第102話 過ぎ去った渇望
小さく振動する馬車の中、お祖父様と向かい合ってミミリラ達の待つ高級宿へと進んで行く。
お祖父様も同時に王城を出ると言うので乗せて貰うことになったのだ。
「しかし、これであの時のやり取りの全てが納得いったわい」
「それはご挨拶に伺った時のですか?」
「ああ。お主の言葉、態度、その内容全てな」
僕は苦笑した。こうして正体がばれてしまえば何とも恥ずかしいものだ。
「嘘は吐きたくなかったので」
「うむ。改めて振り返ればその気持ちが嬉しいものだ」
「ありがとうございます」
「それと、これでザルード家秘伝の技をどうして知っていたのかもな。自分で教えたのだからな、知っていて当然」
「ああ、お祖父様。あれは本当に助かりました。あの魔術が無ければ私はあの場で都市を守ることも出来ず命を落としていたかも知れません」
「ならば昔、お主に見せたのは正解だったな」
「誠に」
あの何気ない時間が城塞都市ポルポーラを救うことになるだなんて、お祖父様も僕も想像だにしていなかった。当時のお祖父様が知れば「何と」と驚くことだろう。
でも本当。【
あの時はああいった極大魔術化させる使い方をしたが、本来【紫玉の嘆き】はあんな風に紫色の玉を生み出して破裂、という過程を経て発動させるものではない。お祖父様や僕が持つこの
紫色の玉をわざわざ生み出して破壊を生み出すのは、あくまでも当主から受け継ぐ嫡子が、最初に魔術を習う際に見せて貰う為のもの。つまり以前述べた
危険度第5段階の魔獣ですらを一撃で吹き飛ばす、ただ見るだけで発動する秘技【紫玉の嘆き】。大体の戦闘はあれ一つで片付くと思う。お祖父様のようなずば抜けた戦士が用いた場合、厄介極まりない技能だ。
「あれは力に目覚めてから鍛えたのか?」
「いえ、正直に申せばあの時まで意識にありませんでした。諦めかけていた時にお祖父様との記憶が湧いてきて、それで咄嗟に」
「お主、あれをその場で
「ええ。ただ
僕とお祖父様が同じことをしても、威力も精度も全く違うだろう。
「であれば、今度見てやろう」
「よいのですか?」
「よいも何も無い。お主はザルード家当主、知って当然」
「あはは、そうですね。ご指導ご鞭撻、よろしくお願い致します」
「うむ。孫に何かを教えるなぞ滅多に無いでな」
お祖父様も無茶を言う。
「お祖父様の技は槍も剣も、付いていける者はそうおらぬかと。特に、ロイならともかく私は誠の無能でしたから――ああ、ただお祖父様の槍を元に創造した魔術はあります」
「ほう。どんなだ?」
「レーニルと言う村があった要衝で創造したのですが、『ザルードの槍』と書いて【
「ふむ。是非見せてくれ。何か言えることもあるやも知れぬ」
「誠有り難く」
その時を想像してか、二人して微笑み合う。
こんな会話がお祖父様と出来る日が来るなんて、昔は思ってもみなかった。
お祖父様さえ良ければ槍や剣も指南して貰いたいものだ。そう言えばお祖父様は武芸百般に通ずると聞くな。格闘術や弓矢もいずれはご指南願いたいな。
と、ここで少し気になっていたことを聞いてみる。
「そう言えばお祖父様。玉座の間で訝しげにされていたのは、私の正体に気付かれていたのですか?」
「ん、いやそうではない。ただの。あの戦からザルードへ戻る途中お主の屋敷に寄った時よ、そこで違和があっての。口調も何もかもがお主なのだが、人見の瞳に映ったお主の
「それはまた」
あれは僕の魔力が込められている。身体自体もそれを元に創り出しているのだ。
「それでポルポーラでお主と会った時よ。そもそも【紫
「あはは」
今後、人見の瞳だけでなく、色々な面でもっと気を付けよう。心からそう思った。
※
今後実際ザルードに来てどうするか、などを軽く話し合っていると、宿に着いた。
僕は馬車を降りてからジャスパーとして礼をする。
「ザルード公爵閣下。私の為に御足労頂きまして感謝の念に尽きません」
「よい。これで僅かでもお主に恩が返せるならな」
「はは。では、またご尊顔を拝するその日まで」
「うむ。ではな」
お互いに茶番のような挨拶を交わす。そして去って行くお祖父様の馬車を、見えなくなるまで見送る。
「さて」
お祖父様の馬車が完全に見えなくなって、自分の宿部屋に向かう。一応【
「ただいま」
『お帰りなさい』
【万視の瞳】で見た通り、全員がベッドの上で待ってくれていた。それは良い。ただ寝間着姿のように薄着なのはまさかの寝起きだろうか。
「どうしたの、その格好」
「疲れてるかと思って」
「ああ」
いつでも癒す準備は出来てますよ、と。なるほど。非常にありがたい。
僕は皆に手伝って貰いながら儀礼服を脱ぐと、皺にならない状態で【
数時間しか離れていなかったのに随分と久しぶりに感じる。魂の繋がりが原因か染められたのか、やっぱりこうしてないと落ち着かないな。
「そう言えばミミリラ。お前時々こっちに声かけてきてたな」
「聞こえてた時だけ。はっきり聞こえたのは私のことを考えてくれてた時だと思う。流石に距離があったからか、ずっとは聞こえなかった」
「それでも伝わるのが凄いな」
「私の魂はジャスパーに捧げてるから」
ミミリラが言うと微塵も洒落になってない。
しかしこの【
その有効距離がよく分からないな。この宿から王城までは結構離れている。ミミリラがずっとは聞こえなかったと言うのも分かる。でも途中で聞こえていたと言うことは、意識を向けていれば伝わると言うことだ。
意識を向ける、相手を想う、と言う行為で一時的に「絆」を強くしてると言うことなのかな? この推測が合ってるなら色々と使えそうな気がしてくるな。
「ああそうだ。聞こえてたかは知らないが、サガラの存在が国王陛下、そしてザルード公爵閣下に認められたぞ。今後少なくとも国から追われることは無くなった。良かったな」
そう言ってちらりと見れば、ミミリラは予想した通り「ふぅん、そうですか」と言わんばかりに冷めた顔をしている。ニャムリ、ピピリも似たようなものだ。
仮にも嘗て渇望した安全と安寧を得た瞬間になるのにこの反応。あの日僕がサガラを守る為に抱いた決意は何だったというのか。
今はもう、僕はザルードの英雄と呼ばれるようになったし、何より父上やお祖父様にサガラの存在を容認して貰っているから過ぎた話となってしまったが、僕はミミリラと初めて交わったあの日、とある方法で配下にサガラが居ると知られても問題ないようにするつもりだった。
その方法とは、魔獣の王と呼ばれる魔獣を討伐して父上に献上すると言うものだった。
魔獣の強さは危険度段階で大凡に区分されている、と言うのはもう知れたことだ。
その中でも「この魔獣は特に強い」と高い危険度段階で評価される代表は“溢れ”と“特殊個体”だ。しかし、それら以上に高い危険度段階で評価される筆頭格、それが魔獣の王だ。
魔獣の王とは、「魔獣を支配する、あるいは一定の領域を支配する強大な力を持った魔獣」と定義されている。
その種類や特性などは様々で、認定危険度段階は6の特殊個体以上、7未満。7は大陸を滅ぼす程の魔獣に認められる評価なので、事実上の魔獣の最高峰に位置するのが魔獣の王だ。
僕はこれを討伐し、父上に献上することで「こいつには迂闊に手を出せない」と思って貰おうとしていたのだ。以前城塞都市ガーランドの武器屋のおっさんや『
僕はそんな化物のような存在と戦う決意までしていたのに、いざ求めていたものが手に入った獣耳娘三人のこの反応だ。
あの時の僕に伝えたい。あんまり深く考えなくて良いぞ、と。
ミミリラ達から視線をずらして残りの四人を見てみると、これまたおかしいことに反応が薄い。ミミリラ達とは違うが、はっきりとした喜びの感情が伝わってこない。
「お前達は嬉しくないの?」
言うと、四人ともが微妙な表情を浮かべた。伝わる感情も何だか複雑なものだ。
「嬉しくない、訳では無いですねぇ。悲願達成、と言う感じはありますよー?」
「ですです。ただこう。うーん……そこまで喜びを感じないと言うか」
「私はちょっとだけ嬉しいかな」
「私は正直どうでも良いかしら」
最後に発せられた言葉に思わず視線を向けてしまう。その先には小首をかしげるチャチャルの姿がある。きちんと確かめてみれば、チャチャルの中にある感情は飢えと疑問と無関心だ。
「チャチャル、ちょっと瞳を見せろ」
「はい、どうぞ」
そう言って、交わるんじゃないかという程に顔を近づけてくるチャチャル。そして映る人見の瞳、その奥に見える魂はミミリラ達と殆ど一緒だった。
前にミミリラが言っていたように、気付かぬ間に一気に淀み染まっている。
「チャチャル。お前何があった?」
「何も無いですよ。ただ最近、ジャスパーさん以外にあんまり興味が持てなくって」
「いつからだ?」
「
「ミミリラ、お前から見た感想は?」
「いらっしゃい」
「チャチャルも今日からお仲間ですね」
「今日から気持ちいいよぉ」
ピピリの口調が変わってる。これは相当に嬉しいと思ってるな。実際そう思っているのが伝わって来るし。
「これがお三人が言ってたことなんですね。納得です。あ、ただジャスパーさん、嬉しいと言う気持ちはありますよ? やっぱり里の者は家族なので」
「ああ、そうか」
これもミミリラから聞いたことあるな。それはそれ、これはこれ、と言うやつだ。
まぁ、これが心地良いと思ってる僕も十分駄目な方に染まってるんだろうな、って素直に思う。
「もっと駄目になって」
ミミリラが艶然と耳元で囁く。一瞬、こいつはいつ娼婦に転職したのかと思うくらいに蠱惑的な声だった。
すると、僕の心の声に反応したのは心を読める組だ。
「いやですねぇジャスパーさん。私達があの人達に負ける訳ないじゃないですか」
「なのねー。ジャスパーのことを分かってるのは私達なのん」
「二人共まだ甘い」
「でしたら私は三人が悔しがるくらいにジャスパーさんに愛されますね」
その時、チャチャルが見たミミリラの顔は果たしてどんなものだったのだろう。
魂が淀み染まっている筈のチャチャルですらが顔を逸らした。気になってミミリラの頬に手を当ててこちらに向けると、何とも甘い表情をしていた。やっぱり可愛いよなこいつ。
「三人が微妙な感じなのは、半分こっち側に来ているのと、後は今更国がどうのこうのして来ても、ジャスパーさんには勝てないって思ってるからだと思いますよ」
ニャムリの言葉を聞いた三人が手を打ち鳴らした。それでしっくりきた感じだ。
お願いなので、仮定としても僕とアーレイ王国が戦うような話をするのは心の底から止めて欲しい。つい先程まで国の頂点に位置する家族と情を深めてきたばかりなだけに、尚更に。
それに、真面目に言えばだ。父上とお祖父様、このどちらかだけでも下手をすれば負けると思う。なにせ戦闘の経験と技能値に差がありすぎる。お二人は幼い頃からお散歩気分で魔獣を狩りに行き、戦争になれば真っ先に飛び込んでいく生粋のアーレイの戦士だ。成人になるまで安全な箱庭で育った僕とは訳が違う。
優れた攻撃系技能は優れた能力等級値を凌駕すると言うのはもう知れたことだ。
先日戦った『
予想ではあの時父上が言った「喧嘩の意味を調べて来い戯け」という言葉は、「お前みたいな化物と喧嘩出来るか」と言う意味では無く、「俺とお前がやったら本気の戦闘にしかならん」と言うことだったんじゃないかな。父上が自分を弱者のように扱う発言をするとは思えないしね。
それに各公爵家や侯爵家、それ以外にも優れた者達は多数居る。ここは武を尊ぶアーレイ王国だ。一人で勝てると思える程の自惚れは持てない。
僕はあくまでも英雄級の力を持っていると言うだけで、その力を使いこなせている訳では無いのだ。
ただまぁ、強さとは一口に言っても得手不得手、向き不向きがあるので、定義を一概に語ることは出来ない。魔術士や魔術戦士を含めるなら尚更だ。
例えば十万の軍と相対すると仮定しよう。父上、お祖父様、僕の三人の誰が最も強いか。これは確実に僕だ。僕は高威力、広範囲の魔術を莫大な精神力で以て戦うことが出来る。次に広範囲を攻撃しつつも優れた近接戦闘を可能とする父上。最後に近接戦闘に
では戦闘能力の高い危険度第6段階の特殊個体が一体現れたとする。大きさは一般的な宿くらいとしよう。この場合に最も強いのは父上だ。次にお祖父様と僕が並ぶ感じだろうか。
そして最後に、近接戦闘に優れた英雄と相対した場合。最も強いのはお祖父様となる。次に父上で、最後に僕だろう。
父上は総合的に強く、お祖父様は近接面で強く、僕は万能に強い形だ。
無論父上やお祖父様の強さに関しては嘗て知った情報でしか無いし、今述べたように得手不得手や向き不向き、そして対する相手との相性もあるので、限りなく憶測や想像に近い推論となる。
それに、最近は少しずつの形で父上やお祖父様のその辺りに関する記憶を思い出してきており、その度に父上とお祖父様の強さが上昇していっているので判断が難しいところだ。
まぁ戦いでは無く何でもありの殺し合いと言う条件なら、恐らく父上やお祖父様、他の誰であろうと負けないと思う。アーレイの戦士らしくない、アーレイの王族らしくない戦い方を考慮するなら方法は多種多様だ。
例えば相手が逃げられないくらいに広範囲の深い穴を【
今度創造しておくか? でもこれ創造しても魔獣相手には使えないな。使ったら素材が取れなくなるし。かと言ってこんな危険なものを使う種族と戦う機会があるかと言えば、うーむ。
そんなことを考える僕にミミリラが口付けをしてきて、またその美しい瞳で見つめてくる。
「カイン様の邪魔をする愚者は私が殺しましょう。私達が殺しましょう。私達が殺せぬ愚者をカイン様がお手に掛けられませ」
病んでるな、なんて思うと同時に、少なくともこの三人であれば殆どの者が太刀打ち出来ないのは違いないな、と思う。
それでも国の半分を相手取れるかどうかだろう。
……いや、だから。どうしてアーレイ王国と戦う前提での話をだな? まぁこれは考察を始めた僕が悪いか。もうこの思考の時間は終わりだ。
「ちょっと休む。その後美味しいもの食べに行こう。疲れた」
「うん。じゃあ頑張って慰める」
「二つの意味で楽しみですね」
「私はこっちだけで良いのん」
「数時間離れていて正直きついので私もこっちだけ良いです」
病み組四人が、何を言わずとも望むままに慰め癒してくれる。
対して、まだ魂が淀みきっていない三人はと言えば。
「うーん。この間出店で食べた
「あれは美味しかったねぇ~」
「毎日食べられますね」
「確か城塞都市ガーランドでもたまに教会の前で売ってるです」
「買い占めちゃ駄目かなぁ?」
「あれって教会の人が商店の人に声を掛けて、子供向けに出店で安く販売してるんじゃなかったでしたっけ?」
「なら今度調理器具買って
「ジャルナールさんにお願いすれば良いんじゃないかなぁ?」
「それが一番早くて確実ですね」
食べ物一色の姦しい会話をしながら触れてくる三人は言動が全く一致していない。艶かしく身体を擦りつけてくるのに、可愛らしい唇から出てくるものはお菓子の話題ばかり。食欲と性欲は切っても切り離せないって聞くけどこう言うことなのかな。
それと、気付けば『
「……」
彼女達の匂いに充満していく部屋の中、彼女達の温もりと柔らかさを感じながら、耳に心地良い声に意識を包まれながら、そっと目を閉じた。これは夜まで寝てしまいそうだな、なんて思いながら。
……何かとんでもないことを忘れてる気がするんだけど、何だったかな。
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