直に過ぎるその言葉、褒められたことでは無いが、わしは嫌いではない。わしやザルード領への真摯な気持ちに偽りが無いことも分かった。ならばこれ以上は聞かぬ」

「感謝致します」


 お祖父様はまた紅茶を飲み、カップを置く。

 そうして向けられた視線は今日一番の鋭さを見せた。


「それに、最もの疑念は別にある」

「と言いますと?」

「お主。大発生の本流その殆どを一撃の元に屠ったと聞く。そしてその時口にした言葉、どこで知った?」


 ああ、やっぱり聞かれますよね。ついそんなことを思ってしまった。


 で、ありながらも僕の心中は至って穏やかなものだった。この質問が来ることは分かりきっていたことだし、受け答えする内容も考えていた。そして、その内容を聞いたお祖父様がどうお答えするかもまた確信出来ている。


 だからこそ、この質問もこの後の流れも、僕にとっては予定調和にしか過ぎないのだ。

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